訳あり少女と

 人生初の新幹線も、景色を楽しむことはなく、視界はアイマスクで真っ黒に覆われている。正直、動いているのかどうかすら分からないが、音だけでかろうじて、凄まじいスピードで移動しているであろうことが分かる。

「もう少しで青函トンネルだってさ」

「え、もうですか」

「うん。……アイマスク取る?」

「……いや、いいです」

 間もなく風切り音が低い音へと変わって、地球の腹の中へと入り込んでいくのを感じる。

 昨日の夜はほとんど眠れなかった。きっと、修学旅行の前日に目が冴えてしまう子供と同じような状態だったのだろう。不意に、小学校の修学旅行を思い出してしまった。行き先は確か、札幌だったはず。テレビ塔の上から、大通公園を見下ろす景色が、おぼろげに浮かんでくる。私の隣には、……誰だっけ。誰か、誰かがいて、その子は――


 ――後ろから誰かの声が聞こえた気がして、よく耳を凝らす。

「……おー!」

「…みおー!」

 私を呼ぶ声だ。私は反射的に振り返る。視線の高さまで完璧 ……ではなかった。視線を下の方へと修正すると、その先にはいつもの顔が ……いや、違うかもしれない。いつも見ている顔ではない。遠い昔に見た顔だ。ずっと昔から一緒にいたはずなのに、今は一緒にいないのって、なんでだっけ。

 その子がこっちに駆け寄ってくるのと、私が身を屈めるのが重なって、鼻先同士がぶつかりそうになった。

「おっとごめん、お父さんとお母さん見なかった?」

「誰の?」

「……の」

「いや、見てないけど」

「そっかあ。みおのお父さんとお母さんはいるんだけどね」

「え、そうなの?」

「うん。あ、そうだ、さっきね、小学校の修学旅行のこと思い出してたの!みおも憶えてるよね?」

「も、もちろん」

「夏だったから、円山動物園のユキウサギの毛が茶色くて、残念がってたよね」

「そうだっけ?」

「えー憶えてないじゃん」

「お、憶えてるよ。ほら、テレビ塔に上ったとき、すごい怖がってたよね」

「だって高かったもん」

「ずっと私の手、握ってたもんね」

「それは別に怖かったからじゃないもん。今だって、ほら、握れるよ」

「どういうこと」

「みお、そろそろトンネル出るよ」

「な、なんの話…」

 私の言葉を遮るように、唇が重なった。思わず目をつむる。


 慌ててもう一度目を開くと、そこにはもう誰もいなかった。代わりに、真っ暗闇の世界が広がっている。その暗闇が耐えられなくなって、ついにアイマスクを外してしまった。

「あ、お、おはよーぅ」

「…いまどこですか」

「えっと、さっき青函トンネル抜けたとこ」

「……」

「アイマスク、つけなくていいの?」

「……大丈夫です。どうせ、速すぎて何も見えませんよ」

「そっか」

 もちろん、そんなことはないと分かっている。いくら速くても、遠くの景色はゆっくり見えるはずだ。それでも、暗闇の世界にこれ以上閉じ込められるのは嫌だった。

「ここなら、空しか見えないんじゃない?」

 なぎさんが自分の膝をぽんぽんと叩く。

「…そうですね」

 私はその場所めがけて体を倒した。

「青森についたら起こしてください」

「うん」


 なぎさんに起こされる前に、車内放送で目が覚める。夢を見た記憶はない。

 ここはなぎさんの故郷。でも、今日の目的地はここではない。目指すのはなぎさんの両親の故郷。新幹線を降りたら、なぎさんの両親の車で岩手に向かうらしい。

「どのぐらいかかるんですか」

「うーん、四時間くらいかな」

「へぇ」

「多分、盛岡あたりで昼ごはんかな。何食べたい?冷麺?じゃじゃ麺?」

「寒いから、じゃじゃ麺で」

 本当はじゃじゃ麺がどんな料理かなんて知らない。ただ、冷麺が冷たいのは分かるので、冷たくなさそうなじゃじゃ麺を選んだだけだ。

「あの、どんな場所なんですか、今から行くの」

「…きれいな場所だよ」

 きれいな場所、かあ。見知らぬ「きれいな場所」に思いを馳せる。そこに感じる憧憬しょうけいのようなものが、旅の始まりを予感させた。

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