第3話 地球
今年は例年より2週間近く早く梅雨が明けた。遮る雲がなく陽光が照りつける由比ガ浜には、平日だというのに海水浴客の姿が多く見える。その様子を左手に眺め、バイクで国道134号線を走行しながら、自分が住む九十九里もいいけれど、こっちもいいもんだな、と天王寺は思った。できれば遊びで来たかったと思いつつ、ナビに従い右折して住宅街へ入って行く。そこからは速度を落とし、左右を見回しながらバイクを走らせた。
「おい!」
通り過ぎたばかりの家の前から男が呼びかけてきた。天王寺はバイクを停めて振り返る。
「こっちだ、久しぶりだな」
2階建ての家の庭先に停められたジープ・ラングラーのグリル部分に腰を預け、月丸が手を振っている。しばらく見ないうちに老けたな、と思いながら天王寺はそちらへ引き返して、ヘルメットを脱いだ。
「せっかく出迎えてるのに通り過ぎやがって」
「随分、変わったから気づかなかった。最近、サーフィンは?」
「全然。腰を悪くしてさ。海に出ないと、どんどん白くなるから、そこら辺に寝そべって肌を焼くのは怠ってないけど。お前は相変わらずなのか?」
「見ての通りさ」
日焼けした腕を見せて天王寺は笑う。
「こんにちは、久しぶりね」
家の中から姿を見せたのは月丸の妻の多恵(たえ)だ。夫が老け込んだのに対して、黒々とした髪の毛に浅黒い肌、白い歯と若々しさを保っている。
「多恵、悪いけど、こっちにお茶を用意してもらってもいいか?」
広めのデッキに置いてあるテーブルセットを月丸は指差す。その上にはノートパソコンが載っている。
わかった、と頷いて多恵は家の中へ消えた。
「まさか、連絡してすぐにこっちまで来てくれるとは思わなかった」
月丸は椅子に座ると、天王寺にもそうするように促しながら、パソコンを操作した。
「気になるだろ。あんなメールがきて、俺たちだけ置いてけぼりをくらって」
月丸の隣に天王寺は腰掛ける。パソコンの画面を覗き込むと、メールが表示されていた。西園寺からの月への招待状。それが届いたのが5時間ほど前で、それから二時間ほどして月丸から連絡があり、「会おう。そっちに行く」と天王寺が言い出し、今ここにいるというわけだった。
「たしかに地球で置いてけぼりをくったのは俺たちだけだけど、宇宙にも取り残された連中がいる」
「誰?」
「鏑木と陽介」
「ああ、一緒に働いてるんだったな」
「そう。なあ、お前には招待メール以外に何か連絡きてたか?」
「以外って? 何も」
天王寺は頭を振る。確認のため携帯電話を取り出してメール受信ボックスを開くも、西園寺からは『招待』という件名のメールがきているだけだ。
「俺たちには招待メールの後に、『調査依頼』って件名のメールがきてる」
月丸が声を抑えて秘密めかした様子で言ったところで、炭酸水をトレーに載せた多恵が姿を現わした。
「何、久しぶりに会ったと思ったら、2人でこそこそと」
「何でもないよ」
月丸は笑顔を取り繕う。西園寺からのメールの件は多恵には内緒にしているらしい。
「多恵ちゃんがいつまでも若々しくて美人で羨ましいって言ったら、自慢話が止まらなくて困った」
天王寺は月丸を指差して笑う。
「この人がわたしの自慢なんてするわけないじゃない。広海くんは結婚の予定はないの?」
「残念ながら」
「独身貴族か、それこそ羨ましい」
「もういいから、行けよ」
月丸に邪険にされ、ほらね、と言うように天王寺に顰め面をして見せると、多恵は軽やかな足取りで家の中へ入って行った。
「余計なこと言うな」
月丸は天王寺をたしなめる。
「何を話してたのか忘れちまったよ、えっと……」
「鏑木たちにも調査依頼ってメールがきたって話」
そう言いながら、天王寺は炭酸水を口にする。微かなレモンの香りと甘みが広がる。九十九里からノンストップで飛ばしてきたため、生き返るような心地がした。
「そうだ、そのメールが何とも不思議な内容でさ」
月丸はポロシャツの内ポケットから手帳を取り出すと、開いたページを見せてきた。
『1969721256』
という数字の羅列と、
『太陽は消された』
そんな文章がメモ書きされている。
「何だこれ?」
