第4話 サターンの死

「アース、手伝ってくれないか」

 フェイスシールドを元に戻し、サターンの死顔をみんなの目から遮断したネプチューンが明日真を見た。

「手伝うって何を?」

「いつまでもここに寝かせておくわけにはいかないだろ。そこの部屋が空いてるから、ひとまず安置しておこう」

 ネプチューンは階段を上がってふたつ目の部屋に顎をしゃくる。

「わ、わかった」

 あまり気乗りしないながらも、仕方なく明日真は頷き、円卓の上に上がった。

 宇宙開発が進むにつれ、事故ではなく殺人と思われる死体が見つかるようになってきた。当然、宇宙だからといって犯罪が見過ごされていいわけはなく、地球上と同じような警察組織、法整備が進んでいる。明日真はその中心部で活躍しているが、各国が様々な主張をするために一向に話がまとまわらず苦労していた。ある国では罪でも、他の国では罪を問われないことがあるからだ。

 とはいえ、殺人に関しては世界共通で犯罪であり、サターンが何者かに殺された可能性がある限り、ネプチューンが言う通り死体を安置して、警察に通報しなければならない。

「俺がこっちを持つ。アースは足を持ってくれ」

 サターンの両脇に手を差し込んだネプチューンに命じられ、明日真は分厚いブーツの踵部分を両手でしっかり持った。

「ちょっと待て」

 天井を見上げていたマーズが、睨みつけるようにネプチューンを、マーキュリーを、そして赤い扉を見る。

「自殺でもない限り、あんなところから落ちてこんやろ。そもそも、落ちてくる前から死んでたんとちゃうか? 殺したんやろ? 誰がやったんや? 四人の内の誰か、それとも……」

「いいね、マーズ。楽しくなってきたよ」

 西園寺の声が場違いにはしゃぐ。

「ふざけないでよ!」

 泣きそうな顔をしていたヴィーナスが叫び、マーキュリーが驚いてビクッと身体を震わせた。

「ほんまやで、西園寺さん。人が死んでんのやで。シャレにならんわ」

「怖くなった?」

 笑い声を含んで西園寺は訊く。

「当たり前やろ!」

 今度はマーズが叫んだ。

「だったら、遺産相続を諦めて今すぐ地球へとんぼ帰りすればいいよ。イカロスが出発するまで、まだ時間はある。だけど、それを逃がせば、1ヶ月に一度の定期船が来るだけ」

「地球と交信して、迎えに来てもらえばいいんじゃないですか」

 訊いたのはネプチューンだった。お前もグルだろ、という目でヴィーナスが彼のことを睨む。

「最後の一人が決まるまで、地球との交信は断絶する」

 西園寺は断言した。

「何で、そこまで?」

 わなわなと震える手で顔を覆いながら、マーキュリーが涙声を出す。彼女に対しても、ヴィーナスは猜疑心に満ちた視線を向けていた。

「僕の遺産を継ぐということは、このムーンパレスを守っていくということでしょ。苦労して設備を整えてきたけど、月で暮らすのは生易しいものじゃない。そして僕には夢がある。ここを中継地点にして、人類が火星へ移住できるようにすること。残念ながら僕に与えられた時間はもう少ない。僕の遺志を継いでくれる人に、すべての財産を預けるつもりだよ。その覚悟がないなら、今すぐに帰ったほうがいい」

