友達未満と先輩未満

 私が写真サークルに入ることになったあの日の夜、さっそく菊池さんから電話が掛かってきた。要約すれば、金曜日の夜に集まるからサークル室に来い、とのことだ。サークル室の場所も教えてもらった。ちょうどバイトがない日でよかった。

 そして今、その部屋の前にいる。中の様子が分からないので、余計に緊張して心拍数が上がる。中にはどのくらい人が居るのだろう?入るときに何て言えばいいだろう?そんなことを考えながら、ドアノブを見つめる。

 しばらく悩んでから、意を決してドアノブに手をかける。一応、左手でドアをノックしてみるが、反応はない。もしかしたら誰もいないのかも、と思いながら、中を覗き込むようにドアを開ける。すぐに向こう側の誰かと目が合う。それは菊池さんだった。

「おぉー!みおちゃん、よく来たね」

 やけにテンションの高い菊池さんが、内側からドアを引っ張った。その声を聞いて、なんとなく体のこわばりがほどけるような感じがする。室内は想像より静かで、埃とカビが混じったような臭いがした。

「えっと、菊池さん、こんにちは」

 とりあえず挨拶をしてみた。

「おう、こんにちは」

「いや、こんばんは、じゃない?それより、きみが噂の新入部員だねぇ?」

 その声を聞いて、菊池さん以外の人がいたことに気づく。菊池さんよりも背が高く、金髪にピアス、丈の短いスカートという格好に、少したじろいでしまう。

「わたしは青坂あおさか柚希ゆずきなぎと同じ二年生。きみは、ええっと… みおさん、だね」

「は、はい、芹沢せりざわみおです。よろしくお願いします」

「おぉ、堅苦しいねぇ。ま、よろしく」

 見た目は少しやんちゃな感じだが、怖い人ではなさそうだ。

「これ、こんな見た目だけど、ホントは超真面目だから。勉強もできるし」

 菊池さんは青坂さんの肩に手を置き、どこか自慢げに言う。

「なにそれ、あんたが不真面目なだけでしょ」

 青坂さんが菊池さんのこめかみを、人差し指でコツンと叩く。

 二人の仲よさげな雰囲気をよそに、サークル室を見回す。思っていたよりも広い室内には、真ん中に大きなテーブルが置かれ、椅子が四脚ある。そして、私たち三人以外には誰もいない。そのことを怪訝に思っていると、それを察してか、菊池さんが口を開く。

「あー、人少ないな、って思ったでしょ?」

「… はい、まあ」

 確かに思ったが、このほうが気楽で良い。

「このサークル、メンバーは十人くらいなんだけど、そのうち半分は顔も忘れた。つまり幽霊部員ってところかな」

 半分も幽霊部員がいるというのは、大丈夫だろうか。なにか曰く付きのサークルなのではないだろうか、と不安に思っていると、青坂さんが補足する。

「このサークルって、そんなに頻繁に活動しないから、どうしても別のサークルの活動が中心になっちゃうんだよねぇ。で、気がつくと全然来なくなってるってパターン」

 そう言われて安心する。主に「頻繁に活動しない」という部分に対して。もともとサークルに入るつもりはなかったので、忙しそうなサークルじゃなくて良かった、と思う。

「幽霊じゃないメンバーはあと二人。一人は二年生だけど、気まぐれだから今日来るか分かんない。もう一人は四年生の人。学年上がっていろいろ忙しいらしいから、今日は来ないと思うけど」

「…じゃあ、メンバーは実質五人ってことですね」

「そう、君も入れてね」

 自然に自分自身を含めて数えたことに対して、なぜか小っ恥ずかしい感じがした。そうか、私もサークルのメンバーか。中学も高校も部活に入っていなかった私にとっては、どこか新鮮な気分だった。

「そうそう、サークル内の連絡はこれでするから」

 そう言って菊池さんは、チャットアプリの画面をこちらに向けてきた。そのアプリを使ったことがないせいで、微妙な表情になってしまう。

「……もしかして、これ使ったことない感じ?」

「…はい、そんな感じです」

「えぇ!珍しい」

 青坂さんに大げさに驚かれて、少しムッとする。

「じゃあ、わたしが手取り足取り教えてあげよう」

「柚希が教えるの?」

「まぁ、アンタより教えんの上手いし?だから気にするでない」

「それはそう」

「ええと、じゃあお願いします… 青坂さん」

 そうして、青坂さんにアプリの使い方を教わる。チャットにスタンプで反応する方法や、ボイスチャットのやり方、DMの送り方などを、次々に教えてもらう。確かに、教え方が上手いと思った。説明が明瞭で、賢さというか、地頭の良さのようなものがひしひしと伝わってきた。


「よし、そろそろお開きにしよっか」

 青坂さんのチャットアプリ講座が終わり、気づけば時刻は八時を回っていた。そろそろ最終のバスが出る時間だ。リュックを背負おうとしたとき、菊池さんがこちらの顔を覗き込む。

「最後に、ひとつお願いしてもいい?」

「はひっ?……なんでしょうか」

「菊池さんって呼び方、なんか硬いからやめよ。呼び捨てでいいよ、なぎーって」

 予想外のお願いに、少し狼狽える。

「えっ、よ、呼び捨てはちょっと…」

「えぇー、いいと思うけどなー。じゃあ、せめて下の名前で、なぎちゃん、とか、なぎさん、とかでどう?」

「じゃあ… なぎさん、で」

「うむ、まあそれでいいか」

 しかし、一方的に呼び名を変えさせられるのは癪なので、こちらからもお願いしておこう。

「あの… 私からもお願いしていいですか?」

「ん?もちろん、みおちゃんのお願いなら何でも聞くよ」

「えっと、ちゃん付けはやめてほしいと言うか… なんか子どもっぽいので」

「そうかなぁ… じゃ、みお、でいいかな」

「はい、それでお願いします」

 なんとなく、呼び名を変えただけで、親密度が上がったような気がする。そういう、なぎさんなりの作戦なのかもしれない。そんなやり取りに、青坂さんが口を挟む。

「じゃあさ、わたしのことも下の名前で呼んでくれるよね?」

「…はい、えと、わかりました… えぇと……」

「柚希、ね」

「ゆずきさん」

「オーケー」

 そうして、写真サークルの最初の活動?が終わった。リュックを背負って部屋を出ようとしたとき、後ろから声が飛んでくる。

「みおー、一緒に帰ろ」

「…まぁ、いいですけど」

 断ったとしても同じバスに乗るのは確実なので、とりあえず首肯く。

「あれ、アンタたちバスの方向一緒なの?」

「そう、なんたってバスの中で知り合ったからね」

「へぇ」

「じゃ、また」

「またね」

 なぎさんは左手を雑に振りながら、右手で私の肩を押した。私も真似して柚希さんに手を振って、薄暗いサークル室をあとにする。一年分くらいの会話をしたような気がして、疲れがどっと体を飲み込むのを感じながら、なぎさんと家路についた。

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