第7話 太陽は消された

 個人経営のカフェの店内に入ると、天王寺と月丸は向かい合って座った。テーブルの上に西園寺からの手紙が置いてある。

「うーん、うーん……」と唸る月丸が、考えるフリをしているだけで、実際には暗号を解こうとしていないことを天王寺は見抜いていた。実際、手帳とボールペンを目の前に用意してあるものの、さっきから一向にペンを持つ様子はない。

『アヴァルツバエン』

 手紙の文字を人差指で叩きながら、天王寺は相棒の顔をじっと見つめた。

「どういう意味だと思う?」

「わからないから苦労してるんだ。どうせ、違うと思うけど、変換してみるか」

 気乗りせずに月丸はペンを右手に取り、手帳の開いたページに『アヴァルツバエン』と書き写した。そしてその下に、

『1、3、1、43、18、26、4、48』と書き込んだ。

「何だそれは?」

「あいうえお表に照らし合わせて何番目にくるか書いてみた」

「『ヴ』と『バ』は?」

「『ウ』と『ハ』ということにした」

「だったら、最初からウとハって書くと思うけどな」

「うるさいなぁ」

 月丸がヘソを曲げそうになる。天王寺は失言を内心でたしなめながら、すぐに話を続けた。

「まあいい。それで?」

「これをアルファベットの順番に当てはめて……ダメだ、アルファベットは26文字しかないじゃないか」

「じゃあ、いろは歌だとどうだ?」

 天王寺に促されるままに書き出すも、月丸はすぐにペンを投げ出してしまう。

「しょっぱなから36だ。手間が省けた。おまけに、いろは歌には『ん』はないし」

「便宜上、今は48文字目に数えるみたいだぞ」

「どっちにしろダメじゃないか」

「じゃあ、十の位と一の位を分けて考えたらどうだ?」

「やってみるか」

 ペンを右手で握った月丸は、ふと何かに気づいたように天王寺を見た。

「どうした?」

「どうして俺ばっかりやってるんだ。お前も参加しろ」

「ペンがない」

「すいません!」

 よほど自分一人で謎解きさせられるのが不服らしい。月丸は店員を呼んでペンを持ってこさせた。

「紙はこれを使え」

 手帳から紙を切り取って天王寺のほうへ押しやると、月丸は暗号の変換に取り掛かった。やれやれ面倒だなと思いつつ、ペンを左手で持って、天王寺も同じ作業に取り掛かる。まずはいろは歌に照らし合わせた数字に変換。

『36、24、36、11、19、3、34、48』

 導き出した数字を、それぞれ一桁ずつに分解してから、今度はアルファベットに変換してみる。

『cfbdcfaaaiccddh』

 という結果になった。

「終わった」

 天王寺が顔を上げると、月丸もちょうど変換を終えたようだった。彼の紙には、

『acadcahbfddh』と記されている。

「で?」

 と同時に言い、二人は顔を見合わせた。どちらもアルファベットがただ羅列されているだけだ。

「これに、もうひとつの『太陽は消された』を組み合わせるのかな……」

 テーブルの上で組んだ両腕に顎を乗せ、だらしない格好をして月丸は呻くように言う。紙に『sun』や『taiyoh』などと書くも、頭を掻いて顰め面を浮かべてから、何かを諦めたような顔をして柱時計を見た。十四時を回っている。

「なあ、もういいだろ? 諦めてさくらに訊こう。そのほうが早い。おっさん二人が平日のこの時間、渋い顔を突き合わせてうんうん唸ってるのは、どう考えたって不気味だろ」

 店には半分ほどしか客はおらず、この辺りの奥様連中のようだった。天王寺は特に視線を感じなかったが、たしかに学生のように何時間もここに長居してはいられないな、と思った。

「わかった。じゃあ、最終兵器のさくらちゃんに訊いてみてくれ」

 天王寺のGOサインに待ってましたとばかり、月丸は笑顔で愛娘にSOSのメッセージを送った。さて、今度はどれだけの短時間で暗号を解くかな。天王寺は携帯電話をいじる月丸を眺めながらカプチーノを啜り、小腹が減ってきたため店員を呼んだ。

「チーズバーガーをひとつ」

「あ、じゃあ俺も」

 携帯電話から顔を上げて注文した月丸は、天王寺の顔を不思議そうに見た。

「何だよ?」

「チーズ嫌いじゃなかったか?」

「克服したんだよ。別にいいだろ」

「まあ、いいけど」

 特に頓着する様子もなく、月丸は携帯電話に注意を戻す。変なところで鋭いんだな、と天王寺は少し冷や汗を掻いた。

「なあ、今、新垣由美子のプロフィールを見てるんだけどさ」

 携帯電話を見つめながら、月丸は唐突に口を開いた。

「ん?」

「西園寺さんと別れたときと出産のタイミング」

 月丸は顔を上げた。

「それがどうかしたか?」

「二股相手との間の子を出産したってことになってるけど、ちゃんとDNA鑑定したのかな? かなり微妙な感じじゃないか」

「つまり?」

「西園寺さんの子どもだったって可能性。そう考えると、あの家を贈与したのも頷けるじゃないか」

「だったら、娘に贈与するんじゃないか」

「まあそこは、西園寺さんお得意の気まぐれってゆうかさ。あ、新垣さんが言うには、ちゃんと計算してるんだっけ。てことは二年前、ムーンリバー計画参加者の中から遺産相続人を選ぶって言い出して、急に取り消したのにも、裏で何か思惑があったってことかな」

