壱、鬼団子と萵苣の味噌汁

 花曇りの下、雑草の一つも無い一本道。 

 後頭部で結った毛束の太い黒髪を揺らし、芒は歩を進める。

 女房たちが着ている白小袖しろこそでうちきとは違い、若草わかくさ色の水干すいかんに紅の大口袴おおぐちばかまという出で立ち。れっきとした鬼食おにくいの正装である。


 しばらく誰ともすれ違わずに歩いたころ、彼女の茅色かやいろの双眸がある物を映す。

 戦に積極的な性格であったと言われている十二代前の御上が造った巨大な建造物――東門ひがしもんだ。

 東門とは名の通り、御上がまつりごとを取り行う場所――大内おおうちの東側に存在する門である。何のひねりもない名だが、変に華美でなくわかりやすいため気に入っている者も多いのではないだろうか。

 入母屋造いりもやづくりの門前に立ち、芒は周囲に人の気配が無いことを確認する。そして、


「……まさかこんな面倒くさい仕事が回ってくるなんて。ていうか、食材が生きてるときの姿も報告しろとか奇人にも程があるでしょあの姫様……本当にやだ、面倒くさい……」


 大きなため息と共に、己の主への文句をこぼした。

 本来なら打ち首、切腹ものだが、誰も聞いていないなら言っていないのと同じである。芒は再度ため息がもらしながら、ここまで来た原因である秋月の命令を思い出していた。


 ――妖を食べて祓うという陰陽法師に同行し、本当に妖が食べられるのかを確認する。


 そのためにも、まずは件の陰陽法師に同行の許可をもらわなくてはならない。だからわざわざここに赴いたのだ。

 国に巣くう妖を人ならざる力で退治する陰陽法師、その中でも御上の命によって国中から集められた優秀な者だけが集う場所。陰陽殿おんみょうでんという名の殿舎が、東門を越えた先にある。

 聞いた話によると、この殿舎では派閥ごとに専用の部屋を与えられ、衣食住に困ることはまず無いらしい。まぁ命がけで妖を祓うのだから、その程度は与えられて当然なのかもしれない。


「ふぅ……うん、笑顔よし」


 芒は深く息を吐き、己の頬に指を当てて笑顔が作れているかを確認する。

 彼女は思う、何に関しても笑顔が大事だと。後宮という女ばかりの場で働いていれば、いびりやいざこざが絶えない。そんな中でも笑顔さえ浮かべていれば、面倒な敵を増やさずに済むのだ。器量が良いわけではないが、愛想は振りまいておいた方がいい。今回の件に関しても同じことが言えるだろう。笑顔を忘れては同行の許可どころか、文字通り門前払いとなってしまうかもしれないのだ。

 緊張か、はたまた恐怖か。冷たくなる指先を拳で隠す。しかし笑みだけは寸分も崩さず、芒は東門の敷居をまたいだ。




 陰陽殿に辿り着くと、奥の間から現れた老齢の男性が嬉しそうに案内を買って出てくれた。

 彼は管理人としてここに駐在してはいるが陰陽法師ではないようで、妖も霊も見えないただの爺です、と欠けた歯を見せて笑っていた。どうやら前もって今回の件についての文が届いていたらしく、芒が訪ねるのを密かに楽しみにしていたと言う。


「文を読んだときは目を疑いましたよ。まさか妖を食べたいと言われるなんて」

「まぁ、普通はその反応になりますよね。七華殿しちかでんの女房たちも言葉を無くしていました」


 秋月ほどの地位を持つ姫であれば、後宮内といえど自らの殿舎を与えられる。彼女が座す場所こそ七華殿だ。

 管理人は芒の話を聞いて苦笑する。


「いやはや、さすがは『奇人姫きじんひめ』と呼ばれるだけありますなぁ……あぁ申し訳ない、決して不快にさせるつもりでは……」

「そんなに気になさらずとも大丈夫ですよ。姫様に仕えているわたしたちも、あの奇人っぷりには手を焼いていますので」

「なるほど……鬼食い殿も大変ですなぁ」


 談笑を挟みながら板張りの通路を進んで行く。そして、ある部屋の前で管理人の足が止まった。通路に面した襖に名も知らぬ花が描かれている。

 その部屋は特段変わった点があるわけではない。だが、異様にいい匂いがした。花や香料の類ではない。唾液が溢れ出るような、香ばしいそれが芒の鼻腔をくすぐる。

 無意識に、舌が唇を濡らした。


「相変わらず根食ねじき派の部屋からはいい匂いがするなぁ……。おーい、はち殿! 例の鬼食い殿がいらっしゃいましたよー!」


 まるで近所の子どもに接するかのように、管理人は襖を越えた先へと呼びかける。すると、ばたばたと慌ただしい音がした後、すぐに襖が左右へと開いた。


「はーい、いらっしゃーい! 待ってたよん!」


 はつらつとした声と共に現れたのは、八重歯が特徴的な二十代半ばほどの青年だった。朽葉くちば色の長髪は首元で丸くまとめており、鴉を彷彿させる黒い法衣ほうえを身にまとっている。


「はじめまして、になるよね? 私ははち、妖を食べることで祓うとする根食ねじき派にて陰陽法師やらせてもらってます! と言ってもまだまだ下っ端だけどね。……というわけで、以後お見知りおいてくれると助かりますっ」


