ドリーミーパーク

 高く上がった噴水の水柱に、風が強く吹き付けて、ミスト状になった水がこちらを襲ってくる。ひんやりとした湿り気を感じて、軽く身震いをする。太陽が厚い雲で隠されているのもあって、夏の接近を忘れさせるような体感だった。

 そんな状況にも関わらず、みおはこの前私が選んだ「真夏コーデ」に身を包んでいる。それはまあ嬉しいのだけれど、上着を羽織ってくるとか、そういう発想はなかったのだろうか。

「これ着る?」

 羽織っていたカーディガンを渡す。私は長袖を着てきているので、上着がなくてもなんとかなる。

「いえ、大丈夫です」

「もー、風邪引くから、着なさい」

「…はい」

 後ろから無理やり肩に被せると、みおは渋々袖を通した。


「ここで撮ろう」

 柚希ゆずきが竹林を指差す。鬱蒼うっそうとしたその竹林の傍らには、木製の遊歩道が架かっている。

「じゃあなぎ、そこに立って」

 そう言うと、柚希はバッグからデジタルカメラを取り出した。

「カメラ買ったの?」

「うん」

 もともと柚希はスマホで写真を撮っていた。最初の頃はスマホで十分ってあんなに言っていたのに、今やカメラを買うほどにまで写真好きになったと思うと、感慨深いものがある。

「あ、それを見せたかったんだ」

「まあね」

「もしかして、先週も持ってきてた?」

「そうだけど」

「…なんかごめん」

「あぁもう、その話はいいって。それに、あのときはカメラとか、そんなのどうでもよかったし……」

「……?」

「いいから、早く撮るよ」

 適当なポーズを決める。こうやって写真を撮られるのも、すっかり慣れたものだ。柚希がシャッターを切ると、私のフィルムカメラとは違って、ピピッとデジタルな音がした。

「見てみて」

 デジカメのモニターを覗き込んで、今しがた撮った写真を確認する。スマホのカメラだってデジカメと遜色ないほど高性能なので、正直、これまでと大きな違いは感じない。でも、カメラで撮るという行為、それからカメラを持ったときの手の感触、そういうものに意味があるのだと、私は思う。

「うん、いい感じだね」

 さて、私は何を撮ろうか、それとも今日は何も撮らなくてもいいかな、などと考えていると、それを察したように、柚希が目配せしてくる。何やら、みおの方に向かって頭をぐい、ぐいと振っている。

「撮りなよ」

 ああ、みおを撮れということか。それならば。

「よし、撮ろう」

 肩に掛けていたケースからカメラを取り出して、レンズを取り付ける。私が準備している間、柚希がみおにテキパキと指示を出す。

みお、そこに立って。目線はこの辺、この枝の先っぽを見る感じで ……そう、オッケー」

 カメラを構えて、ファインダーを覗く。みおの姿に見とれている暇もなく、柚希が私の肩を押し下げた。

「もっと下から構えて」

 そういえば、柚希はサークルに入りたての頃、写真に関しては全くの素人だった。それから一年、私に構図の指示を飛ばすまでに成長した。やはり、柚希は勉強家だ。

「これ、脱ぎますか?」

 みおがカーディガンの端をつまんで持ち上げる。

「いや、いいよ」

 それは夏になってからのお楽しみということで。みおのぎこちない表情をファインダー越しに見つめながら、シャッターを何度か切った。

「どんな感じですか」

 みおがカメラを覗き込んでくる。

「あー、これフィルムカメラだから、現像しないと見えないんだよね」

「ゲンゾー?」

「フィルムって、撮ったままだと何も見えなくて、現像っていうのをすると見えるようになるんだ」

「へぇ…」

「そうだ、今度美咲みさきさんのところで現像するとき、一緒に行こう」

「美咲さん?」

「そうそう、美咲さんの家って、写真屋さんなの」

「そうなんですか」

 今やほとんどお目にかかることのできない写真屋。フィルムを現像できる場所としても希少な存在だ。ぜひとも末永く存続してほしい。


 林の中の散策路を抜け、坂を下ると、小さな動物園が現れた。真っ先に目に入ったのは、一頭のポニーだった。茶色の体に白い模様が混じって、ミルクコーヒーを彷彿ほうふつとさせる。ふわふわとした毛並みはまるでぬいぐるみのようだ。

 みおが柵に手を掛けると、ポニーが寄ってきて首を伸ばした。エサも持っていない初対面の人間に、あんなふうに近寄っていく動物は初めて見た。みおには、森の妖精的な、動物と通じ合う能力でもあるのだろうか。

