海風 / 焦慮

「私、サンドイッチ食べようかな」

美咲みさき先輩、まだ昼ご飯食べてないんですか?」

「いや、家出る前に食べてきたよ?」

「今まだ一時半ですけど…」

「うん、そうだけど?」

「…大食いですね、相変わらず」

 なぎたちがバスで到着するまで、まだ三十分ほどある。観光客の波から逃れようとカフェに入ったが、案の定、ここも観光客で溢れかえっている。ざっと七、八組は前に並んでいる。

怜奈れいなは何にするの?」

「うーん …メニューが見えない」

「じゃあ、わたし席取ってくるから、注文しといてくれる?アイスのキャラメルマキアート、ソースとシロップ多めで頼んどいて」

「うわ、考えただけで甘めーな」

 注文の待ち列は長いけれど、店内は割と空席があった。これなら急いで席を取る必要もなかったかな、と思いつつ、コテージ席を見つけたのでそこに座った。


 潮風が吹き付け、若干の肌寒さを感じる。間違ったのは服装選びか、席選びか、はたまた冷たい飲み物を注文してしまったことか。

「遅いなぁー」

「多分、バスが遅れてるんじゃないかな」

「だとしたら、連絡してくれてもよくないですか」

 店に入って「着いたら教えてね」とチャットしてから、そろそろ一時間が経ちそうだ。グラスの中には氷だけが残って、その氷も徐々に融け始めている。

「そろそろ写真撮り行こーぜ」

「そうだね。あそこの橋から撮ればいい感じじゃないかな」

 怜奈と美咲先輩はあまり心配していない様子だ。チャットに「大丈夫?バス混んでる?」と送ってから、店をあとにした。


 美咲先輩が大きな一眼レフを取り出して、函館山を背景に赤レンガ倉庫を写真に収める。一方の怜奈は、写真を撮ることもなく、ウロウロと歩き回ったり、橋の下を覗き込んだりしている。そんな二人をよそに、わたしは何度もスマホを取り出しては、通知が届いていないかと確認する。

 電話を掛けてみようと、電話帳から「菊池凪」の名前を探す。入学してすぐのオリエンテーションでたまたま隣同士になったときに連絡先を交換してから、数回しか電話を掛けたことがない。ほぼ毎日のように会うので、電話を掛ける必要もないからだろう。そもそも普段の連絡はチャットで済むので、電話を掛ける機会は、凪以外にもほとんどない。

 電話の呼出音がプルルルと鳴る。その音を、一回、二回と心のなかで数える。

「ただいま、電話に出ることができません――」

 電話を切る。なんとなく胸騒ぎがする。

「美咲先輩、凪が電話に出ないんですけど」

「たぶん、聞こえてないだけだと思うよ」

「あの、駅前のバスターミナル行って、バス遅れてないか訊きに行きましょう」

「いいよ」

「怜奈、行くよ!」

「あぁ?どこ行くんだ?」

「バスターミナル」

 怜奈の返事を待たず、足早に駅の方角へと向かった。


 途中でバテた怜奈の腕を引っ張りながら、十五分ほど歩いて、というかほぼ走って、バスターミナルに着いた。バスターミナルの案内所は、やはり混雑していて、人をかき分けながら進む。

「あの、バス遅れたりしてませんか」

「ええと、どちらのバスでしょうか」

「一時四十分くらいにここに着くやつ、えぇと ……この系統です」

 カウンターに置かれた路線図を指差す。

「かしこまりました、少々お待ち下さい。…………遅延の情報はございませんね。定刻通りに、ここに到着したようです」

「そうですか…」

「二人でどっか道草食ってんじゃねーの」

「もしそうだとしても、連絡くらい入れるでしょ」

「きっと、どこかで行き違いになったんじゃないかな」

「それだって、連絡来ないのはおかしいです」

「スマホの充電切れたとか?」

「二人同時にですかぁ?ありえないですよ」

 不安と苛立ちでつい声のトーンが大きくなる。客の視線が集まるのを感じて、そそくさと案内所をあとにした。

 バスは遅れておらず、連絡もない。つまり、連絡もできないほどの状況にあるということだ。バスの中で何かあったとしたら遅延しないはずがないので、バスに乗るまでの間か、バスから降りたあとに何かが起きたのだろうか。だとすれば、バスに乗る前、つまり大学構内で何かに巻き込まれた、という可能性は低いだろう。つまり、バスを降りた後だ。となると、近くにいるかもしれない。

「この辺、探しますよ」

「探すって…」

「だってそれしかないじゃないですか!」

 チャットに「大丈夫なの?なんかあった?」と送ってから、ずかずかと歩き出した。


 探す、とは言ったものの、どう探せばよいか分からなかった。とりあえず、あてもなく歩き回っては、何度もスマホを確認して、たまにチャットを送ったり、電話を掛けたりしていた。そんな状態が一時間近く続いている。チャットの文面も「どこにいるの?事故でもあった?」「そろそろ連絡して!」「いい加減にしてよ!!」と、徐々に焦りがにじむ。

「きっと、何か事件とか事故に巻き込まれたんですよ、これ」

「可能性はあるけど…」

「もしかしたら、誘拐されたとか」

「二人一緒に誘拐されるって、それ、怪しい組織に追われてるとか、そういうレベルじゃない?」

「もう、どうしよう …警察に通報しますか?」

「ちょっと、落ち着いてよ。……とりあえず、交番でも行ってみようか、ね」

「…はい」

 そのとき、手に持っていたスマホの振動を感じ、慌ててその通知を確認する。待ちに待った、凪からのチャット。その内容は「大丈夫だよー」だった。……はぁ。全身の力が抜けて、歩道の真ん中に座り込む。ひとまず安心したあと、ふつふつと怒りが湧いてくる。なにが「大丈夫だよー」だ。こっちがどれだけ心配したと思っているんだ。

「連絡きた?」

「…はい」

 二人にスマホの画面を見せる。

「はー、よかったねぇ」

「結局、何だったんだ?」

「…知らないけど、もういいや。とにかく、帰ったらみっちりお説教してやる」

「ま、とりあえず今日は帰ろっか。それとも、いまから写真撮っていく?」

「……撮ります」

 正直、疲れたので帰りたかったが、凪に振り回されたようで悔しい。まあ、実際振り回されてはいたのだけれど、そんな感覚をかき消すように、めいっぱい写真を撮ってから帰った。

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