第五章 過去を見つめて

潮風 / 深慮

 夕暮れとともに降り始めた雪は、強まることも弱まることもなく、光に彩られた街を静かに祝福している。柚希ゆずきが持つお汁粉から立ち上る湯気の奥に、巨大なクリスマスツリーが燦々さんさんと輝く。海から吹く風に身が縮み上がって、それを解きほぐすように、ホットチョコレートを一口含んだ。

「寒いねぇ」

「一回、建物の中入ろっか?」

「そうだね、そうしよう」

 レンガ造りの倉庫を改装したショッピングモールへと、逃げるように駆け込む。生ぬるい空気が凍てついた顔面を融かす。私はマフラーを少し緩めて、蒸れた首元を換気した。

 建物内もすっかりクリスマス仕様に飾られている。雑貨屋では、サンタクロースを模した小物などがたくさん売られている。

「これ、買おうかな」

「トナカイ好きなの?」

「いや、私はフツーだけど…」

「ふぅん」

 柚希を雑貨屋の外に待たせて、トナカイの置物を買う。いかにもなクリスマス柄の紙袋に包まれたそれを、丁寧にバッグにしまった。

「あれはいいの?」

 柚希が別の雑貨屋のほうを指差す。

「あれって、どれ?」

「サンタの帽子」

「なんでだよ」

「似合いそうだから」

 本当に?本当に似合いそう?似合うという言葉に弱い私は、ニット帽を外してから、その赤いとんがり帽子を被ってみせた。

「どう?」

「いいじゃん」

 良いと言われてしまったら、買うしかない。会計を済ませたあと、少し迷ってから、店員さんに値札を切ってもらった。それから、さっきまで被っていたニット帽をしまって、代わりにサンタの帽子を被った。


 もうすぐ花火が打ち上がるらしいので、私たちは再び外へ出て、海を目の前にしたベンチに腰掛けた。さっき緩めたマフラーを巻き直して、帽子を深く被る。

なぎって、兄弟とかいたっけ」

「いや、いないけど」

「そっか」

「なんで?」

「えーっと ……凪は兄弟とか姉妹とか、欲しいなって思ったことある?」

 そんなこと、考えたこともなかった。両親は私を大事にしてくれたし、寂しい思いをすることもなかった。

「別に、欲しくないかな」

「ふーん」

 周囲のざわめきは、花火を待ち望むように静まりつつあった。そこに冷たい風が吹き抜けて、思わず身が震え上がった。

「わたしさ、凪とか怜奈れいなのこと、妹みたいなもんだと思ってるんだよね」

「へ?」

 予想外の話の展開に、間の抜けた声が出てしまった。

「凪はさ、目を離したらふらふらっとどっか行っちゃいそうな感じとかが、妹っぽい」

「そんなことない」

 子供っぽいと思われているようで、すこしムッとする。私がそれを花火までの場繋ぎの冗談として受け取ろうとしたとき、柚希が再び口を開く。

「わたし、妹がいたんだ」

 過去形に突っ込む暇もなく、柚希が続ける。

「昔の話ね。わたしがまだちっちゃい頃にいなくなった。川遊び中にね」

 私はどう返事するべきか分からず、柚希の表情を伺う。柚希の目から、すぐに凍りついてしまいそうなほど小さな雫がこぼれて、頬を伝った。柚希はそれをさっと振り払ってから、無理やりっぽく笑みを見せた。

「ごめん、この話すると絶対泣いちゃうから、今まで話してこなかったんだけど、友達のこと一方的に妹扱いしてるのって、ヘンだと思うから、いつかは話したいと思ってた」

「そ、そう」

「だから、これからもそういう関係でいいかなっていう、確認なんだけど…」

 柚希の声は、なんとなく恥ずかしそうに、段々と小さくなった。そういう関係っていうのは、つまり、これからも変わらないってことだろう。それなら、全く問題なんてあるはずがない。

「…わかった。これからもよろしくね、おねーちゃんっ」

 わざと子供っぽい声を使って、冗談交じりに呼んだつもりだったが、柚希はさっきよりも大きな涙をこぼした。それから同じように手で払って、笑顔を見せた。その笑顔は、さっきよりは本物っぽい感じがした。

「はいっ、わたしの話はおしまい」

 柚希が本をたたむように、両手を合わせる。

「次、凪の番ね」

「えっ、何か言うことあったかな…」

「言うことというか、やることというか…… ほら、行くとこがあるでしょ」

「……?」

「今日さ、ほんとはみおも誘ってたんだけど、断られちゃった」

「あー…」

 みおが断った理由が、私には分かる。真っ黒な海の水面に泳ぐイルミネーションの光が、目障りに輝いて見えた。

「怜奈と美咲みさきさんは誘わなかったの?」

「あの二人は家族がいるでしょ。だから、一人暮らし三人衆で集まろうと思ったんだけど」

 なるほど、独身同士で傷を舐め合おうということか。どうせ数日後にはみんな帰省しているだろうに。……違う、みおだけは違う。

「つまり、何が言いたいかっていうと、澪の所に行けってこと」

「…え、今から?」

「そりゃもちろん。そのプレゼント、今日渡さないと、明日にはもうクリスマスじゃないんだよ?」

 柚希が私のバッグを指差す。それから、スマホを取り出して何かを調べだした。

「柚希はどうするの?」

「わたしは花火見ていく」

「それは私も見るけど」

「でも、花火見てから帰ると、あっちに着く頃にはもう遅い時間だから、きっと迷惑じゃない?もし今から十分後のバスに乗れば、もっと早く着くけどね」

「じゃあ ……柚希も一緒に行こ」

「今更なに言ってんのさ。二人で港まつりだって行ったくせにね」

「なんでそれを…」

「あの日、澪に会ったから。トイレの前で、ばったりね」

「そ、そうだったんだ」

「そうそう、この前は水族館に行ったんだって?」

「うっ …怜奈から聞いたの?」

「さあ、どうでしょう」

 柚希になじられているようで、肩をすぼめるしかなかった。

「ほら、早く行きなよ、澪が待ってる」

「でも…」

 私が喋ろうとするところを、柚希が手で制する。

「来年の花火大会は、みんなで行こうね」

「……」

「さ、走って行きな。乗り遅れるよ」

「……うん。次は多分、年明けかな」

「そうだね。じゃ、良いお年を」

「…良いお年を」

 私は柚希に背を向けて、走り出す。後ろで花火の音がする。すでに素早く脈打っていた心臓は、足の速度が上がるにつれて、どんどん頂点に近づいていった。

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