「動物好き?」

「まあまあです」

 その横顔を見れば、まあまあ、という程度ではないことは分かる。ゲーセンで遊んだときより楽しそうで、私よりも馬のほうがみおを楽しませることができるという事実が、なんとも悔しい。

「写真、撮らないの?」

「…写真?」

「ほら、スマホで」

「……じゃあ、せっかくなので…」

 みおがスマホを構えると、ポニーは柵から離れ、さあ写してくださいと言わんばかりに、体の側面をこちらに向けて、首を横に曲げた。みおがなれない手つきでシャッターボタンを押す。

「ど、どうですか」

「うん、上出来」

 それはお世辞ではなかった。動物をきれいに写すのは結構難しいはずだが、その後もみおは、ヤギ、クジャク、モルモットなどを、偶然か必然か、なかなか良い構図で捉えていった。そのときのみおの表情は、これまでで一番、輝いて見えた。

 柵に寄りかかって、前のめりにうさぎの群れを眺めるみお。

「かわいい」

「…そうですね」


 動物園をあとにして、遊園地へと足を踏み入れる。遊園地とは言っても、別にジェットコースターとかがあるわけではない。それでも、土曜日の昼下がりということもあって、園内は親子連れで賑わっていた。

「あれ乗らない?」

 小さな観覧車を指差す。日本最古の観覧車、らしい。二人のどちらかに言ったわけではないが、柚希が先に答える。

「わたしはいいよ、二人で乗ってきな」

「えっ」

 私より先に、なぜかみおが反応する。

「わたし、高所恐怖症だからさ」

「そうなの?」

 それは全くの初耳だった。柚希にも、まだ見ぬ一面があったのか。

「でも、そんなに高くないよね、これ」

「そうじゃなくて、なんか、雨ざらしな感じが怖い」

 確かに、普通の観覧車とは違って、壁で囲われているわけではない。二人乗りのゴンドラに、ビニールの屋根が付いているだけだ。

「うーん、じゃあ、みお、一緒に乗ろう」

「あの、私もいいです…」

「えっ、なんで」

「それは… その……」

「ほら、わたし下から二人が乗ってるところ撮るから、行っといで」

「ね、乗ってみようよ」

 みおの手を掴む。一瞬、振り払われそうになるが、みおは何かを考え込んだあと、観念したように言った。

「……いいですけど…」


 ゴンドラが徐々に高度を上げる。下から柚希が手を振っている。しかし、観覧車が小さいので、大げさに手を振る柚希が割と近くに見えるのが、なんとも滑稽こっけいだった。

 あまり時間もかからず、ゴンドラが頂上に近づく。横に視線を向けると、みおは目をつむっていた。もしかして、みおも高所恐怖症なのだろうか。そうではないということは、その表情を見れば、すぐに分かった。

 みおの顔越しに海を眺める。曇り空のもとで、その海はひどく黒ずんで見えた。カメラを取り出して、上からの眺めを撮影しようかと思ったけれど、やめた。

 みおの後ろに腕を回して、その頭を引き寄せる。みおの体は一瞬硬直したが、抵抗することはなかった。私の肩に、少しずつ重みが加わる。私は、その顔を覗くことができなかった。

 ゴンドラは早くも地面に近づいていた。このまま声を掛けなければもう一周できるのではないか、というよこしまな考えを振り払う。

「みお、終わったよ」

 肩がふっと軽くなると、そこに残ったぬくもりを飛ばすように、冷たい風が吹き抜けた。

「撮った?」

「撮ったよ。…いい感じだった」

「いい感じかぁ」

「あとで送っとくからね」

「ありがと」

 そのとき、雨がポツリ、ポツリと降り出して、コンクリートの地面にまだら模様を作り出した。その斑点があっという間に広がって、地面全体を覆い尽くすと、私たちはいつの間にか滝のような雨に打たれていた。

「やばっ、とりあえず建物に避難しよう」

 周りの悲鳴を置き去りにして、建物の中へ駆け込む。しかし、その一瞬のうちに全身がびしょ濡れになってしまった。柚希は口元や指先を震わせている。

「うー、寒い」

「雨が止んだら、帰ろっか」



『その夜』


 柚希から写真が送られてきた。なんだこれ。私の顔がドアップになっている。

 その直後、「冗談」というメッセージとともに、お目当てのものが送られてきた。変ならし方をしやがって。

 さて、この写真はどうしようか。とりあえず印刷して、額にでも入れて飾ろう。

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