 それだけのことを言われても、誰も動こうとしなかった。

「泣いてる割に神経図太いな」

 ヴィーナスがマーキュリーに嫌味を言う。

「お互い様だろ」ネプチューンは吐き捨てるように言い、「アース、さっさと運ぼう」と、サターンの上半身を持ち上げた。

「待て。俺もついて行く。アースと2人きりになって殺すつもりかもしれへんからな」

「そうなったら、ライバルが減って願ったり叶ったりじゃないか」

 と笑うネプチューンに明日真はゾッとした。

「冗談だよ、そんなことしないから、さっさと運ぼう」

 そんな言葉、信じられるわけがない。明日真は躊躇した。

「マーズまで行ったら、あたしがこの猫かぶりと二人きりになるじゃん」

 ヴィーナスが不満を口にして、不協和音が流れるのを楽しむように西園寺の笑い声が響く。

「そんなら、みんなで行けばええやん」

「何だよ、それ。アホみたいに」

 マーズの提案にネプチューンは毒づくも、他に反対する者はいない。全員が全員を監視する。急に緊張した空気が張り巡らされたようだった。

「わかったよ。金魚のフンみたいについてくればいいだろ、それで気が済むならさ。図体でかいくせに気は小さいんだな、マーズのおっさん」

 ネプチューンが小バカにして言うも、マーズは意に介した様子を見せない。

「わたしはここで待ってる。気味が悪いから」

 サターンの遺体から顔を背け、マーキュリーは唇を震わせた。それに対してヴィーナスがまたも気にくわなそうな表情を浮かべるも、何も言わずに立ち上がった。

「ホントにみんな、ついてくるつもりかよ。ほらアース、しっかり持てよ。途中で落としたりしたら、枕元に出てくるかもしれないぜ」

「ふざけるな」

 ネプチューンのからかいに明日真は強がるも、サターンの足を持つ手は震えた。重いからではない。せいぜい10数キロだろう。震えるのは恐怖からだ。

 ネプチューンが先に歩き、後ろ向きに階段を上がる。明日真の後ろにマーズとヴィーナスが続いた。EVA用スーツを棺桶にした葬列のようだな、と明日真は不吉な連想をした。

「ちょっと待ってくれ」

 部屋のドアの前で立ち止まると、ネプチューンは片手でサターンを抱き、もう片方の手で引き戸を開けた。

「よし、いいぞ」

 そのまま部屋の中に入って電気を点ける。室内は20畳ほどの広さで、洞穴をそのまま利用したらしく形は歪ではあるものの、天井から壁、床にかけてレゴリスで白く塗り固められているため清潔感があった。ただ、地下にあるため窓はなく、その分だけ圧迫感が感じられる。家具はレゴリス製のベッドと机があるだけ。とても簡素だが、それでもここまで生活する設備が揃っているとは、明日真は想像していなかった。この部屋を作るだけでも何百億円かあるいはそれ以上のコストがかかっていることだろう。

「ここに寝かそう」

 ネプチューンの指示でサターンをベッドの上に仰向けに寝かせた。

「死因は何や?」

 サターンの口元には少し吐血した跡がある。けれど、それだけでは死因はわからない。それを特定できる医者は、皮肉なことにサターン自身だった。

「お前がやったんやろ、白状せえ」

 突然、隙を突いて、マーズがネプチューンの胸倉を掴み、楽々と持ち上げて壁に押し付けた。

「だとしたらどうする? 俺を殺すか? いいさ、サバイバル・ゲームはもう始まってるんだ。やってみろよ。このまま首を絞めろ。お前の体力だったら、残りの三人を殺すのもワケないだろ」

 劣勢に立たされているはずなのに、ネプチューンが余裕の笑みを浮かべているのが明日真には不思議に、不気味に思えた。マーズも不安を覚えたらしい。

「ほんまにやってもええんやぞ」

 そう言いつつも、マーズはネプチューンの胸倉を掴んだままで、手を首に移動させようとはしない。

「そっちがやらないなら、こっちがやるぜ」

 ジャンプスーツのポケットに右手を入れたかと思うと、ネプチューンはさっと何かを取り出して、マーズの首元にかざした。その手には、レゴリス製なのか、真っ白いナイフのような形をした物が握られていた。刃先はマーズの首にギリギリ刺さらない位置で寸止めされている。

「このまま頸動脈をブスッと刺せば、盛大に血を吹くぜ。派手好きなおっさんにお似合いの最期になるんじゃないか」

 にやりと笑うネプチューンの顔は、これでもかというくらいおぞましく見えた。まるで過去にも人殺しをしたことがあるようだ。明日真にはそう思えた。マーズも恐怖に引きつった顔をしている。

「ちょ、ちょっと、本気なの?」

 ヴィーナスがうろたえる。

「本気も何も、俺たちは西園寺さんの遺産を狙うライバルだろ。なあ?」

 ネプチューンがナイフを持つ手に微妙に力を加えたのか、マーズは口を開くのも恐ろしいといった様子だった。

「ねえ、だったら、こうしよう」

 西園寺に聞こえないように配慮したのか、ヴィーナスは声を潜めた。

「誰か一人が残って、遺産は山分け。そうするのはどう? それだったら、殺し合わずに済むでしょ?」

「じゃあ、俺が残る。それで決まりでいいな?」

 にやりと悪だくみするようなネプチューンの顔は、どうにも信用ならないものだった。

「ちょっと待ってよ、それは話し合いで決めましょう」

「何で? まさか俺が裏切って遺産を一人占めするとでも?」

「そ、そうとは言ってないけど……」

 ヴィーナスは口ごもってしまう。

「ほらな、結局、そうなるんだ。お前ら全員、金にがめつい連中だからな。お互いのことなんて信じられないんだろ。だから、殺し合いをして奪い取るしかないんだ。まずは手始めに死んでもらうぜ、マーズ。オラァ!」