 そう言って、頭を下げる捌と名乗った青年。長身に加え体格もしっかりしているため少し威圧感があるが、気さくそうな雰囲気がそこかしこから漏れ出ている。管理人の呼びかけ方からも、おそらく親しみやすい人柄なのだろうことがわかった。

 だというのに、芒はあれほど大事だと考えていた笑顔も忘れて、霊でも見たかのように瞠目している。


「あれ、どったの?」


 捌は首を傾け、芒の表情をうかがうような仕草をする。そう、芒にわかるのは彼の仕草だけだった。なぜなら――


「あの、それ……見えてるんですか?」


 ――目の前のものを映し出し、感情を灯す二つの眼。それが、顔当かおあてによって隠されていたからだ。

 鼻頭まである清潔そうな白い布は、荼毘だびに付す前の死人を連想させる。違う点をあげるとすれば、無地ではなく大きく『捌』と記されていることくらいだろう。

 未だかつて、こんな自分の目を疑うような出で立ちの者を見たことがなかった。目を引くどころの話ではない。どんな生活を送ればこの恰好に行き着くのか。

 取り繕うこともできず顔が引きつっている芒に対し、捌はさほど気にした様子もなく口を開いた。


「うーん、とくに問題はないかな。よく見えるってわけではないけど、これ透ける素材だし、鬼食い様の想像よりはいい景色見れてると思うよ。今日の空の色から貴殿のお召し物まで言い当てられる自信あるもん、私」


 砕けた口調とお堅い単語を混ぜ合わせた、少し……いや、相当変わった話し方をする人だ、と芒は思う。


「そ、それは何よりです……」


 どうにか返せた言葉はお粗末なものだった。だが、これは仕方ない、と芒は己を慰める。まさかこんな状況になるなんて思っていなかったのだ。挨拶の言葉から交渉の仕方までしっかり考えてきたというのに、出だしから失敗している。

 しかし、だ。このまま彼の雰囲気に流されるわけにはいかない。

 芒は捌に気づかれないよう細く息を吐き、無理やり笑顔をつくる。


「んんっ、少々取り乱してしまったことお詫びいたします。これ以降は『捌殿はちどの』とお呼びしても?」

「うん、それでよろしくお願いしまっす」

「承知いたしました。わたしは七華殿で鬼食い役をしている者でございます。先ほどのように『鬼食い』と役職名で呼んでいただければと」


 この時代、貴族の娘は真名を異性に告げることはない。もしも真名を教える、または尋ねられたとすれば、それは婚姻の申し込みとなるのだ。田舎の下級貴族とはいえ、芒も貴族の娘である。類にもれず、真名を告げることはしなかった。


「承知っ! それじゃあ若い鬼食い様、どうぞよろし――」

「法師様ッ! 法師様ッ!」


 出鼻をくじかれた挨拶がどうにか終わろうとしている中、ある男の絶叫が空間にひびを入れた。

 声の方を向けば、根食派の部屋を目がけて男が駆けて来る。何かに追われているかのような、ひどく怯えた表情をしていた。


「あら? この間一緒に飲んだ北門の衛士えいし様じゃん。どったの血相変えて」

「助けてください法師様ッ! あれは妖の! 妖の仕業ですッ!」


 歩み寄る捌の法衣を震える手でつかみ、衛士の男は助けを求める。その手をしっかりと握りながら、捌は困ったように眉を下げた。


「わかった、わかったよ! 私にできることなら力になるから、一旦落ち着こ! ね? まずは何があったのか話してくれなきゃ私も身動きが取れないよ」


 そう言われ宥められた衛士は短く謝罪し深呼吸するが、その息も震えておりどこか苦しそうだ。芒も近くに寄り、彼の背を撫でる。


「あ、ありがとうございます……。その……実は、女性がいる場で言うのも心苦しい話なのですが……」


 ちらりと気遣うような目で芒を見てくる衛士に、気にしないでください、と告げて続きを促した。すると、彼は申し訳なさそうな顔で言葉を紡ぐ。


「……一物いちもつが、消えたんです」

「は?」


 芒と捌は声を揃えて聞き返してしまう。


「ごめん、なんて?」

「一物が消えたんです」

「聞き間違いじゃなかったかー……」


 捌は苦笑しながら頭を抱えた。思わず芒も閉口する。一物とは男性器のことだ。たしかにこういう話になるのであれば、衛士が心苦しいと言ったこともうなずける。女性の芒がいるこの場で話すには、少々覚悟が必要な内容だろう。

 衛士は二人の反応を交互に見ながらも話を続けた。


「俺の部隊は今夜から明日の朝まで警備の任が入っているので、陣屋じんやで仮眠を取っていたんです。そのうち一人が厠に行くと言い出して、そんなことわざわざ報告するなとか言って俺たちはそのまま寝ていました。それから少しして厠に行った奴が帰ってくると全員を起こし始めたんです。どうしたのかと思ったら、一物が消えたと大慌てで話し始めて……」

「すごい話ですね……」

「これで終わりじゃないんです。その一物が消えたと言った奴が、お前らも確認してみろ、と言い出して……。俺たちは、こいつ寝ぼけてんじゃないかと思いながら、そいつを宥めるためにも自分のものを確認しました。そうしたら……」


 己を落ち着かせるためか、衛士は息を吐いてから口を開く。


「俺も含め、部隊全員の一物が消えていたんです」

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