第17話 復讐の果てに
数時間前からモニター上には『ソラ』が発する信号が点滅していた。通常では考えられない、地球の衛星軌道上ではなく、月側の方向で。『ソラ』が付着した物体はもうすでに、ネメシスに乗る鏑木が目視できる位置にあった。宇宙ステーションからここまで来るのに二十時間ほどが経過していた。本当に目的物を回収できるのか不安を抱えていたが、とりあえず安堵した。陽介からは一度も何の連絡もない。眠り続けているのだろう。起きたところで、当分はヒ素の後遺症が残り、元気に動き回る心配もないだろう。
無線が入る雑音がした。
「あぁ、疲れた」
それが第一声だった。かつての仲間たちを月面で殺害し、『ソラ』を付けた小型宇宙船に乗って、ここまで飛んできた天王寺広海の第一声は。
空がマーズたちに殺されたと知ったとき、鏑木は月面での復讐に自分も参加させてくれと訴えた。それは、純粋に彼らへの怒りもあったが、復讐を果たした後に天王寺が自殺をしてしまうのではないか、という懸念もあったからだった。
けれど、天王寺は頑としてその要望を受け付けなかった。お前に手を汚させるわけにはいかない。これは、婚約者の俺の義務なのだと、そう言った。その決意に満ちた顔を見て、鏑木はますます不安になった。あるとき、お前は死ぬつもりだろう、と正面切って訊くと、天王寺は隠すことなく頷いた。それを知ったからには、計画を実行させるわけにはいかない。あいつらのためにお前まで死ぬことはない。そう諭した。それから、天王寺の双子の兄の康介も巻き込むことで、復讐計画を練り上げることにした。
そして、天王寺を月から帰還させる方法を思いついた。小型宇宙船に『ソラ』を装着させ、その発信を目標に鏑木がネメシスで迎えに行くというものだ。これまで地球の衛星軌道上以外で『ソラ』を使用したことがないため、不具合が生じるかもしれない。そうなった場合、より燃料を多く積めるネメシスは帰還できるものの、天王寺は宇宙空間を彷徨うことになってしまう可能性があった。それでも、天王寺のアリバイを確保するためには、このミッションを遂行しなければならなかった。
そして今、二人は賭けに勝ち、広大な宇宙空間で無事に出会うことができた。
「お疲れ。すべて上手くいったのか?」
「まあ色々あったけど、目的は果たした。西園寺さんの遺言通り、ムーンパレスは爆破してきた。それより、もう燃料がギリギリだ」
「計算した通りだ。最後まで気を抜くなよ」
「わかってるさ」
無線を切ると、鏑木はネメシスをゆっくり旋回させた。地球方向へ機首を向け、天王寺が乗る宇宙船と同じ軌道で飛行してランデブー状態に入る。姿勢制御システムで同じ軌道を保ちながら減速。最終的には秒速五センチで徐々に機体を近づけていく。衝撃吸収装置が働くために、ドッキング完了を報せるランプが点滅したときも、ほとんど揺れを感じなかった。
「ふう……」
もう安心だ。鏑木はシートベルトを外し、側壁にあるドッキングトンネルに通じるハッチを見つめた。まもなく、エンプラハンドルが回され、EVA用スーツを着た天王寺が姿を現わした。一人で五人もの人を殺し、変わってしまったのだろうか。鏑木は気になり、フェイスシールドの中を見つめた。すると、まるで別人と化した親友の顔があった。目つき鋭く翳があり、頬はこけて唇が乾きひび割れてしまっている。
「大丈夫か?」
心配になり、フェイスシールドを外した天王寺に鏑木は声をかけた。
「大丈夫だ。宇宙船が飛び立った瞬間、気を失ったように眠った。それでもまだ疲れが取れない。あいつらの怨霊が身体にまとわりついているみたいだ」
「気のせいだ。それより、早くハッチを閉めてくれ」
天王寺が乗ってきた宇宙船をくっつけたままでは、燃料を余計にくってしまう。
「悪い」
元気なく言うと、天王寺はハッチを閉めて、EVA用スーツを脱ぎ始めた。
「無事で何よりだ」
宇宙船の切り離し作業をしながら鏑木が言うと、ジャンプスーツに着替えた天王寺は窓の外を見た。自分が乗ってきた宇宙船が離れていく様子を、どこか寂しそうな表情で眺めながら、ぽつりと漏らした。
「空が怒るだろうな」
五人を殺したことを、という意味かと鏑木は思い、
「そんなことないさ」と彼の肩に手を置いた。
「いや、怒るさ。宇宙にゴミを撒き散らしてって。月の環境も汚してきてしまった」