 ナイフを持つ手に力を込め、ネプチューンは目を見開いて殺気立って叫んだ。

「きゃあっ!」

 ヴィーナスが悲鳴を上げる。明日真も彼が本気でマーズを殺すつもりだと感じて全身が粟立った。マーズも覚悟したように目をつぶった。しかし、彼の頸動脈から鮮血が飛び散る事態にはならなかった。

「アハハハハハ!」

 ネプチューンの高らかな笑い声が響く。

「冗談だよ、おっさん。俺は、あんたたちとの久しぶりの再会を、もう少し楽しみたいんだ。殺しはしない。さっさと手を離してくれ」

 マーズは安堵のため息を吐くと、バカにされたのを悔しがって顔を歪め、「クソッ」と罵りながら手を離した。

「せっかく、こんな辺鄙(へんぴ)な場所で共同生活を送るんだ。仲よくしようぜ」

 ネプチューンはポケットの中にナイフをしまう。それを狙っていたように、マーズが右ストレートのパンチを放った。衰えや重力の違いがあるとはいえ、さすが元世界チャンピオン。身のこなしが鮮やかだった。ところが、弁慶に対する牛若丸のごとく、ネプチューンは軽々とその攻撃をかわし、ポケットから素早くナイフを取り出すと、その刃先をマーズの脇腹に寸止めした。しーんと静まり返った。まさか避けられると思ってなかったらしく、マーズは面食らい、ごくりと生唾を飲み込んだ。

「血気盛んなおっさんだな。そんなに殺されたいのかよ」

 ネプチューンは、今度は笑わなかった。真顔でマーズを睨みつける姿には凄みがあり、明日真は恐ろしくて膝が震えた。殺されても文句は言えない。自分が無法地帯のジャングルに迷い込んだことを実感した。

「す、すまんかった。ちょ、ちょっとカッとなっただけや。勘弁してくれ」

 マーズの額には汗が噴き出している。

「ふん。何がちょっとだよ。殺すつもりだったくせに。もういい。みんな、さっさと外に出ろ」

 ネプチューンに追い出されるようにして全員が部屋の外に出た。

「薄気味悪いから、ここは閉めておこう」

 引き戸の上部の小窓は内側から遮蔽できるようになっていて、ネプチューンがそれを閉めた。これで、外からはサターンの姿は見えなくなった。

「おい、マーキュリー、どうした?」

 と言うマーズの声に反応して、全員が集会室を見下ろした。マーキュリーが円卓に突っ伏している。泣いているのだろうか? 明日真は最初、そう思った。無理もない。この閉ざされた場所で、目の前に死体が降ってきたら、恐怖と不安で泣きたくもなる。

 明日真は先頭に立って階段を下りた。こんな所に来なければよかった。後悔しながら、マーキュリーの向かいの椅子に座ったときだった。じりじりと雑音が聞こえた。嫌な予感がした。それは的中した。

「マーキュリー、刺殺により失格」

 西園寺の陽気な声が地下洞内にこだまする。

「は?」「何言ってんだ?」「嘘だろ」「そんなはず……」

 驚きの声とともに、全員の視線がマーキュリーに集中した。

「おい、マーキュリー?」

 最初に歩み寄ったのはマーズだった。

「冗談やろ?」

「ちょっと、ふざけないでよ!」 

 不安を無理に拭おうと、ヴィーナスが怒鳴った。

「そんなしょーもないドッキリに引っ掛からへんで」

 マーズが引きつった笑みを浮かべながら、マーキュリーの両肩を掴んで後ろに引いた。その瞬間、悲鳴を上げたヴィーナス以外は全員が息を飲んだ。マーキュリーの左胸にレゴリス製のナイフが突き刺さり、その周辺に血が滲んでいるため、ジャンプスーツの色と混ざって青紫色に変色していた。マーキュリーの目は幽霊でも目撃したように驚きでカッと見開かれ、ただでさえ大きな瞳が今にもこぼれ落ちそうになっている。口の端からたらりと一筋、血が流れていた。

