電子音のラビリンス

 大学の駐車場に五人が集まっていた。こうしてサークルメンバー全員が集合するのは初めてだ。四年生の美咲みさきさんとは初対面だった。

「それで、誰がバスで行くかってことだけど」

 運転係の美咲さんが切り出す。美咲さんの車は軽自動車なので、四人までしか乗れないらしい。残りの一人はバスで向かうことになってしまった。多分、去年まではこんな問題は起こらなかっただろう。自分が入ったことで、サークルの均衡が崩れたことを感じる。だから当然、私がバスで行くべきだ。

「あのっ、バスでいいです、私」

「じゃあ私もバスで」

 なぎさんが食い気味に言った。

「えっ?」

「いいじゃん、一緒にバスで行こ?」

「でも…」

「移動も楽しみのうちだからさ、一人じゃ寂しいでしょ、ね?」

「……」

 寂しくない、そう言おうとしたが、喉に引っかかってしまった。さあさあ、となぎさんが背中を叩いて急き立ててくる。

「…まぁ、いいですけど」

 自分は押しに弱い性格だと、つくづく感じる。でも、今回は断る理由もなかったと思う。そのように納得しておく。

「よしっ、バスの時間も近いし、行こっか」

「はい」

「じゃ、あとでなー」

 柚希ゆずきさんの雑な見送りを受ける。控えめに手を振り返してから、なぎさんの後ろを付いていった。


 いつも混雑するバスは、平日とは打って変わってガラガラだった。適当な席を探して、なぎさんと横並びで座る。

「みおは甘いもの好き?」

「まあまあです」

「…じゃあ辛いものが好きとか?」

「好きじゃないです」

 いつもバスで一緒になるときはあまり会話をしないのだが、今日はなぜか質問攻めにあっている。なんとか会話を繋げようとしているのだろうか。自分が口下手なことを少し申し訳なく思う。

「ねぇ、ほんとは行きたくないんでしょ?」

「えっ」

 急に質問の方向性が変わって、不意打ちを受ける。狼狽してしまい、とっさに嘘をつく。

「そんなこと、ないです」

「…正直に答えてほしいな」

 なぎさんの深くまっすぐな眼差しが、脳に直接作用して、本当の気持ちを口から引きずり出す。私は目をそらすことができなかった。

「……行きたくないです」

「うむ、じゃあもう一つ質問。それは人と場所、どっちが嫌なのかな」

「場所っ!……場所、です」

 慌ててそう答えると、なぎさんの口元が緩んだ。先ほどまでの真剣な面持ちから一転して、どこか楽しげな顔になる。それを見て、なんとなくホッと胸を撫で下ろす。しかし、なぎさんの表情は微笑みを通り越して、ニヤッとした感じになってきた。何がそんなに可笑しいのかと、少し不気味に思う。

「ねぇ、次で降りよっか?」

「次…」

 次のバス停は、偶然にも自分の家の最寄りだった。ちょっとした動揺を隠し、落ち着き払って断る。

「いや、いいです」

「そっかぁー」

 なぜか心底残念そうな口調だ。バスはスピードを緩めることもなく、バス停を通過する。

「じゃ、次で乗り換えね」

「え」

 乗り換え?終点までこのバスに乗ればいいはずでは?そんな私の困惑をよそに、なぎさんは立ち上がって私を通路へと押し出す。

「ちょ、ちょっと」

 なぎさんが私の手をぐいぐいと引っ張る。引きずられるようにバスを降りる。

「次のバス、すぐ来るから急いで!」

「ええっ」

 状況が掴めないままバスターミナル内を走る。なぎさんが指差したバスに乗り込むと、間もなくドアが閉まった。本当にギリギリの乗り換えだ。車内はさっきのバスより混んでいて、立ったまま乗ることになった。

「どこ行くんですか」

「どこでもいーよ。どっか行きたいとこある?」

「ないですけど」

「じゃあゲーセンでも行こっか」

「ゲーセン?」

 ゲーセン。ゲームセンターのことだと理解するのに若干時間がかかった。あまりに突拍子のない展開に、頭が追いつかない。

「あの、柚希さんたちは…」

「ま、あっちはあっちで楽しくやってるって。そんな気にしないよ多分、適当な奴らだから」

「そう、ですかね……」

「そうそう、だから気にしなくてよいのだー」

「……」

 なんとなく、なぎさんにたぶらかされている気がする。当のなぎさんは、体を左右に揺らしたり、つま先立ちをしてみたりと、忙しない感じだ。楽しそう、というべきかは分からないが、とにかくテンションが高い。たまにこっちを向いて微笑むのに対して、愛想笑いを返すこともできなかった。