何だ、そっちの心配をしてるのか。鏑木は自分の早とちりに苦笑した。殺人に対する罪悪感はないのか訊いてみたい気もしたけれど、それはさすがに憚られた。言い方次第では、咎めていると受け取られてしまう可能性があるからだ。
「座ったらどうだ。食べ物も飲み物も余分に持ってきた。好きな物を食べてくれ」
「ありがとう。助かる」
天王寺はコーヒー入りのパックを開けて飲み、座席に腰を落ち着けた。それから船内を見回した。
「これがネメシスか」
「そうだ。狭いだろ」
ネメシス内部は縦長構造になっていて、少し段差をつけて前後にパイロット・チェアーが並んでいる。左右には直径八十センチのハッチが開く分だけのスペースがあるだけだ。一人きりのときなら可能だが、定員が二人になると思い切り身体を伸ばす余裕はない。機体前方は上下左右、270度視界の曲面ガラスで覆われ、後方にはトイレが設置されている。
「空はこれに乗って地球へ突っ込んだんだな」
天王寺はため息を吐くように言うと、それが彼女への弔いにでもなるかのように、月面での自分の犯行を最初から事細かく、息継ぎするのももどかしいように捲し立てた。
「おい、そんなに焦るな。時間はたっぷりあるんだ」
鏑木がたしなめても彼は耳を貸さない。何かに取り憑かれたように、自分が脱ぎ捨てたEVA用スーツを見つめながら、口を動かすことをやめようとはしなかった。こいつは狂ってしまったのではないかと、鏑木は恐ろしくなり、不安に駆られた。彼だけに重い罪を背負わせてしまったことを後悔した。
やがて、明日真を見捨ててムーンパレスを後にし、小型宇宙船に乗って月から脱出したところまで話すと、電池切れを起こしたように天王寺は話すのをやめ、虚脱して項垂れてしまった。その肩を鏑木は優しくさすってあげた。
「よくやった。お前は頑張ったよ。空ちゃんも……」
しかし、そこまで言ったところで、次に何を続ければいいのか迷った。天王寺が仇を取ったことで、空はよろこんでいるのだろうか? 無責任なことが言えず、鏑木がそのまま黙っていると、天王寺は泣き出した。最初はしくしくと、次第に激しさを増して嗚咽した。
「おい、大丈夫か」
鏑木は席を立ち、天王寺の背中をさすってやった。天王寺の涙が無重力空間に漂うのを、慌ててティッシュでキャッチして、そのまま彼の目元に当ててやる。
「空は俺があんなことをするなんて望んじゃいないさ。お前だってわかってただろ? 俺だってわかってた。この計画を思いついたときからな。俺は自分のために奴らを殺したんだ。空との幸せを奪い取ったあいつらが憎くて。変わっちまった。サターンを殺した瞬間から、俺は空が愛してくれた俺ではなくなっちまったんだ」
空が殺されたと知ってからのネガティブな感情を一気にすべて放出しているようだった。鏑木は親友の身体がいっぺんに小さくなってしまったような錯覚を抱いた。
「陽介は俺が殺(や)る」
彼に言えたのはそれだけだった。
ムーンパレスを『処刑場』に選んだとき、ネックになったのは、どうすれば天王寺のアリバイを確保できるかということだった。その場にいるのにその場にいない。その状況を作り出すために、国際宇宙航行連盟に身分証を提出する際、彼らは細工をした。月へ行く天王寺が陽介の身分を偽り、陽介の身分証は天王寺の書類を提出したのだ。宇宙の法整備がまだまだ甘く、鏑木が陽介の直属の上司で彼の分もまとめて書類を提出できるからこその手段だった。そのために、陽介が空殺しに加担していたと知りつつも、鏑木はその後も彼と一緒に働くことを我慢することができたのだ。すべては、天王寺との入れ替えトリックに利用するため。これまでの日々、鏑木は、陽介が隙を見せるたびに殺したくなる衝動を抑えつけてきたのだった。
要するに、陽介はこれから殺され、その代わりに天王寺が地球へ帰還。そして、陽介は書類上では月面で死亡と記されることになるのだ。
「いや」
天王寺は瞬間的に泣き止んで顔を上げ、真っ赤に充血した目で鏑木をじっと見つめた。
「最後まで俺にやらせてくれ。これは俺の仕事なんだ」
有無を言わせぬ迫力があった。
「わかった」
鏑木は頷くしかなかった。
「すまない。取り乱した」
