甘味と苦味のランデブー

 疲れたので休憩しようということで、近くのカフェへと歩く。振り返ると、くまのぬいぐるみを前に抱えたみおが、いつも通りうつむきがちに歩いている。

「抱き心地はどう?」

「い、いい感じです」

「そっかぁ」

 みおの様子を見て、ふと私も同じことをしたいと思った。みおの背後にさっと回って、ぬいぐるみと同じように両脇の下から腕を差し込んで、後ろから抱きかかえる。そのまま持ち上げようとしたが、うまくいかなかった。別にみおが重いとか、そういう話ではない。私の筋力が足りないからだ。

 みおは驚いた様子でこちらを振り返る。その頭の動きと、初夏の爽やかな風にのって、髪のにおいがふわっと香る。

「なっ、なんですかっ」

「ちょっとやってみたかっただけ」

 いぶかしげな様子で、こちらを上目遣いににらむ。満足したので、解放してあげた。

「そういうの、困るんですけど」

「ごめんてぇー、甘いもので機嫌直して」

「うるさいです」


 店内はコーヒーの香りが強く主張し、その後ろに甘い匂いが優しく漂っている。窓際の席を選んで、向かい合わせに座る。みおは、自分の隣にぬいぐるみを座らせた。

「さてと、何食べよっか」

 メニューに並ぶスイーツの写真を眺める。それだけでも幸せな気分になれそうだ。一方のみおは、何かを思い出したようにバッグの中を漁りはじめた。そして、そこから手を出さないまま何かを確認している。

「電話?」

「いえ…」

 ああ、もしかして。

「いくら入ってるの?」

 みおの体がびくりと跳ねる。恐る恐るといった感じでこちらを伺いながら答えた。

「……五百円」

「五百円かぁー。それじゃ何も食べれないねぇ」

「あっ… 私、飲み物だけでいいんで」

「コーヒーだって五百円じゃ飲めないよ」

「うぅっ……」

「よし、私がおごろう」

「それはっ」

 みおが言いかけたところで、さっきと同じようにそれを制する。

「遠慮するなって、言ったでしょ」

「……はい」

 みおが萎れたように小さくなる。

「…絶対、返しますから」

「ふーん、ま、期待しとこうかな」

「…?」

「さ、気を取り直して」

 みおにメニューを手渡す。しかし、メニューを手にしたみおは、忙しなくページを行ったり来たりしては、うんうんとうなってなかなか決まらない。このままその様子を眺めているのも良いけれど、いつまでも決まらないと困る。

「ねぇこれ、二人で分けない?」

「…そ、そうしましょう」

「飲み物は?」

「えと、アイスコーヒーで」

「私は ……これにしようかな」

 ミルクと砂糖がたっぷり入った甘いコーヒーが好きなので、メニューの中からいちばん甘そうなやつを選んだ。


 テーブルの真ん中に、ソフトクリームがこんもりと盛られた大きなデニッシュがそびえる。それを口いっぱいに頬張り、コーヒーを流し込むと、角砂糖をかじったような甘さが広がる。その糖分に、疲労した脳と身体が歓喜の声を上げるのを感じた。

 みおもデニッシュを徐ろに口へと運ぶと、ブラックのままのアイスコーヒーに口をつける。その表情が、わずかにほころんだように見えた。

「ブラックコーヒーって、美味しいの?」

「美味しいかは ……わからないですけど、甘いものに甘いコーヒーって、甘すぎませんか」

「うーん、私は甘ければ甘いほどいいけど」

 その甘さを確かめようとして、ソフトクリームをフォークですくい取ると、裏に隠れていたさくらんぼが姿を現した。

「あ、それ、食べていいよ」

「えっ」

「さくらんぼ。私の奢りなんだから、遠慮は禁止だよ」

 整合が取れているのか、自分でもよく分からない理論で押し通す。

「はい、あーん」

「ええっ」

「ほら、アイスが落ちちゃうから」

「……だから、そういうの困るんですけど…」

 不承不承という具合に、みおが小さく口を開く。舌の上にさくらんぼの実を置いて、上下の唇がその赤色を隠すのを見届けてから、へたをぷちっと引き抜いた。

「美味しい?」

「……はい」

 みおは不満げな表情で答えた。


 全身が甘さで満たされたところで、つい気が緩む。そうして、頭の中に押し留めておいた疑問がこぼれてしまった。

「そういえば、なんで行きたくなかったの?」

「それはっ……」

 みおの表情を見て、悪手を打ってしまったと後悔する。でも、ここではぐらかしてよい問題ではないと直感した。

 みおは明らかに様子がおかしくなるときがある。いや、割と普段から様子がおかしい方ではあるのだけれど、そういう話ではない。時折、発作のように、恐怖と絶望と驚愕きょうがくが混じったような、とにかくものすごい表情を見せるときがあるのだ。この前のサークル室でも、その顔を見た。そして今も。今後みおと時間を共にすることを考えれば、とても放置できない問題だ。

「ねぇ」

「答えませんっ!なぎさんには、関係ないです」

「関係なくはない――」

「とにかく、そんなことはどうでもいいから、早く食べてください」

 みおがこちらにフォークを向けて、見たこともないような剣幕で捲し立てる。その様子に気圧されると同時に、これは簡単には解決できない問題だと察する。なるほど、この子は、みおは、なかなかミステリアスで、さらに闇が深い。しかし私だって、ここで引き下がる女ではない。むしろ、みおのことをもっと知りたい。深く深く、隅々まで知り尽くしたい。しかし、今日はとりあえず、この甘さを舌が忘れないうちにとどめておこう。そして、これからゆっくりと、時間をかけて、みおの内側を探検しよう。

 みおは、自分の皿に残ったデニッシュを口に押し込み、コーヒーを一気に飲み干した。私もそれに習う。

「帰りますよ」

「…うん、帰ろか」


 帰りのバスで、なんとなくスマホを確認する。そういえば、柚希ゆずきたちと別れてから一度もスマホを見ていなかったな、と思い返す。案の定、といったところか。サークルのチャットと不在着信の通知が大量に入っていた。マナーモードに設定したうえでバッグにしまい込んでいたので、気が付かなかった。

 チャットを遡って、思わず顔をしかめる。どうしたものか。とりあえず「大丈夫だよー」とだけ送っておいた。

 最後は苦々しい展開が続いてしまったが、そこに目をつむれば、良い一日だったと思う。うん、結構楽しかったな、初デート。

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