第二章 別れ道

深淵を覗いて

柚希ゆずき、あれ」

「ん?…おぉ」

 野良のみおだ。休み時間の人混みの中で一人、とぼとぼと歩いていた。本当にトボトボという音が聞こえてきそうな感じだ。バスとサークル室以外で会ったのは初めてかもしれない。みおは気づいていないようで、近づいても顔がこちらを向く気配がない。

「みーおー」

「はいっ!?……あ、なぎさん」

「わたしもいるよ」

「はい、柚希さんも」

 みおはこちらを見上げ、早くも話題に困ったというように、口を半開きにしている。バスでみおと会うときも、いつもこんな感じだ。まあ、こちらが会話の主導権を握れば、一応それに付いてきてくれるので問題はない。

「いま何してたの?」

 私が訊こうとしたことを、柚希に取られてしまった。

「えと、5限まで暇なので図書館にでも行こうかと」

「ほー、空きコマに図書館で勉強とは、えらいえらい」

 みおの頭にふわっと手を置くと、肩があからさまに飛び跳ねる。こういう初々しい反応をもっと見たい。

「私たち今からサークル室に行こうと思うんだけど、みおも行かない?」

「……じゃあ行きます」

「よしきた」

 みおの手を取ると、再び肩が跳ねた。ほどなくして、不満げにみおの唇がとがる。

「あの、別に手引っ張らなくても、ついていけますけど…」

「知ってる」

 満足したので手を離すと、今度は逆側の手を柚希に引っ張られる。

「よし、行こう!」

「うん …え?」

 柚希が私の手を引っ張ったまま歩き出す。その楽しそうな横顔と、微妙な距離で後ろをついて来るみおを交互に見ながら、人をかき分けるように進んだ。


 柚希がサークル室の扉を開けると、怜奈れいながいた。

「怜奈だ、もしかして久しぶり?」

「そうかもな」

 柚希がようやく私の手を離して、怜奈のもとに寄っていった。若干鬱血したような感触を確かめるように、手を握ったり閉じたりしてみる。私の後ろに隠れるようなみおの様子を見て、怜奈とみおが初対面であることを思い出す。

「あー、あの子は怜奈。二年生だよ」

「ど、どうも、芹沢せりざわみおです。よろしくお願いします」

「みお、ね、憶えとく」

 怜奈の鋭い目つきがみおを刺し、縮み上がらせる。怜奈はいつも、誰に対してもこんな感じだ。初対面だと怖がられても無理はない。

「そうだ、せっかく四人も集まったんだし、予定立てようよ。どっか写真撮りにいこ」

 柚希が椅子を引きながら提案する。私も荷物を置いて腰掛けると、みおもそれに続いて、居心地悪そうに腰を下ろした。

「柚希から提案するなんて珍しい」

「ま、新入部員クンのためにも、写真部っぽい活動しとかないとね」

「確かに」

 みおの入部から一ヶ月ほど経ったが、いまだに写真サークルらしいことをしていない。こんな具合だから、幽霊部員率50%のサークルになってしまうのだ。

「ダム公園はどうだ」

 怜奈が最初に発案する。怜奈はダムとかビルとか橋とか、巨大な人工物が好きらしい。一方で、写真はあまり撮らない。どうして写真サークルを選んだのかと、疑問に思うこともある。

「いやぁ、あそこ熊出たらしいよ、この前」

「む…」

 柚希が大げさに怖がると、怜奈は諦めたように唸る。暫し悩んだのち、柚希が対案を出す。

「じゃあさ、元町の辺りとかどう?あの辺、坂がいっぱいあるじゃん?そこで海をバックに写真とるの」

「お、それいいね。でもちょっと遠くない?」

「大丈夫、美咲みさきセンパイが車出してくれるから、きっと」

「うーん、そうかな」

 美咲さんはサークル内で唯一免許を持っているので、遠出するときはいつも車を出してくれる。でも、四年生になって忙しいらしいから、本当に大丈夫だろうかと思う。とりあえず、チャットで美咲さんに確認しよう。そう考えて、リュックからスマホを取り出したそのとき。

「あのっ、私は、やめときます」

 今まで気まずそうに口を閉じていたみおが、消え入りそうな声で言う。思わず文字を打つ手を止める。

「えっ、なんで?」

 純粋な驚きと疑問の気持ちを言葉に変える。みおの顔を覗くと、目をぎゅっと瞑っていた。

「…えっと ……バイトが、あるので」

「ぶっ、なにそれぇ、まだ日にちも決まってないのに」

 柚希が突っ込む。確かにそうだと思い、じわじわとおかしさが込み上げてくる。柚希は椅子をすべらせて、みおの真横につけた。

「どうして?いいじゃん、行こうよ」

「えぇと…」

「せっかくサークル入ったんだからさ、楽しもうよ」

「……」

「別に写真撮るの上手くなくたって心配ないよ、わたしも下手だし」

「……はい」

「だから、一緒に行こ?」

「…………わかりました」

「よぉし、決まり!」

 柚希が押して、というか圧をかけて、みおが折れる形となった。しかし、みおの表情が晴れることはなく、むしろ雨が降りそうなほど曇っていた。その表情をどこかで見たような気がしてならない。柚希と怜奈が詳細な計画を立てていくのをよそに、私はその顔をただ見つめることしかできなかった。



『怜奈の第一印象』


 柚希さんがサークル室のドアを開けると、誰かの姿が視界に入った。誰もいないと思っていた室内に、唐突に人が現れたので、少しぎょっとする。

 その人は、回転するタイプの椅子の上で、あぐらをかいていた。両手で文庫本を開いたまま、こちらをじろっと睨んでいる。

「レイナだ、もしかして久しぶり?」

「そうかもな」

 あの人はレイナというらしい。まず思ったのは、小さい。自分もけっこう小さいほうだと思うが、それよりも小さいように見える。猫背のせいかもしれないが。

「あー、あの子は怜奈れいな。二年生だよ」

 なぎさんがこちらにパスを回してくる。とりあえず、自己紹介をする。

「ど、どうも、芹沢澪です。よろしくお願いします」

「みお、ね、憶えとく」

 怜奈さんの視線が再びこちらを向く。やはり睨まれているような気がする。その表情は、怒っているのか、あるいは単なる無関心か、よくわからなかった。

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