 バスを降りて少し歩くと、お目当てと思われるものが見えてきた。建物の頭にボウリングのピンが突き刺さっている。これまでの私には縁遠い場所だ。なぎさんに導かれるまま建物に入る。エスカレーターを上ると、ギャラギャラとやかましい音が耳の奥まで響いてくる。

「普段ゲームとかする?」

「あまり…」

「ん?」

「あまりやらないですっ」

「あーそうなんだ」

 周りの音に負けてしまい、慣れない大声を出すのに苦労する。

「じゃあ何で遊ぼっかー ……みお、あれはどう?」

 エスカレーターを降りてなぎさんが指差したのは、二色の音符に合わせて太鼓を叩くゲームだった。ゲームに明るくない自分でも、見たことはあるような気がする。どこで見たのかは思い出せない。多分、遊んだことはない。

「いいですよ」

 なぎさんはがま口の財布から二百円を取り出して、ゲームの機械に投入した。なぎさんを真似て、私もバチを手に取る。

「何の曲がいい?」

「なんでもいいです」

「んー、じゃこれで」

 なぎさんが選んだのは知らない曲だった。これはロックというやつだろうか。なかなかパンプな歌声だ。なぎさんが一番難しい難易度に設定する。よほど自信があるのだろうか。私は一番簡単な難易度を選ぶ。


 ―――なぎさんは下手だった。私のほうが点数が高い。

「なぎさん…… 下手ですね」

「ふっ、いい、運動に、なったよ」

 肩で息をしながら答える。顔は火照って紅潮していた。なぎさんのそんな様子を見ていると、ゲーセンというのも案外悪くないような気がしてきた。


「クレーンゲームやろーよ。何が欲しい?」

 ずらっと並んだクレーンゲームを見て回る。ぬいぐるみ、フィギュア、お菓子、いろいろな種類がある。こんなとき、何を選ぶのが正解なのだろう。正解なんてないかもしれないが。

「…これにします」

 なんとなく目に入った、大きなくまのぬいぐるみを選ぶ。

「ほぉー、大きく出たね。やってみなよ、みお」

 一回二百円。財布の中の百円玉は、ちょうど二枚だった。

「どうやって動かすんですか、これ」

「…?どうやって、って……」

 クレーンゲームの操作を知らないのは、そんなに困惑されるようなことだろうか。そうかもしれない、と横の親子連れを見て思う。

「えーっと、このレバーでクレーンを動かして、このボタンで掴む、って感じ」

 私がレバーを掴むと、なぎさんがその上から手を重ねて、文字通り手取り足取りの状態となった。足は取っていないけれども。

 なぎさんのアシストを受けながら、見様見真似で操作し、仰向けになったくまの胴体めがけてクレーンを下ろす。クレーンの腕がぬいぐるみの両脇を撫でるが、びくともしなかった。

「みお、へただねぇ」

「…まぁ、そうですね」

「よぅし、私が取ってあげよう」

「え、」

 声を出しかけたとき、なぎさんが人差し指を私の口元に突き立てる。

「いま、遠慮しようとしたでしょ」

「…まぁ」

「こういうときは遠慮しないほうが、可愛げがあるってもんだよ」

 可愛げ。そんなもの、私に必要だろうか。あるいは、なぎさんは私に可愛げを求めているのだろうか。それなら、遠慮しないでおこうかな。別に、どうしても欲しい、というわけじゃないのだけれど。

「じゃあ、お願いします」

「うん、私に任せなさい」

 そう言うとなぎさんは、両替機に千円札を何枚か投入し、すべて百円玉にしてしまった。

「そ、そんなに使うんですか」

「まぁね、二千円くらいで取れればいいんだけど」

「あの、…」

 それならいいです、と言いかけて、先ほどのなぎさんの言葉を思い出す。ここは遠慮せず、なぎさんのクレーンゲーム技術に任せよう。


 ―――なぎさんは下手だった。もう三千円くらい使ったような気がするが、角度が20度くらい変わっただけだ。

「……あのぉ、これ全然取れなくて…」

 店員さんに景品を動かしてもらって、さらにアドバイスまでもらっても、ぬいぐるみを落とすのにさらに千円ほどかかった。格好悪い。けれども、そんななぎさんを見ているのは、結構面白い。取れたてのぬいぐるみを高く掲げるなぎさんを見て、そんなことを思った。

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