一水四見

 白と黒のツートンカラーに、黄色のアクセントを携えたペンギンの大行進が繰り広げられている。顔だけ見れば凛々りりしささえ感じられる風貌だが、その歩き方はまさに可愛さの象徴だ。ああ、あのぷにぷにのお腹に触ってみたい。あわよくば、顔面から飛び込みたい。

 最初の大きなペンギンに続いて、小さめのペンギンが登場した。小さいながらも一生懸命に羽を八の字に開いて、鳥類としての矜持きょうじを見せつけているような様子もかわいい。

 一羽ずつに注目しても、全体の流れを目で追っても、可愛さと愛おしさで溢れていた。天国にも川が流れているとしたら、きっとこんな感じだろう、なんて思っていると、時間はあっという間に過ぎて、お昼の時間になった。


 昼ご飯を食べてから、イルカショーなどを見て、ようやく水族館のメインの部分へとたどり着いた。暗い室内を上っていくエスカレーターから、下の水面を覗き込む。魚の群れを観察していると、その塊が急に二つに割れて、視界の端から大きな影が入り込んできた。

「なぎさん、サメですよ」

「うん、サメだねぇ」

「あの魚、サメに食べられたりしないんですかね」

「うーん、大丈夫なんじゃない?多分」

「まあ、そうですよね」

 サメの泳ぎを目で追っていると、底の方を這うように泳ぐ大きな影が目に入ってきた。サメが通ったあとの水面は揺らいでいて、その形を不明瞭にしていたが、だんだんと波が収まってくると、それがエイであることが分かった。

「エイもいますよ」

「ほんとだ、意外と大きいね」

 水槽を見つめるなぎさんの表情は、夏休み中に見た表情とは違っていた。それはゲームセンターで見た横顔に似ていて、たった半年前のことながら懐かしさを覚えた。それはきっと、目の前のことを純粋に楽しむ表情なのだと、今なら理解できる。多分私も、同じような表情をしているから。


 水族館の中をあっという間に見終わって、気づけばお土産屋さんの中にいた。

怜奈れいなにお土産買ってかないとね」

「そうですね」

「口止め …じゃなくて、駅まで送ってくれたお礼にね」

 なぎさんは、いろんな海の生き物がプリントされたクッキーを手に取る。

柚希ゆずきさんと美咲みさきさんの分は買わないんですか?」

「そ、そうだね、買おう。あ、みおは何が欲しい?」

「私ですか?」

「そう、例えば、ぬいぐるみとか」

 なぎさんが指さした先には、大小さまざまなぬいぐるみが山積みにされていた。イルカ、サメ、メンダコ、それからペンギン。もちもちのペンギンを見て、ペンギンのパレードを思い出した。そうだ、私はあのお腹に飛び込みたかったんだ。

「これにします」

 私は二番目に大きなペンギンのぬいぐるみを両手で持ち上げた。

「それでいいの?」

「えっ」

「こっちじゃなくて、本当にいいの?」

 なぎさんは、いちばん大きなペンギンのぬいぐるみに手を置いた。

「でも…」

「ほら、大は小を兼ねるって言うでしょ」

 そのペンギンを持ち上げたなぎさんは、そのまま私の腕の間に乗せた。ずっしりと重さを感じて、胸が包みこまれるような心地だ。このまま顔を埋めてしまいたい衝動を我慢して、最初に手に取ったペンギンに申し訳ない気持ちを抱きつつ、それを棚に戻した。

「……じゃあ、これにします」


 なぎさんはそのまま膝に乗せていてもいいと言っていたけれど、さすがにちょっと恥ずかしいので、ペンギンには網棚の上に寝てもらった。

「なぎさん、ありがとうございました」

「あ、うん、大事にしてね」

 なぎさんはぬいぐるみのことだと理解したようだけど、私の感謝はそこにとどまるものではない。でも、それを訂正する必要はないだろう。

 真っ暗な視界の中、心地よい振動だけを感じて、疲労した体を目覚めさせておくことができなかった。徐々に遠のく意識の中に、きょう一日の光景が走馬灯のように駆け抜けていった。


 甲高い音が何度も耳をつんざく。そのたびに脳の興奮が高まる一方、体はなかなか動き出そうとしない。私が立ちすくんでいると、その体を目覚めさせるように、横から声が飛んできた。

みお、早く小学校まで行きなさい」

「お父さんは?」

「この時間なら、もう港まで戻ってると思うけど、きっとすぐ沖まで行くと思うから、大丈夫」

「おばあちゃんは?」

「今から車で迎えに行く」

「私も一緒に行く」

「だめ、澪は小学校に行きなさい」

「でも…」

「大丈夫、後でまた会えるから、ね」

 お母さんがそう言って私の頭を撫でる。

「さ、行くよ」

 お母さんはテレビのスイッチを消して、私の手を取る。横倒しになった棚などを踏み越え、ガラスの破片を避けながら、二人で外に出る。ふだんは静かな住宅街に、ざわめきが漂っていた。

 お母さんは私の手を離して、そのまま車のドアに手をかけた。

「ほら、早く走って行きなさい」

「…うん」

 私はお母さんに背を向けて、走り出す。後ろで車のエンジン音がする。すでに素早く脈打っていた心臓は、足の速度が上がるにつれて、どんどん限界に近づいていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る