「どけ!」

 ネプチューンがマーズにショルダータックルをくらわせて突き飛ばし、マーキュリーの瞳を覗き込みながら頸動脈に人差指と中指を当てた。それから、その手をマーキュリーの口元に移動させ、何かを諦めたような表情を浮かべて、その手をだらりと下げた。

「ダメだ、死んでる……」

 呟くような死の宣告に、全員が黙り込んだ。やがて、その静寂を破ったのはヴィーナスだった。

「嘘でしょ、何でよ? だって、あたしたち全員、今、あの部屋にいたじゃない。誰も殺す時間はなかった。そうでしょ?」

 放心状態で独り言のようにぶつぶつ呟いたかと思うと、彼女は全身に電気が流れたかのように急にパッと顔を上げ、赤い扉に顔を向けた。

「西園寺さん? 西園寺さんがやったんでしょ? そうでしょ? それしか考えられない。人殺し!」

 ヒステリックに叫ぶ声が空しく響く。それを嘲笑うように、西園寺の声が明るい調子で答えた。

「そうかもしれないね。どうだろう?」

「何でこんなことするの? あたしたちが何かした?」

 ヴィーナスは赤い扉に駆け寄り強引に開けようとするも鍵がかかっているようだ。

「開けなさいよ!」と、扉を手でバンバン叩く。

「逆に訊きたい。きみたちは何かしたのかな?」

 西園寺の口調は一変して、今度は真面目なものになった。ヴィーナスは思わず口をつぐんで手を止め、マーズと明日真を振り返って見回した。

「何だよ、その顔。何か隠し事でもあるのか?」

 ネプチューンが彼女をきつく睨みつける。

「べ、別に何も……」

「ふん、まあいい。それにしても、今運んだばっかりだってのに、葬儀屋にでもなった気分だぜ。おい、マーズのおっさん。ボケッとしてないで手伝え。足を持ってくれ」

 ネプチューンはマーキュリーの瞼をそっと閉じてやると、サターンを運んだのと同じ要領で、彼女の両脇に手を差し込んだ。その淡々とした様子を、明日真は意外な想いで見ていた。先着していたこともあり、てっきりネプチューンとマーキュリーは懇意の仲なのかと思っていたからだ。ただ、サターンのときとは違って瞼を閉じてあげたのは、サターンよりは情けをかけたからだろうか。あるいは女優として生きてきた彼女に無様な姿をさせないようにという配慮だろうか。

「何やねん……」

 すっかり元気を無くした様子で呟きながら、マーズはネプチューンの足を持つ。

「お前らもまたついて来るか?」

 小バカにしたようにネプチューンがヴィーナスと明日真に顔を向けた。いくらバカにされようが、この場に一人で留まるのはごめんだった。ヴィーナスともども、明日真はまた葬列に加わった。

 階段を上がりながら、まるでムーンパレスの管理人のようにネプチューンは説明を始めた。

「安置室からひと部屋おきごとに、下からヴィーナス、マーズ、アースの順番に部屋を割り当てた。荷物ももう運び込んである。部屋の中に鍵があるから、各自で保管するように。鍵はひとつしかないから無くさないでくれよ」

 そして、彼自身が使っているのは一番下、集会室に最も近い部屋とのことだった。

「安置室って……。いくらひと部屋分、隔たりがあっても薄気味悪いんだけど」

 ヴィーナスが不満を漏らす。

「部屋の中や荷物に何か仕組んでへんやろな?」

 マーズに疑惑の目を向けられ、ネプチューンは舌打ちした。

「人が苦労して荷物を運んでやったってのに、随分な言われようだな。何て奴らだ。そんなに疑うなら、好きな部屋に移動すればいいだろ」

「そうさせてもらう。感謝はしとるけど、この特殊な状況やと、自分の身は自分で守らなあかんねん。ちなみに鍵はひとつずつだけなんやろな? どっかにマスターキーがあるんとちゃうか? 嫌やで、寝首かかれんのわ」

「じゃあ、つっかえ棒でも置けばいいだろ。欲しけりゃ、倉庫の中から探してきてやるよ」

 怒りを通り越して呆れ返ったのか、ネプチューンはため息を吐きながら言う。しかし、マーズはお構いなしの様子だった。

「そうしてもらうわ。そんで、倉庫の中も一緒に見させてもらう。お前らも見たいやろ?」

 当然、とばかりに神妙な面持ちを浮かべてヴィーナスは頷き、明日真も同様にした。ヴィーナスはマーキュリー殺しの犯人が西園寺だと疑ったが、他に誰か潜んでいるかもしれない。ムーンリバー計画に参加して、今も生きているメンバーは他にもいるのだから。

