第10話 溶岩洞

 西園寺が以前、月移住のシミュレーションで数ヶ月サバイバル訓練をしたという溶岩洞に到着した頃には、十六時五十分を回っていた。原生林に囲まれた場所にある洞穴のすぐ近くに休憩施設があり、そこにツアーガイドがいるらしい。西園寺について何か情報を得られるのではないか。そう期待して、天王寺と月丸はそれぞれ車とバイクを停め、建物の中に入った。

「ああ、たしかに穴の奥で暮らしてたことがあったなぁ。一人きりでさ。頭がおかしくなったんじゃないかと、みんな心配してたんだ」

 定年を過ぎて趣味を兼ねてガイドをしているらしい。白髪頭の人の良さそうな男性が、事務所の受付で応対してくれた。胸に『堂本』というネームプレートを付けている。どうやら西園寺のことを覚えているらしい。彼の行動は地元民には奇異に映ったようだ。それはそうだろう、と天王寺は思った。いつだって天才が考えることは、同時代の人間の理解を得られないものだ。

「そこへ、今から連れて行ってもらえませんか?」

 鼻息荒く言う月丸に、堂本は大袈裟にのけぞるような反応を見せて、ちらりと視線を反らした。その先に、営業時間を知らせるプレートがある。十七時には閉館してしまうらしかった。

「今から行って戻ってきたら、時間過ぎちゃうよ」

 堂本は苦笑いを浮かべる。

「お願いできませんか? 西園寺さんがここに忘れ物したみたいなんです。神奈川から来たんですよ、僕たち」

 月丸は受付カウンターの上に両肘を置き、顔の前で合掌して頭を下げた。何だよ忘れ物って、と天王寺は心の中で苦笑しながら、月丸のポロシャツの袖を引っ張った。

「無茶言うなよ。出直そう」

「ここまで来て、よくそんな悠長なこと言ってられるな。もしかしたら、緊急を要することかもしれないんだぞ」

「緊急を要するなら、暗号なんて使わないだろ」

 天王寺の最もな指摘に、月丸は呆けた顔をして「それもそうだな」と呟いた。

「何かわからないけど、いいよ、行こう。わざわざ神奈川から来てくれたんだもん」

 堂本が承諾してくれたために、月丸の表情はパッと明るくなった。

「ほら、頼んでみるもんだろ」と、誇らしげな顔をする彼に、天王寺はため息をついて見せた。

「これ被って」

 堂本からヘルメットを手渡され、それを頭に被って事務所を出発する。遊歩道を歩くと、階段で少し下ったところに、あんこうの口のような形をした、洞穴への入り口があった。その先には壁沿いに等間隔に照明が設置されているものの、ぼんやりとした灯りのため、全体的に薄暗かった。

「寒っ」

 洞穴内に入ると、月丸は二の腕をさすった。外とはまるで別世界のようにヒヤリとした空気。薬剤のようなニオイが漂い、天王寺は小学校のときの理科室を思い出した。

「夏場にも氷柱ができる場所があるからね。足元、気をつけて。全長四百メートル近くあって入り組んでるから、目当ての場所までは結構歩くようだよ」

 堂本が先頭になり、複雑怪奇な迷路状の洞穴内を、あっちこっちうねるように進んで行く。落石の危険があるのか、所々立ち入り禁止になっている場所がある。堂本がいなければ迷い、地上に出られなくなってしまうかもしれない。

「今まで秘密にしてたけど、俺、暗い場所が苦手なんだよな」

 月丸がどうでもいいカミングアウトをした。

「西園寺さん、ここで何ヶ月も一人で過ごしたんだろ。凄いよな。それで、本当に月に基地を作って移住しちゃうし。とんでもない人だよな、ホント。バイタリティーが凄まじいよ」

