秋、錯乱

 晩秋の寒々しい景色が流れていく中、遠い夏の記憶を辿っていた。遠い夏とは言っても、ほんの数ヶ月前のことだが、このごろ体に感じる寒さと、記憶の中の気温との乖離かいりが、時間的な隔絶を感じさせるのだろう。

 港まつりから始まった夏休みには、さして大きなイベントはなかったし、旅行などもしていない。それでも、思い出と呼べるものは確かに積み上がっていた。それを一つずつ拾い上げて眺めると、そこにはいつもみおの姿があった。もちろん、柚希ゆずき怜奈れいな美咲みさきさんもそこにいたことを、忘れているわけではないのだけれど。

 思えばこの夏は、バーベキューやハイキングなど、いろいろと企図きとして、多くを実行に移した。それは去年までの夏とは、量も性質も異なっていた。夏といえば山か海だが、今夏のアルバムに海の風景はない。


「この辺で停めるか?」

 運転席から怜奈の声がするのがいまだに新鮮だ。

 道路脇の小さな駐車スペースに停まる。車を降りて、改めて車体を眺める。こう言ってはなんだが、美咲さんの車に比べると、随分と立派だ。初心者マークがなんとも不釣り合いである。それから、定員も五人ということで、非常に都合が良い。

「きれーい」

 熊鈴をチリンチリリンと鳴らしながら、柚希が歩き回って川の対岸を眺める。

 渓流の向こうの崖は、白い岩肌がむき出しになっていて、その上のほうで赤や黄色に色づいた木々が彩りを添えている。看板には「屏風崖びょうぶがけ」と書いてある。

「写真撮ろっか」

 美咲さんが一眼レフでその風景を捉える。以前の私なら、同じようにしていただろう。しかし今、私のレンズの先にはみおがいる。

「これでいいですか」

「オッケー」

 この頃は、みおも写真慣れしてきた。柚希によるポージング指導のおかげだろう。

 ファインダー越しにみおの姿を覗いて、シャッターを切る。カシャッというシャッター音に続けて、後ろからピピッと音がする。柚希のカメラが私の背中を捉える音だ。私が撮り終わるまで待ってくれればいいのに、と何度も言ってきたが、柚希は「これでいい」と答えるだけだった。


 車はくねくねとした山道を、さらに上流へ向けて進んでいく。道幅はさらに狭くなった上、落ち葉が路面を埋めて、獣道の様相を呈してきた。

「こっち路肩ギリギリだよ」

「美咲、うるさい。お前は母親か」

 助手席から飛んでくる小言を、怜奈は軽くあしらう。

 さらに狭い脇道へと入ってしばらく進むと、駐車場らしき平場があった。一応、アスファルトの舗装はあるが、ひび割れがひどく、その割れ目から草がぼうぼうに生えている。車を降りた柚希は、鈴だけでは飽き足らず、ホイッスルまで吹き始めた。

 川に小さな橋が架かっていて、その先は広場になっている。枯れ草に覆われたその広場からは、ダムの堤体ていたいを望むことができた。堤体という言葉は、怜奈が何度も口にしていたせいで覚えてしまった。

 なるほど、怜奈のお目当てはこれだったらしい。珍しくスマホを構えて写真を撮っている。みおと美咲さんも、意外とダムに夢中だ。巨大なものがあると見上げずにはいられないというのが、人間のさがだろうか。

 柚希はダムにはあまり興味がないらしく、橋の手すりに寄りかかって、三人の姿を後ろから眺めている。私もその隣についた。

「柚希、ここで写真撮ってよ」

「なんで?」

「紅葉が綺麗きれいだから」

「ふぅん。この橋の上で撮るの?」

「そう」

「うーん ……まあ、いっか。じゃあ、そこに立って」

 柚希は、橋の真ん中より少し端のあたりを指差した。私がそこに立つと、柚希は斜めのほうからローアングルで私を写した。

「それじゃ川が写らないよね」

「いいの」

 柚希は立ち上がって、膝に付いた落ち葉を払ったあと、今しがた撮った写真を私に見せた。空の比率が多くて、肝心の紅葉もあまり写っていない。柚希にしては構図が微妙な気がするけど、きっとロケーションが良くないのだろう。

「こうやって撮るの、久しぶりじゃない?」

「そうかなぁ。いつも撮ってると思うけど」

「でも…」

「ほら、来たよ」

 向こうの三人組が戻ってきて、それっきり会話が途切れてしまった。

 思い返すと、夏の記憶の中には小さなわだかまりがあった。それが解消されることを、この会話の中に望んでいたのかもしれない。私はみおの方を向きながら、それでいて、柚希には正面からこちらを見続けてほしいと願っている。一方では関係が変化することを望みつつ、もう一方では変わらない関係を求めている。こういうのを何と呼ぶのだろうか。ジレンマ?わがまま?浮気?いやそれは違うか。


「ダムはいい感じに撮れた?」

「まあまあだな」

「それで、もう帰るの?」

「ああ」

「じゃあ、帰りに大沼寄らない?」

「いいですね!そうだ、団子も食べてこうよ」

「紅葉撮るんじゃなかったのか?」

「どっちもだってぇ」

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