「新垣さんの言い分が正しければな。……何か思い当たることがあるのか?」

 腕を組んで眉間に皺を寄せる月丸の様子が気になり、天王寺は訊いた。

「さっきも話したけど、『太陽は消された』ってほうの暗号。あれがそのままの意味だったらって話」

「そのままっていうのは?」

「コードネームに照らし合わせたらってことだよ。それで思い出したんだけど、あの事故があった後だったろ、西園寺さんが遺産の件を撤回したの。マスコミの前にぱったり姿を見せなくなって、月への完全移住の準備を始めたのは」

「たしかに、そうだったかもしれない。それで?」

「もしかしたら、あの子が西園寺さんの……。暗号を読んだときの陽介の取り乱した姿を見て、ふと嫌な予感がしたんだ。あの事故当時、ちょっとだけ疑ったけど、仲間を信じたくて誰にも言わなかった。だけど……」

 月丸は悲嘆に暮れたような表情になり、天王寺から視線を反らしてしまう。そして、瞬間的に苦笑いを浮かべた。

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 顔の前で手を振る。そこへ店員がチーズバーガーを運んできて、月丸は美味しそうに頬張った。天王寺はその様子を眺めながら、彼のことを見直していた。暗号を解く才能はないが、探偵役を任されれば、それなりに活躍するのかもしれないと思った。娘の推理力は親譲りなのだろう。

 そんなことを考えていると、携帯電話が鳴った。月丸のだ。

「おっ、さくらからだ」

 月丸はうれしそうに微笑みながら電話に出た。さて、少女探偵のお手並みを再度拝見。天王寺はチーズバーガーを皿の上に置き、月丸をじっと見た。

「え、あ、そうするんだ」

 さくらからの指示を受け、月丸はペンを右手に手帳に文字を記していく。天王寺はそれを覗き込んだ。

『avalutsubaen』と記されている。どうやら、『アヴァルツバエン』をそのままローマ字に変換したようだ。

「それで?」

 と訊いた月丸は、「え?」と驚いて天王寺の顔を見ると、ローマ字の文章中の三文字に×印を付けた。sとuとnを一文字ずつ。『sun』だ。ここで、『太陽は消された』の暗号が活用されたことに、月丸は驚いたようだった。

 そして残った文字は、

『avaltubae』となるが、それでもまだ意味を成さない。

「それで?」と催促した月丸は、「ここまできたら教えてよぉ」と、目の前に娘がいるように懇願する表情を浮かべた。それから真顔に戻って耳を済ませ、

『lavatube』と書いたところで、「ありがとう。天王寺のおじさんが、やられたって顔してるよ」そう言って通話を切った。どうやらまた、天王寺が考えた暗号ということにしたらしい。

「何だ、lavatubeって?」

「後はパパが自分で調べろってさ」

 月丸は苦笑いを浮かべるも、携帯電話でその英単語を調べた途端、息を飲むように表情が強張った。

「どうした?」

「溶岩洞だって。たしかムーンパレスは、溶岩洞を利用して作ったんだったよな」

「何だよそれ。じゃあ結局、月に来いってことか?」

「いや」月丸は頭を振る。「地球にも、日本にだって溶岩洞はある。ほら、西園寺さん、月の移住をシミュレーションするために、富士山麓の天然記念物の溶岩洞で、政府から特別に許可をもらって暮らしてた時期があっただろ」

「そういえば」

「そこだよ。そこに行けば、きっと何かあるんだ」

「だとしたら、『太陽は消された』は、この暗号を解くためだったってことになるな」

「うん。何か悪かったな、変なこと思い出させて」

「気にするな」

「気にするさ」

 月丸の表情は冴えない。

「どうした?」

「なあ、西園寺さんはどうして、こんな回りくどいことをするんだ? 最初から溶岩洞へ行くように指示すればいいだけのことだろ」

「たしかにそうだけど、それにもきっと理由があるんだよ」

「そうなのかな。まあいいや。陽介のことが心配だから、様子はどうか鏑木に電話して訊いてみるか」

「溶岩洞に行って何があるか確かめてからでもいいんじゃないか。俺たちと違って、あいつらは今、仕事中なんだからさ」

「それもそうか。そうと決まれば、早く行こう」

「どこへ?」

「決まってるだろ、溶岩洞だよ」

「今から行ったら、こっちに戻ってくるのは夜中になるぞ。西園寺さんがそこに何を用意してるかによっては、日をまたぐ可能性もある」

「何か用事があるのか?」

「いや、大丈夫だけど、多恵ちゃん大丈夫なのか?」

「当たり前だろ。見てろ」

 勇ましく電話を掛けたものの、月丸は予想通り説得に手こずっている。その隙に天王寺はこっそりメールを打ち込み送信した。

『予想したよりスケジュールが前倒しに進んでる。まあ、適当に調整するから心配するな。そっちはどうだ?』

 宇宙にいる鏑木に宛てて。返事はもしかしたらこないかもしれないな、と思いつつ、天王寺は通話を終えた相棒の顔を見た。

「OKもらえた」

 その代わり、交換条件で何かを失ったらしい。月丸は目尻を下げて情けない表情を浮かべていた。

「よし、行くか」

 笑いを堪えながら天王寺はカプチーノを飲み干した。これから山梨県まで約二時間のツーリング。事故を起こすことなく無事に到着するよう気をつけよう、と気合を入れて立ち上がった。

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