「ご勝手にどうぞ」

 ネプチューンはもう一度、ため息を吐くようにそう口にした。

「そのほうが俺の手間も省ける。毒を入れただとか疑われるのはごめんだからな。これから、腹減ったり喉が渇いたら、各自で勝手に倉庫から持って行くようにしようぜ」

 それからマーキュリーの死体をサターンの隣に安置すると、一旦解散して各自の部屋へ移動することになった。

「俺は下で待ってる」

 ネプチューンだけは集会室へ下りて行った。

「あいつと西園寺さんがグルなんや。絶対そうに決まってる」

 3人で階段を上がりながら、ネプチューンに聞こえないようにマーズが囁いた。

「でも、マーキュリーが殺されたのは意外だったな。彼女も先に到着していたから」

 明日真のその言葉にマーズが驚いたように急に立ち止まった。惰性で階段を一歩上がり、明日真とヴィーナスはマーズを見下ろした。

「何よ?」

 これ以上の厄介事はごめんとばかり、ヴィーナスは苛立たしげに訊く。

「殺されたのは、あのときのメンツやないか?」

 恐怖で怯えるマーズとヴィーナスの顔。自分も今、同じような表情を浮かべているに違いないと明日真は思った。

「ただの偶然でしょ」

 不安を無理に払拭するように笑うも、ヴィーナスの顔は引きつっている。

「……だとしたら、ここにいないあいつは? おかしいでしょ。みんな同じ罪を背負ってるんだからさ」

「もうとっくに殺されてるのかも」

 自分が導き出した答えに明日真はゾッとした。

「おい、何を井戸端会議してくれちゃってるんだよ、さっさとしてくれよな」

 下からネプチューンが怒鳴る。

「ねえ、マーズ、あのときのメンツって何のこと?」

 愉快そうに西園寺の声がした瞬間、明日真たちは目を剥いて互いの顔を見回した。盗聴されている!

「ほお、やっぱりお前ら、何か隠し事をしてるんだな?」

 ネプチューンの鋭い声が響いた。

「な、何でもあらへん。盗み聞きするなんて、趣味が悪いで、西園寺さん」

 マーズは誤魔化し笑いを浮かべ、階段を上がり始めた。明日真とヴィーナスもそれに続き、最初に辿り着いたのは彼女に割り当てられた部屋だった。

「気をつけや。毒ガスでも出てくるかもしれへん。ドアは開けっ放しにしといたほうがええで」

 マーズの助言に頷き、ヴィーナスは引き戸を全開にした。安置室よりもひと回り狭く見えるが、置いてある家具は同じだった。ベッドの横に、ベッドよりも面積を占めて大量の荷物が置いてある。

「ちょっと、運ぶの手伝ってよね」

「あの量を? ここを荷物置き場にして、寝る場所だけ変えたらええやん」

「それもそうね。必要な物だけ運ぶ」

「気をつけや。荷物の中にも何か仕込まれてるかもしれへん。毒蛇やら何やら」

「わかった」

 部屋の電気を点けると、ヴィーナスは怖々と慎重に足を踏み入れて行った。

「何か異常があったらすぐに呼ぶんやで」

 マーズはそう言い、明日真と肩を並べて階段を上がる。

「俺の部屋はここか。ほな、また後で」

 マーズと別れ、明日真は自分の部屋へ向かった。引き戸を開けると、うなぎの寝床のように奥に長細い部屋だった。複雑に入り組んだ溶岩洞を利用しているから仕方ないとはいえ、巨大な棺桶を連想させられて、とてもここで寝起きする気にはなれない。ボストンバッグふたつしかない荷物を両手で持ち、ひとつ上の部屋へと移動することにした。

 今度の部屋は十五畳ほどの広さがあり、ほぼ正方形に整っていた。荷物を床に置いて引き戸を閉めると、外の音は完全に遮断された。無音状態で窓もなく、独房に閉じ込められたような錯覚を抱く。マーズがついさっき口にした『毒ガスでも出てくるかもしれへん』という言葉を思い出して、急に怖くなって慌てて引き戸を全開にした。密閉状態で毒ガスなど放出されたらひとたまりもない。かといって、寝るときに引き戸を開けっ放しにしておくのも不安だ。ここにいて心が休まる時間はあるのだろうか? 明日真は暗い気持ちになった。

