風雪のクリスマスディナー

 バイトが終わって外に出ると、街は雪景色に変わっていた。このまま降り続ければ、明日の朝にはかなり積もっているだろう。

 歩いている間にだんだんと吹雪いてきて、前を向くことも辛くなった。顔に雪が吹き付けると、凍りつきそうなほど痛いので、なるべく顔を下に向けて、やっとの思いで家にたどり着く。

 きしむ外階段を、滑らないよう慎重に上れば、そこはもう部屋の目の前だ。ようやく屋根のある場所まで来たので、具合を確かめるようにゆっくりと顔を上げると、部屋の扉にもたれ掛かる人影が目に入る。

 まずい、油断していた。こんな時間に部屋の前で待ち伏せする人間なんて、絶対危ないに決まっている。即座にきびすを返したが、後ろから腕を掴まれた。どうしよう、こんなときは大声を出せと言うが、声は全く出なかった。腕を振りほどくか、それともかかとで蹴りを入れるか、などと一瞬の間に考えていると、風の音を切り裂くように声が聞こえた。

「みお」

 私は反射的に振り返る。視線の高さまで完璧に。その視線の先にはいつものなぎさんの顔が、……じゃなかった。何やら不格好な赤い帽子を被っている。どう見ても似合わない。

「なんで……」

 疑問点はたくさんあるけれど、その中でも最大の疑問をぶつける。

「…なんで、私の家、知ってるんですか」

「それは ……サンタクロースだから」

 一つ目の疑問が解決されないうちに、次の疑問が湧き出てくる。

「いつからいたんですか」

「えっと…」

 なぎさんがスマホで時間を確認する。

「一時間くらい …かな、多分」

「えっ、この雪の中で …ですか?」

「まぁ、別に、屋根があるから、大したことはなかったけど…」

 だんだんと冷静になってきて、まだ腕を掴まれていることに気づく。

「中、入るんですか」

「…だめ?」

「……まあ、いいですけど」


 鍵を開けて、掴まれている腕をそのまま引っ張りながら中に入る。暖かさを期待していたが、暖房のついていない室内がそんなに暖かいはずはなかった。

「あの、そろそろ離してくれませんか」

「あ、ごめん」

「お風呂沸かすんで、まっててください」

「うん」

 貰ってきたお弁当を冷蔵庫にしまってから、風呂場の給湯器を操作する。普段、湯船に浸かることはほとんどないので、お湯を出すのに少し手こずってしまった。

「その辺に座っててください」

「う、うん」

 立ちすくむなぎさんを座らせてから、ストーブのスイッチをつける。それから、冷蔵庫やキッチンの引き出しの中を、何往復か確認する。

「晩ごはん、食べました?」

「まだだけど、気にしなくていいよ」

「…人の家の前で待ち伏せしといて、気にするな、は無いですよ」

「む……」

「鍋でいいですか?具材少ないですけど」

「うん …ありがと」

「お風呂、ご飯のあとでいいですよね」

「え、私も風呂入るの?」

「そりゃそうですよ」

「じゃあ… 食べてからで」

「すぐできるんで、待っててください」

「うん」


 適当なタオルを鍋敷きにして、テーブルに鍋を置く。なぎさんにお椀を渡して、私は何も言わずに食べ始めた。話があるなら、なぎさんの方から会話を始めるべきだ。そう思っていると、なぎさんはお椀を置いて話し始めた。

「今日クリスマスでしょ?」

「……そうですね」

 これ見よがしにそんな帽子を被っておいて、今更そんな確認をしないでほしい。

「だから、プレゼント持ってきた」

「プレゼント?」

 なぎさんはバッグから、中から赤と緑のチェック柄の紙袋を取り出した。

「はい、メリークリスマス」

「…なんですか、これ」

「開けてみていいよ」

 言われた通りに紙袋を開く。中身はさらに白い紙に包まれている。その紙を丁寧に剥がす。…これは、鹿?……いや、トナカイか。今日がクリスマスじゃなければ、トナカイだと気づかなかったかもしれない。まあでも、悪くないかも。

「ありがとうございます」

「うん。それじゃ、そろそろこれ脱いでもいいよね」

 なぎさんは帽子を脱いでバッグに掛けてから、お椀と箸を手に持った。

「いただきます」

 食べ進めるにつれて、なぎさんの顔に血色が戻ってくる。もとの顔が青白すぎたせいで、もはや真っ赤に見える。トナカイの鼻のように。

「そうだ、お正月って予定ないよね」

「ないですけど」

 予定がないことを前提に訊かないでほしい。まあ、ないんだけど。

「じゃあ、初詣とか行かない?」

「え、なぎさん、実家に帰るんじゃないんですか」

「大丈夫、どうせ三月にも帰るから」

「そ、そうなんですね」

「そう。で、行くよね?」

「は、はい」

 私の返事を聞くと、なぎさんは鶏肉を頬張って、満足そうに笑みを浮かべた。さっきまで脳裏にこびりついていたはずの疑問と不審は、もはやきれいに剥がれ落ちて、訊こうとしていたことすら忘れてしまった。


「皿洗うよ、私」

「いや、先にお風呂入ってください」

「みおが先に入りなよ」

「いいから早く入ってください」

「…はぁい」

 なかなかお風呂に入ろうとしない子供か、あるいは妹をお風呂に入れさせているような気分だ。もちろん、子供も妹もいたことはないのだけれど。

「あ、脱衣所ないんで、そっちの寝室使ってください」

「え、もう一つ部屋あんの?すごーい!1LDKってこと?しかも和室じゃん!」

 近所迷惑になりそうなほどはしゃいでいる。

「あ、これ!」

 遠くに離れていた声が、キッチンの方へと戻って来る。なぎさんはくまのぬいぐるみを抱えていた。

「これ、置いててくれたんだぁ」

「そりゃ、しまい込んでる方が変じゃないですか」

「うんうん。ってか、ボロボロだね」

「半年も置いてればボロボロになりますって」

「そうかな」

「早く風呂入ってください」

「はいはい」

 ああ、枕元のぬいぐるみの存在を忘れていた。……まあ、いいか。皿を洗い終えて、もらった鹿、もといトナカイを持ち上げて眺める。カーテンを少しだけ開けると、冷気がひやっと入り込んでくる。私は窓際にそのトナカイを置いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る