天王寺が顔を上げると、月丸は眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「俺が知りたいよ。数字が俺と鏑木で、こっちの文章が陽介にきたメール」
「何かの暗号かな」
「たぶん。西園寺さんのことだから、何かしら意味のあることなんだろ」
「調査依頼って、宇宙に関することなのかな?」
「さあ、どうだろう。あいつらはずっと宇宙で仕事してるわけじゃないからな。西園寺さんがそれを知ってたなら、地球上にある何かを探してくれって可能性もあるんじゃないか」
「太陽は消された、か。思いつくのはあれしかないけど、まさかな? コードネームが関係してるとしたら……陽介は何て?」
「このメールを見た途端、モニター越しにもわかるくらいに顔面蒼白。気分悪くなって寝込んでるらしい。落ち着いたらまた連絡するって、鏑木が様子を見てる」
「ふーん。それで、西園寺さんの所へは誰が行ってるんだ?」
「わからない。宇宙船には3人が乗ったみたいだけど、個人情報の守秘義務とかで名前を教えてもらえなかった」
「誰だろうな? そもそも、俺たちのメールが遅れたのは西園寺さんの手違いなのか?」
「考えたんだけど、そんなことってあるか? 誰かが意図的にやったんじゃないかって、俺は思うんだけど」
「誰かって?」
「たとえば、西園寺さんの身の回りの世話をして、メールの送信役も務めてる秘書的な奴」
「そいつが、何の意図があってそんなことを? 予定通りメールが届いた連中と、置き去りにされた俺たち。何の違いがある?」
「知るかよ。思いつきで言っただけだから、そんなに責めるな」
「別に責めちゃいないけどさ」
天王寺は紙に書かれた『1969721256』の辺りを人差指でとんとんと叩く。
「お前がここにくるまでに、暗号についてちょっと調べてみたんだ。よくあるのは別の文字を割り当てたり、順序を組み変える方法だな」
「で?」
「まずは『あいうえお』に割り当ててみた。『あ』が1、『い』が2ってな具合にな。それがこれ」
月丸が手帳の次のページを開くと、三つの文章が書かれていた。その一番上に記載されている、
『あけかけきいあいおか』という一文を指差した。
「何だこりゃ?」
天王寺が顔を上げると、月丸は首を傾げていた。
「わからん」
「何だそりゃ」
天王寺は苦笑いして炭酸水を口に運ぶ。
「次は『いろはにほへと』と、アルファベットでやってみた」
「それがこれか」
残りのふたつの文章は、
『いりへりとろいろほへ』
『aifigbabef』
と書かれていた。
「何だこりゃ?」
天王寺が顔を上げる。
「わからん」
月丸が首を傾げ、2人はお手上げとばかりに笑い声を上げた。
「文字の順番を変えたら意味のある文章になるかなって思ったんだけど」
月丸がそんなことを言うものだから、2人は黙り込みシンキング・タイムに入った。
「どうして、わからないんだよ」
しばらく経ってから、月丸が笑い声を上げた。
「現役のミステリー作家だろ」
たしかに天王寺はミステリー作家として活躍している。
「だからって、解くのが得意とは限らない。それに、そんなこと言ったら、お前だって元ミステリー作家だったじゃないか。てんで売れなかったけど」
「売れなかったは余計だ。今は売れてる」
「何を言い争ってるの?」
2人の声はつい大きくなってしまったらしく、多恵が悪戯を見つけたようににやにやしながら顔を見せた。
「何でもないよ」
月丸はまた邪険にしようとするも、考えを変えたようだ。ちらりと天王寺を見てから、暗号が書かれた手帳のページを多恵に向けた。
「実はこれ、天王寺が新作の中で使う暗号らしくて、解けなくてついイラッとしちゃった」
多恵は暗号をじっと見つめる。彼女は独身時代、クロスワードパズルの雑誌を製作していた。そのことを天王寺は思い出した。
「この数字? こっちの『太陽は消された』っていう文章も?」
多恵に訊かれ、どう答えようかと天王寺は視線で月丸に助けを求めた。
「いや、そのヒントはなし。とにかく、この数字と文章の意味が何かってことを考える」
「わからないくせに強情なんだから」
月丸に呆れた顔を向けた多恵は彼の隣に腰かけ、手帳に視線を戻して、顎に指を添えて考え始めた。数字を日本語に変換した、