「どうや、異常あらへんか?」

 ひとつ隔てた階下の部屋からマーズが声を掛けてきた。

「何とも……」

 顔を歪めて明日真は階段を下りた。

「居心地が悪そうだ」

「しゃーないな」

 遺産を継ぐためには、と続きそうな具合にマーズは言い、明日真と一緒に階段を下りた。

「もう引っ越したの?」

 新たな移住部屋からヴィーナスが顔を覗かせる。

「まあな。荷物運びたいなら、後で手伝ったる。ひとまず下に行こうや」

「うん」

 明日真たちが階段を下りる姿を、ネプチューンはバカにしたように唇を歪めながら見つめている。すでに貯蔵庫の扉を全開にして待っていた。

「仲いいな、あんたら」

「余計なお世話や。はよ案内しろ」

「冷たいな。さっき言ってた、あのときのメンツって何だよ、教えろよ」

「あんたには関係ない」

 ヴィーナスが即座にそう言い捨てたけれど、ネプチューンに冷ややかな視線を向けられてたじろいだ。

「まあいい。ついて来な。面白い物なんて何もないけど」

 そう言った通り、貯蔵庫内は食料や日常品が収納された棚が整然と並ぶだけで、特に面白みはなかった。ただ、その広さはサッカーコートが三面はすっぽり収まりそうなほどあり、配送会社の広大な物流センターを思わせた。

「隠し部屋があるかもしれへん」

 マーズが率先して壁をつぶさに調査するも、それらしき隠し扉のようなものは見つからなかった。最も、簡単に見つかるのであれば、それは隠し部屋とは言わないのだが。

「ほら、マーズのおっさん、つっかえ棒。今度から欲しい物があったら、ここから勝手に取って行ってくれ。食べ物や飲み物も揃ってる」

 医薬品もあらゆる病やケガに対応できるよう、様々な物が揃っていた。医者のサターンを失ってしまったのは手痛いものの、とりあえずは生活していくのに困ることはなさそうだと明日真は思った。ただし、故意に毒を盛られたりすれば、命の危機を逃れることはできない。マーズもちょうど同じことを考えているらしかった。

「毒入りとそうでない物、自分にだけわかる印を付けてるんとちゃうやろな」

 真空パックされた食品類を手に取り、疑わしげに見つめる。

「そんなに嫌なら食わなきゃいいだろ」

 機嫌を損ねたのか、ネプチューンはさっさと集会室へ戻ってしまう。それでもマーズは気にすることなく、彼を追って歩きながら続けた。

「天井のドーム部分はどうなってるんや? 誰かがあそこからサターンを落としたんとちゃうか?」

「ああ、うっさい!」

 うんざりした様子で叫ぶと、全員が出てきたのを確認して、ネプチューンは貯蔵庫の扉を閉めた。

「ネプチューン、みんなをドームの中に連れて行ってあげてよ」

 西園寺の声だ。ネプチューンは露骨に面倒くさそうな顔をした。

「いちいちEVA用スーツに着替えて? メンドくさっ!」

「まあそう言わずに。みんなにもムーンパレスのすべてを知ってもらう権利がある」

「はい、そうですか、じゃあ行きましょうか」

 投げやりに言うネプチューンに、ヴィーナスは戸惑った顔を向けた。

「ドームの中って、外に出なきゃ行けないの?」

「当たり前だろ。他にどうやって行けるよ」

 全員が見上げた。たしかにドームの壁面にドアのようなものはない。

「嫌ならここで待ってろ」

「俺は行くで。明日……アースは?」

「行くよ、もちろん」

「じゃあ、あたしも行く」

「疲れる連中だな。ったく、黙ってついて来いよ」

 悪態をつくネプチューンに従い、全員が階段を上がり始めた。最後尾の明日真はふと後ろを振り返る。サターンの落下のせいで真ん中が割れた円卓が、ひどく不吉なものに見えた。その向こうにある赤い扉に目をやる。西園寺の本当の狙いは一体何なのだろうか。遺産相続者を決めるなんて真っ赤な嘘なのではないか。疑心暗鬼に陥り、ここへ来たことを後悔した。それでも、莫大な資産を得る可能性が少しでもある限り、イカロスに乗って地球へとんぼ帰りする気にもなれず、自分の欲深さを呪った。


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