グラス・クラックス
月曜日、
柚希がいないせいで、講義の内容は何一つ頭に入ってこない。いや、それはいつものことか。講義を聴くことを諦めて、雨音に耳を傾ける。あー、お腹空いてきた。昼は何食べようかな。そういえば、今日は一緒に食べる人がいないや。まあそれでもいいかと思いつつ、一応、みおにメッセージを送っておいた。
みおが大学にいる保証はなかったが、案外なんとかなるものだ。今日はちゃんと季節相応の格好をしていて安心する。
「柚希さんはいないんですか?」
「うん、風邪引いちゃったんだって」
みおにも、私と柚希はセットとして扱われているらしい。
学食はいつも通りの大混雑で、受け取り口には行列ができている。大学の周りに飲食店やコンビニの類がないので、お弁当でも持ってこない限り、学食か購買を使うしかない。
「いつも昼どうしてるの?」
「昼は食べ ……えっと、購買とかで適当に」
「食堂使わないんだ」
「まぁ、はい」
長い待ち列の中から、前方のメニューを凝視する。竜田揚げ丼、ソースカツ丼、カレーライス。辛いものは嫌いなので、カレーライスはなし。となると二択だ。竜田揚げ丼は常設メニューで、ソースカツ丼は日替わりメニューだ。普段は竜田揚げ丼を選ぶことが多いのだけれど、今日はソースカツ丼にしようかな。
「みおは何にするの」
「じゃあ …カレーで」
「それだけ?」
「え、まあ、そうですけど」
ソースカツ丼を受け取って、ケースからサラダを二つ取る。会計を済ませ、食堂内を見回して空席を探す。案の定、ほとんどの席が埋まっていた。隅っこの窓際にかろうじて席を見つけて座る。二人でこうやって向かい合わせに座るのは、これが二度目だ。
「いただきまーす」
「…いただきます」
「あ、これあげる」
サラダを一つ、みおのお盆に乗せる。
「えっ ……あ、ありがとうございます」
みおがカレーを掬って、口に運ぶのを見届けてから、私も一口、カツをかじる。
正面の顔を眺めながら、適当な話題を探す。別に話題がないというわけではなく、むしろその逆で、訊きたいことが多すぎる。しかしそのほとんどは、いきなり切り出すには不適切で、はじめの一言として適切な、それでいて本質に一歩でも近づけるような、そんなちょうどいい話題を探すのに苦慮していた。
「そういえば、みおって、この辺の出身?」
この大学は遠方から来ている学生も多いので、実に自然な話題だ。
「いえっ ……違います」
「じゃあ、進学を機に引っ越してきて、一人暮らしデビュー、って感じだ。私と一緒だね」
「いや、そうじゃなくて…」
「え、違うの」
「こっちに来たのは中学二年のときで……」
「へぇー」
ちょっと変則的なパターンのようだ。みおが中学二年ということは、えっと、……五年前か。五年前……。私はここに来てからまだ二年目、勝手に先輩のつもりでいたけれど、函館歴でいえばみおの方が先輩だった。
「こっち来る前はどこに住んでたの?」
「えっと、……ここよりも、寒くて、多分…」
「どゆこと?」
みおは
うーん、やはり。さっきから気づきかけて、それでも保留していた可能性を手繰り寄せる。
みおがあの表情を見せるときの共通点を、いままでずっと考えてきた。神威岬、元町、そして観覧車の上、それらの共通点。それはもう分かっている、海だ。そして、五年前と聞いて真っ先に思い出すのは、もちろん、あの地震。ここより寒い場所で起きた、あの巨大地震。
状況証拠だけが積み重なる。しかし、それは偶然と言い難いほど揃っていた。確信へと変わりゆく憶測を、口の中で噛み砕く。分かったからって、どうする。私に何ができる。答えが見つからないまま、飲み込む。
目の前にあるのは、ヒビの入ったガラス玉だ。
「五年前か…」
思わずそう
「ごちそうさまでした」
「えっ」
待って、と口に出るより前に、みおはお盆を持って足早に去ってしまった。どうしたものか。ガラスのヒビが広がっていないことを祈りながら、まだ半分以上残った丼の中身を見つめる。一つ目の質問で思いがけず核心に触れてしまったせいで、用意していた大量の質問項目が手元に残った。
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