「それは俺も思う」

 天王寺が賛同すると、先を行く堂本が振り返って口を挟んだ。

「でも、ここにいたときは、そんな大きな目標に向かって頑張ってるって感じしなかったけどね」

「どんな感じだったんです?」

 すかさず月丸が訊いた。

「どんなって……」堂本は困った顔をする。「おたくら、西園寺さんとどういう関係なの?」

「ムーンリバー計画って覚えてますか? 十年前に西園寺さんの出資で月の裏側をぐるっと回って帰ってきた。あれに乗ってたんです、僕たち」

 やや胸を張って月丸が答えると、堂本は目を丸くした。

「ああ、覚えてる。そうか、あのときのメンバーだったのかぁ」

 堂本が感嘆の声を上げると、月丸はますます胸を張った。その姿を横目で見て苦笑しながら天王寺は訊いた。

「それで、ここにいたときの西園寺さんの様子はどんな感じだったんですか?」

「うーん、何ていうか、悲壮感が漂っているというか……。あんまりこういう表現はしたくないけど、ここからすぐ近くに青木ヶ原樹海があるでしょう? 昔、あそこをさまよい歩く人を見かけたことがある。奥へ行ってはダメだって注意したのに、走って逃げてしまった。そのときに見た人の雰囲気に似たものを感じたよ」

 青木ヶ原樹海といえば、言わずと知れた自殺の名所だ。

「たしかに、月に移住するってことは、ある意味で自殺行為のようなものですからね」

 訳知り顔で月丸は頷く。当時の西園寺の本当の心境を知る天王寺は、密かに胸を痛めた。

 『立ち入り禁止』のステッカーが貼られた金属扉の前で立ち止まり、堂本が振り返った。

「ここから正規のルートから外れるから、道が少し険しくなるよ」

 ドアを開けると、その先には照明が設置されてなかった。堂本が手にしたマグライトで照らす。天王寺と月丸は、携帯電話のライト機能を使った。天井が低く、時折、コウモリが飛び交う。言葉にならない悲鳴を上げながら、月丸が天王寺の腕にしがみついてきた。

「しっかりしろ」

 励ます天王寺も、いつの間にか全身に汗を掻いていた。道なき道を歩く緊張感と疲労だけが原因ではない。そこかしこから得体の知れない嫌な空気が流れているような気がした。そして、堂本が樹海の話をしたせいだろうか、誰かがいるような雰囲気が漂っていた。

「もうすぐそこだよ」

 まもなく、堂本がそう言ってくれて、天王寺はホッとした。こんな暗くて窮屈な場所、一刻も早く脱出したい。そして、もう二度と来たくないと思った。だから、予定を変更することにした。かなり前倒しになるけれど、問題ないだろうと判断した。それと同時に、地球から約三十八万キロも離れた異世界において、ここと同じような地下洞を、人が住めるレベルにまで開発した西園寺に改めて感服した。

「ここだよ。この先が最深部になってる」

 突き当りの岩壁が最深部を意味しているのかと思いきや、足元にある人一人が何とか這って進める程度の狭い穴を堂本は照らした。

「中、入るの?」

 もういいでしょう? という顔で天王寺と月丸を振り返った。

「どうする?」

 怯えた顔で月丸が天王寺を見る。引き返していいのならそうする。けれど、天王寺はそうするわけにはいかなかった。

「行こう。堂本さんはここで待っててください」

「いや、でも、そういうワケにはいかないよ」

 そう言いつつも、堂本の顔には拒否反応が表われている。

「すぐに戻ってきますし、何か異常があったらすぐに伝えますから」

 天王寺が強く言うと、「そう?」と堂本は納得した。

「マジ?」

 足元の穴を自分の携帯電話のライトで照らし、月丸は躊躇した。天王寺はその背中をそっと叩いて言った。

「行こう」

 もうあと少しで何もかも終わるのだから、と心の中で思いながら。月丸を鼓舞するように率先して這いつくばり、穴の中に頭から入って行った。

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