『あけかけきいあいおか』
『いりへりとろいろほへ』
ふたつの文章を月丸が彼女に見せ、今度は三人での思考時間が訪れた。
「この『太陽は消された』って文章だけど」
しばらくしてから、多恵が口を開いた。
「数字の変換文字から、『たいよう』って言葉を消せば、意味の通じる文章になるってことじゃないかな?」
「なるほど」月丸は感心するも、すぐに渋い表情になった。「じゃあ、『たいよう』が入る文章になるような変換方法を見つけなきゃいけないのか」
「そうね」
多恵は頷く。二人は頭を寄せ合って手帳を見つめ、うんうん唸りながら思考を巡らせる。仲のいい夫婦だな、と見ていた天王寺は、自然に微笑んでしまっていたらしい。
「してやったりって感じね、先生」
ふと顔を上げた多恵が、冗談で睨む顔をしてきた。負けず嫌いに火が点いてしまったらしい。その隣で月丸が天王寺に「お前も考えろ」と無言で促す顔をした。それから何か閃いた表情になり、「ちょっと待てよ」と手帳を見つめる。
「何?」
早く教えて、と急かすように多恵が顔を向けた。
「別に日本語の『たいよう』じゃなくてもいいんじゃないか? 例えば、英語で太陽は『サン』だろ」
「そうか、そうね。たまには冴えたこと言うじゃない。じゃあ早速、世界各国の『太陽』が何ていうか調べてみて」
ノートパソコンを指差して、多恵は月丸に微笑みかける。不服そうにしながらも、月丸はすぐに世界の『太陽』という言葉が一覧で表示されるサイトを開いた。そこに記載された言葉と、変換文章とを全員で見比べる。
「ダメだ、何もない」
多恵が降参とばかりに両手を上げた。けれどすぐ、不敵な笑みを浮かべて天王寺を見た。
「我が家には最終兵器がいるから、まだ勝った気にならないで」
と、『出題者』にあくまでも負けを認めたくないらしい。
「最終兵器って?」
天王寺は苦笑しながら月丸を見る。
「娘だよ」
「ああ、えっと、さくらちゃんだっけ?」
「そう。ミステリー好きで、お前の作品も全部読んでる。犯人の犯行動機がいつも甘いってさ」
「ハハハ」天王寺は乾いた笑い声を発しながら、アルカイック・スマイルを見せた。「今、何歳?」
「8歳。そろそろ学校から帰って来る頃じゃないかな。お前にサインしてもらいたいって言ってたぞ」
月丸がそう言った数分後、「じゃあね、また後で」と、通りから女の子の快活な声が聞こえてきた。
「帰ってきた」多恵が首を伸ばしてジープの向こうの通りを見て、「お帰り」と手を振った。
「ただいま」
ランドセルを背負った、髪の毛をツインテールに結んだ小柄な少女が姿を現わす。小動物のようにつぶらな瞳が多恵にそっくりだった。
「こんにちは」
親から「挨拶しなさい」と言われる前に、さくらは天王寺に会釈した。
「天王寺先生ですか?」
目を輝かせる。
「うん」
犯人の動機づけが甘い天王寺だよ、と心の中で思いながら、天王寺はにこりと笑う。
「サインもらってもいいですか?」
「いいよ」
わーい、と本当によろこんでいるのかはわからないが、さくらは家の中に駆けて行き、天王寺の新作本とマジックペンを持って戻ってきた。
「さくら、これちょっと見て。先生が考えた暗号だって」
天王寺がサインをしている間、月丸夫妻が娘にこれまでのあらましを説明して、助太刀するよう訴える。
「見せて」
月丸から手帳を受け取り、さくらはじっと見つめた。さて、お手並み拝見。大人たちの視線が少女に集まる。さくらはプレッシャーなど感じる様子もなく、ポケットから携帯電話を取り出すと、何かを調べ始めた。
「何かわかったのか?」
「シィ、黙ってて」
ぞんざいに扱われ、月丸がしょげた顔をする。
「わかった」
自信満々、さくらは笑顔で天王寺を見る。
「何?」
サインを終えた本とマジックを返しながら、天王寺は訊いた。
「皆既日食」
それが、さくらが導き出した答えだった。
「え?」「何で?」「どういうこと?」
大人3人が一斉に目を丸くし、驚き、不服、疑問の入り混じった声を発して、さくらを責めるように見つめた。
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