天王寺は鏑木の手からティッシュを受け取って涙を拭きながら、前方へ顔を向けた。曲面ガラスの向こうには地球が見えている。真っ暗な空間の中で、奇跡のように美しく蒼く輝いている。ここから見るとビー玉ほどの大きさしかないあの星に、約八十億人の人類をはじめ、多種多様な生物が共存しているなんて、とても信じられなかった。けれど、それは紛れもない事実なのだ。
「十年前、月の裏側をぐるっと回ってアースライズを目にしたとき、俺はみんなと同じように泣いた。でも本当は、感動の涙じゃなかった。怖かったんだ」
「怖かった?」
「地球が想像以上に繊細で、ほんの少しの衝撃で壊れてしまいそうに脆く見えて。それから俺は、自分という存在がそれまで以上に不確かなものに思えるようになってしまった。本当に生きているのだろうか。生きてるって何だ? 一体どういうこと何だ? わかりもしない答えを追及して自問自答を繰り返して、心が不安定になっていった。白状すると、地球に帰還してからすぐ、自殺未遂を起こしたんだ。首を吊ろうとして。康介に助けられなかったら、そのまま死んでた」
鏑木には初耳だった。頭をがつんと殴られたような衝撃が走った。鏑木もまったく同じ症状を経験したからだ。
「だけど、鬱になったのは一時的だった。生きることに前向きになれた。どうしてあんなにクヨクヨと思い悩んでいたのか、自分でも不思議になるほど元気になれた。なぜだと思う?」
恐らく自分と同じ理由だろう。鏑木はそう予想したものの、それを口にはしなかった。ただ頭を横に振り、見当もつかないという表情を見せた。
「空だよ。空が病室まで来てくれたんだ。どうして自殺しようとしたか、一切何も訊いてこなかった。ただ、笑顔でとりとめのない会話をしてくれた。気づいたら俺は元気を取り戻していたんだ。ムーンリバー計画に参加して、一番の収穫は空に出会えたことだ。それが、俺の人生にとって一番の宝物になった」
そこで一旦、口をつぐむと、天王寺は自分に言い聞かせるように呟いた。
「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。たしかにそうかもしれない。だけど、実現しないまま、夢に見続けるままでいたほうがいいことも、世の中にはたくさんあるのかもしれないな」
彼はそこまで言うと、黙って地球を見つめた。その横顔には、後悔と満足、どちらの感情も浮かんでいるように、鏑木の目には見えた。
「宇宙ステーションに着くまで休んでろ」
そう言って、鏑木は自分の席に座り、前方を見た。地球を眺めながら思う。自分の人生にとっても空と出会えたことが一番の宝物になったと。鏑木もまた、地球に帰還した直後に鬱病になり、ヒ素を飲んで自殺しようとした。しかし死にきれず、地獄の苦しみを味わった。気がつくと、病院のベッドの傍らに空が座っていた。天王寺のときと同じく、そのときも空は、自殺の理由を一切訊いてこなかった。ただ、鏑木が笑顔になるような話ばかりをしてくれた。スペースデブリの話をしたのも、そのときだった。空と一緒にいつか宇宙ビジネスをしたい。そのために大学でしっかり学ぼう。そう心を入れ替えた。
そして、西園寺に出資してもらい、空と『コスモス』を立ち上げたとき、彼女に告白をしようとした。けれど、その前に天王寺と交際していることがわかった。それ以来ずっと、鏑木は自分の気持ちを心の底に秘めてきた。それでいいと思った。空と一緒に『ソラ』やネメシスを開発した日々は、何物にも代えがたいほどに幸せな日々だったのだから。
「天王寺」
彼はある決意をもって親友に呼びかけた。前を向いたままで。曲面ガラスの暗い部分には、後ろにいる天王寺の顔がくっきり映っている。
「何だ?」
眠そうな声が返ってくる。
「やっぱり、陽介は俺に殺らせてくれ」
「……」
「あいつだけは許せないんだ」
ガラス越しに天王寺と目が合う。
「……わかった」
天王寺は何かを察したように頷くと、目をつぶった。
「ありがとう」
小さく頭を下げ、鏑木も目をつぶった。宇宙ステーションに到着するまで眠ろうと思った。スペースデブリが宇宙船に衝突する、あのいつもの悪夢だけは見ないようにと願いながら……。
月面ラプソディ 相羽廻緒 @taknak
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