第三章 過去を見つけて

レイニーデイズ

 週が明けたらほとぼりも冷めるかもしれない、と期待していたが、そんなことはないらしい。朝、いつも通り会って、ひとこと挨拶を交わしてから、講義中も、休み時間も、学食で昼食を食べているときも、会話がなかった。つまるところ、柚希ゆずきは怒っている。あるいはねている。

 昼食後、柚希のあとを無言でついて行く。その行く先はサークル室だった。怜奈れいな美咲みさきさんがいてくれればいいな、と思っていたが、先客はいなかった。

 柚希が椅子に座る。私はその後ろを通り過ぎ、窓際に手をかけて外を眺める。北海道に梅雨はない、とは言うものの、最近は毎年のように梅雨のような季節があるような気がする。今年も例に漏れず、どんよりと曇りがちな日々が続いて、空を見上げると、今にも雫が落ちてきそうなほど真っ黒だった。

 手についたほこりを払ってから、振り向き直して窓を背にする。

「次はどこ行く?」

 柚希に詰問されることを覚悟して、いやむしろ期待してここに来たのだけれど、第一声から意表を突かれた。

「どこって ……どこでもいいけど」

「じゃあ、函館公園」

 三年前、家族と函館へ旅行に来たとき、函館公園に行ったことを思い出した。そのときはちょうど桜の季節で、かなり賑わっていた記憶がある。それから、小さい遊園地と動物園があったことも印象に残っている。しかし、函館に来てからは一度も訪れていない。

「なに撮るの?」

「そりゃあ …なぎだけど」

 そういえば、柚希がいつも撮るのは人物の写真だった。被写体になるのはいつも私だ。私は風景の写真が好きなので、つい風景を基軸に考えて、公園なんかで何を撮るのかと思ってしまった。

「ま、いいけど、いつ行くの?」

「今週の土曜日」

「また美咲さんに車出してもらう感じ?」

「いや、今回はバスで行く。三人で一緒に」

「三人?」

「そう、わたしと凪と ……みお

「ふぅん」

「だから、澪も誘っといてね」

「…わかった」

 チャットがあるのだから、柚希が直接誘ってもいいはずなのだけれど、まあいいか。水曜日、バスで一緒になったときに誘おう。


 そのあとは手持ち無沙汰になって、窓の外をぼぅっと眺めていた。ガラスにはポツポツと雨粒がついている。だれか来ないかなーと思っていると、タイミングよく怜奈が来た。

「よ」

「おす」

 二人の適当な挨拶を、部外者のように傍観する。怜奈はいつも通り靴を脱ぎ、あぐらをかいて椅子に座ると、こちらをにらんだ。いつもの「睨むような」目つきではなく、本当に睨まれているような気がする。怜奈も怒っているのだろうかと思いつつも、白々しく訊いてみる。

「私、顔に何か付いてる?」

「いや、喋らないから、誰か分からなかった」

「……?あ、怜奈って、目悪いの?」

「そうだけど、知らなかったのか」

「うん …柚希は知ってた?」

「まあね」

 思えば、怜奈をサークルに誘ってきたのは柚希だった。私よりも沢山、怜奈のことを知っているのだろう。

「眼鏡かけないの?」

「眼鏡は …似合わないからな」

 眼鏡をかけた怜奈を想像する。そのまま文庫本を持って、口を「う」と「お」の中間みたいな形に軽く開けて、やや上目遣いに振り返る、そんな姿を思い浮かべると、文学少女という感じでかなり良さげではないだろうか。

「結構、似合いそうだけど。…じゃあコンタクトはしないの?」

「目にレンズ入れるとかありえん、絶対無理」

「あー、そういうの怖いんだ」

「怖いとかじゃない」

「あ、注射とかも怖いタイプでしょ」

「ちゃうわっ」

 怜奈が椅子をくるっと回して背中を向ける。

「じゃあ、私が眼鏡を選んであげよう」

「はぁ?」

「怜奈に似合う眼鏡」

「いらない」

「でも、そのままだと、眉間とおでこが小ジワだらけになっちゃうよ」

「余計なお世話だ」

「あぁ、せっかく綺麗きれいな顔なのにもったいない」

「……はぁ、わーったよ。でも、似合わなかったら買わないからな」

「もちろん」

 そういうわけで、一気に二つの約束を抱えることになった。まあ、片方は自分から言い出したのだけれど。

「そういえば、怜奈は行く?函館公園」

 そう言ってから、柚希との会話を思い出す。―――三人で一緒に。三人、というのに意味はあるのだろうか。きっとあるだろう。余計なことを言ってしまったかもしれない、と思って柚希の顔色を伺う。特に表情に変化はなかったけれど、その心の内は分からない。慌てて軌道修正を図る。

「あっ、無理にとは言わないよ。先週も行ったばっかりだし」

「……そうだな、今回はパス」

 怜奈の気まぐれに救われて、ちょっとだけ胸を撫で下ろす。

 バラバラと雨が窓に打ち付ける音が聞こえてくる。土曜日は晴れるといいな、と願いながら、北の空を見つめた。



『鏡よ鏡』


 洗面台の鏡にぐいっと顔を近づける。鼻息で鏡が白く曇る。

「うーん」

 前髪をかき上げて、皮膚を引っ張ったりしてみる。いつもより多めに化粧水をつけておいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る