とネガフィルム

「お正月帰らないって連絡きたとき、ついになぎにも反抗期が来たって、二人で喜んでたんだから」

 右手に岩手山を眺める。雲がかかっていて、頂上の方は見えないけれど、それが逆に荘厳な雰囲気を醸し出している。

「なにそれぇ、今更反抗期とか、ないっしょ」

「おせちだって、大きいやつ予約してたのに、全部お母さんと二人で食べたんだぞ」

「ふーん」

「それで、お正月は楽しかった?」

「まあね」

「アンタに訊いたんじゃないよ。みおちゃん、どうだった?」

「えっ、あ ……楽しかったです」

「それならいいんだけどさ、凪、女癖悪いから」

 みおの表情がぎょっとするのを見て、慌てて取り消す。

「な、なに言ってんの」

「だって、昔、中学生のときとか…」

「うるさいうるさい」

 助手席のお母さんのずるそうな笑みを一瞥して、再び外へと視線をそらす。

「それより、昼ごはん、じゃじゃ麺でいい?」

「じゃじゃ麺?それだと、高速降りなきゃいけないだろ?」

「いいじゃん」

「いいけど、どこで食べるんだ?」

「テキトー」

「了解」

 お父さんの口癖の「了解」が出てからしばらくして、車はカーブを描いて高速道路を降りた。


 じゃじゃ麺を前にして、みおは怪訝けげんそうな表情を浮かべている。小さく「いただきます」と言って箸を持つと、肉味噌をつまんで皿の端っこの方の麺にのせ、そのまま箸で麺を持ち上げようとした。

「ああ、これはね、こうやってしっかり混ぜるの」

 私が自分のじゃじゃ麺を混ぜてみせると、みおも同じように麺を混ぜた。

「本当は自分の好みで味付けするんだけどね、最初だから、とりあえずそのまま食べてみて」

「は、はい」

 みおが一口、麺を口に運ぶ。

「それで、酢とかラー油とか、にんにくとか、好きなように入れて食べるの」

「へぇ」

 みおが全員の皿を見回す。お父さんはいつも通り、ラー油を三周分、回しかけている。

「あれは真似しないほうがいいよ」

「じゃあ、ちょっとだけ……」

 みおはラー油を一周、回しかけた。それでも十分辛いと思うけど、みおなら大丈夫だろう。

「どう?澪ちゃん」

「えと、おいしいです」

 まったく、意地の悪い質問だ。そんなふうに訊かれたら、美味しいと答えるしかないに決まっている。

「みお、正直に言いなよ」

「えっ」

「最初からじゃじゃ麺を美味しく食べれる人なんて、いないんだから」

「そうなんですか」

「まあ、それは言いすぎかもしれないけど」

「……なんというか、美味しいんですけど、よくわからないというか…」

「だよねー。でも、何回も食べるうちにこの味がくせになってくるし、トッピングも自分好みになってくから、次食べるときはもっと美味しいと思うよ」

「はぁ」

 と、偉そうに講釈を垂れてみたものの、私だってそんなにたくさん食べてきたわけではない。未だに、自分好みの味にはたどり着いていない。

「あとね、食べ終わったら卵を溶いて、スープにしてもらうんだよ」

 私が説明しようとしたことを、お母さんに取られてしまった。初めて食べる人に色々と教えたくなるのが、じゃじゃ麺という料理らしい。


 両側に迫っていた山が途切れて、急に視界が開けると、遠くの方に街並みが見えてきた。

「とりあえず、道の駅に寄るのか?」

「うん」

「了解」

 最初から、お目当てはその場所だ。理由は、私が景色を見たいから。ただそれだけ。

「コッペパン食べる?」

「まだお腹空かないですけど」

「そっか」

 私はあんことバターが挟まったコッペパンを選んで、一口かじった。

 それを食べ終える頃、車は道の駅の駐車場に停まった。

「みおも降りる?」

「…はい」

 空はすっきりと晴れ渡っていて、爽やかに吹き抜ける風に春の接近を感じる。お父さんとお母さんは建物の中に入っていってしまったので、私はみおの手を取った。華奢きゃしゃなその指先はひんやりとしていたが、みおの手が冷たいのか、私の手が熱いのか、よく分からない。

 私たちは二つの建物の間をくぐり抜ける。その先は広場のようになっていて、その真ん中をまっすぐと一本、タイル張りの歩道が貫いている。その先にあるはずの海の姿は、高い堤防に隠されている。正面の階段から堤防の上に登れば、そこは海を望む場所。

「上、行く?」

「行きます」

「……大丈夫?」

「だって、なぎさんが連れてきたんですから」

「…うん」

 私たちは一歩ずつ、ゆっくりと階段を上った。やがて空が途切れて、水平線が見えて、そしてきらきらとした海が眼下に広がった。潮風がぶわっと正面から吹き付けて、髪を乱す。

 思えば、これはみおと私の運命を巡る旅だったのかもしれない。この場所は、旅の終着点であり、同時にスタートでもあるのだろう。

「きれい…」

 その声を聞いて、私は深く息を吸い込んだ。

「ねえ、写真撮っていい?」

「いいですよ」

 私はカメラを取り出して、みおの背中をファインダー越しに覗く。風になびく髪は、初めて会ったときよりもだいぶ伸びたようだ。その奥には、はっきりと、青く輝く穏やかな海があった。

「みおの故郷はどこ?」

「……釧路」

「きっと、あっちはまだ寒いだろうね」

「そうですね」

「今度は、二人でみおの故郷に行かない?」

「…もちろんです」

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