夏、交錯

 八月の幕開けの日。太陽が山の端に隠れても、うだるような暑さが続いている。みおのその服装も、今日のような日には実にぴったりだろう。歩行者天国となった通りには、人の群れがひしめき合っていて、暑苦しさを増幅させている。

「お腹すいたぁー。何食べる?」

 通り沿いにずらっと並んだ屋台を、みおがきょろきょろと見回す。

「じゃあ ……あのタコスとか」

「いいね」

 タコスを売る小さなキッチンカーには、他の屋台と違って行列がなかった。タコス一つ、と頼もうとしたが、メニューにはタコスという文字がない。代わりに、聞いたことのないようなカタカナの料理名が並んでいる。

「あの、一番ノーマルなタコスはどれですか?」

「ノーマルなんてないよぉ。全部が特別だからね」

「はぁ…… じゃあ、おすすめのやつで」

「全部オススメ」

「もう…… 一番売れているやつは?」

「どれも売れてない」

「ああもう、これでいいです、カルニータス?ってやつ」

「はい800円」

 ソフトなトルティーヤに、繊維状にほぐされた肉がぎっしりと挟んである。それをみおに渡すと、何か言いたげな様子だったが、小さく「ありがとうございます」とだけつぶやいて受け取った。

「いただきます」

 みおがタコスを頬張る。

「美味しい?」

「はい」

「じゃあ私にも頂戴」

 腰を落とし、口を大きく開けて待ち構える。

 少し躊躇ためらってから、みおは私の口にタコスを運んだ。誤算だったのは、かじっていない方をこちらに差し出してきたことだった。大きめに一口、タコスをかじる。

「辛っ」

 唐辛子の強烈な辛味が舌を刺す。サルサソースというやつだろうか。

「みおは平気なの?」

「まぁ、ちょうどいい辛さだと思います」

 飲み込むと、今度は喉がピリピリする。思わずむせ返ってしまった。

「げほっ、辛あー」

 みおは小さく首をかしげてから、二口目を口に運んだ。

「ちょっと飲み物買ってくる。みおも、好きなもの買ってきな」

 財布から千円札を取り出して、みおに突き出す。

「いや、大丈夫ですって」

 手のひらで押し返される。今度は明確に拒否されてしまった。それでも、みおの手に千円札を無理やり押し付けて、急いで飲み物を探しに行くふりをしてその場を離れた。

「ちょっと」

 後ろからみおの声が、小さくもはっきりと聞こえた。


 にぎやかな大通りを離れて路地に入っていた。ここにも屋台がまばらにあって、それぞれに僅かな人だかりができている。そのうちの一つで、トロピカルジュースと銘打った詳細不明の飲み物を買った。カップには氷がぎっしりと詰まっている。ストローで一口吸い上げると、かき氷のシロップを薄めたような微妙な甘さを感じて、失敗を悟った。

 チョコバナナかりんご飴でも買って甘さを補充しよう。そう考えながら、もとの大通りへ戻ろうと歩き始めたとき、見慣れた姿が目に入った。小さくても案外気がつくものだな、なんて失礼なことを思っていると、向こうもこちらに気づいたようだった。

「よお」

「よ、って、なんでいんだ?」

「なんで、って?」

「だって、柚希ゆずきが『なぎに断られた』って言ってたぞ」

「あー……」

 そういえば、夏休みに入る直前に、柚希から誘われていたんだった。それより前にみおと約束していたから、誘いを断っていた。そのときに、なぜ柚希も入れて三人で行こう、という考えに至らなかったのか、思い出せない。

「ま、私にはどうでもいいんだけどさぁ」

「うん ……ってそれ、ビール?」

「そうだが?」

「二十歳になったの?」

「ついこの前な」

「まさか三人の中で怜奈れいなが一番年上だったとは」

「そうだぞ。年上を敬え。いや、それはいいけど」

「年齢確認されなかった?」

「おい、どういう意味だよ、それぇ」

 偶然の出会いに浸っていたいところだが、このまま話に花を咲かせているわけにもいかない。みおを待たせているのも悪いし、なにより、柚希に見つかるとバツが悪い。

「そろそろ行くわ」

「おい、逃げんなぁ」

 よくわからない怒号を背にして歩き出す。まさか、もう酔っているのだろうか。このまま置いていくのも心配だが、柚希がいるなら大丈夫だろう。


「ごめんおまたせー。何食べてた?」

「ガーリックシュリンプです」

 一つどうぞという具合に、容器をこちらに向けてくる。おいしそう。じゃなくて、エビアレルギーだった。

「私はいいよ」

 みおが腕を引っ込める。そんなにしょんぼりした顔をしないでほしい。そういえば、この前からみおの表情がわかりやすい。この前というのは、美咲みさきさんのところに行った日のことだ。そのときの表情を見て、つい焦らすような真似をしてしまった。犬にマテを言うときと同じ感情だったかもしれない。

「食べる?」

 お詫びの印に、チョコバナナの先端のいちばん美味しい部分を譲ることにした。みおにその意図が伝わることはないだろうが、みおはこちらをにらみながら、乱暴に大きくかじった。

「あ、そろそろ花火だ」

 ふとスマホで時間を確認すると、いつの間にか花火の打ち上げ時間まであと数分に迫っていた。人のかたまりが大きなうねりを伴って流れていき、屋台の方はむしろ閑散としてきた。

「あの、ちょっとトイレ行ってくるんで、これ持っててください」

「うん。たしか、あっちにあるよ」

 さっきジュースを買いに行ったときに見かけた公衆トイレのほうを指差す。それから、まだエビの残った容器を受け取った。

 みおを見送って間もなく、夜空を光の筋が切り裂いて、直後、大輪が咲いた。その轟音とともに、遠くの方からおおっと歓声が上がる。

「ああ、始まっちゃった」



『介抱』


「大丈夫ぅー?」

 トイレのドア越しに声を掛ける。

「ああ、大丈夫…」

 びちゃびちゃびちゃびちゃ。大丈夫ではない音がする。

 水が流れる音が聞こえて、ドアが開く。

「ほんとに大丈夫、…って、顔真っ赤」

「大丈夫だって……」

 行列を横目に公衆トイレを出ると、ちょうど花火が上がった。浴衣姿の姉妹らしき二人組が、花火の打ち上がる方へと駆けてゆく。わたしは怜奈の背中をさするのに精一杯で、あんなふうに花火に夢中になる暇はなかった。

 花火の閃光の影になった怜奈の顔は、ひどく憔悴しょうすいしているように見えた。

「まだ気持ち悪い?」

「いや。それより、私が酒飲めないヤツだってことがショックだった」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。ほら、水買いに行こ」

「…うん」

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