春暁の白昼夢

 連休の気分が抜けきらず、体がぼーっとする。春の香りを残す葉桜を、窓の外に見下ろす。講義の内容は、脳内で処理されることなく、ただ頭の中を通り過ぎてゆく。

 水曜の5限、私は考えていた。どうやってあの子と話そうか、ということだ。とりあえず、隣の席に座るのはマストだ。それは運次第なので置いといて、話す中身を考える。

 定番なのは季節とか天気の話かな。「あったかくなってきたねー」とか。いや、そこから話が繋がるビジョンが見えない。あるいは無理やり距離を詰めようか。「このあと遊びにいかない?」……ナンパみたいだ。

「ねぇ、ちゃんと聞いてるぅ?」

 隣の柚希ゆずきに頬をつつかれる。

「聞いて…るよ」

「はぁ」

 柚希は私よりもちょっと、いや、だいぶ真面目だ。勉強もできる。柚希がいなければ、私は今ごろ二周目の1年生をやっていたかもしれない。私みたいな不真面目に付き合わせてしまって、申し訳ないと常々感じる。

 前のスライドを真剣に見るふりをして、視線だけを外に向ける。遠くの山に新緑が登って、季節のグラデーションを作っている。

 私は自然の風景が好きだ。昔から、両親にいろんな場所へ連れていってもらい、祖父に貰った古い一眼レフで風景を撮ってきた。そんな写真の数々は、いつも私の心の養分になる。

 ――― そうだ、写真サークルに入らないか訊いてみよう。1年生をサークルに勧誘する。うん、自然な話題だ。実際に入るかどうかよりも、話題ができたことが嬉しい。もしも運良く、それでサークルに入ってくれたら、一石二鳥だ。


 足早にバス停へ向かう。ふと、あの子が先に乗っていないと隣に座れない、と思い、少し歩速をゆるめる。

 乗り込んで、前方をぐるっと見回す。姿はない。おもむろに後ろを振り返る。いた。後方の座席の窓際に座っていたその子は、じとっとした目で窓枠のあたりを見つめていた。他の空いている席を見逃し、その子の隣に座る。リュックを膝に抱えて、右手の爪の先を眺める。

 足にエンジンの細かい振動を感じながら、意を決して顔を覗く。しかし目が合わない。前を向き直して、とりあえず声を掛ける。

「ねぇ」

「ひあいっ?」

 予想外の声が返ってくる。もう一度横を向くと、さっきよりまぶたが上がったことに気づく。

 私のこと覚えてる?と訊こうとしてやめる。

「1年生だよね?」

「そうですけど」

 いつか聞いたような問答をする。素直に答えるところを見るに、やはり私のことは忘れているのだろう。

「えーと、じゃあ、サークルとか入ってる?」

「いえ… 入ってないです」

「じゃあさ、私のとこのサークル入らない?写真サークル、なんだけど」

「写真…」

 バスが停まる。誰かの家の庭先に、ビオラが咲いているのが見える。

「あっ、カメラは持ってなくても大丈夫だよ。スマホで十分」

「ん…」

 窓枠に肘をつき、髪をくしゃっと触りながら唸った。深い栗色のその髪が、陽の光に照らされて輝いている。

 思いの外会話が続かず、暫し沈黙となった。降りるバス停が近づく。気持がはやって、もう一度切り出す。

「それで、どう?入ってみない?」

「い…」

 今のは「いや」だろうか。断られたのかどうか、よくわからない。

「写真とかって… どういうの撮るんですか」

 おー、意外と興味あり?じゃあ、もうちょっと真剣に勧誘すべきだろうか。とりあえず質問に答える。

「えーっと、風景の写真とか」

「風景…… いや… 風景とかはあまり」

 まずい。なにか興味のありそうなものを探そうと、他の人が撮っていた写真をなんとか思い出す。たくさんの写真が、早回しのスライドショーのように脳内を流れる。

「ふ、風景だけじゃないよ!んーと、人の写真とかも撮るし」

「人…… 人の写真も別に…」

 風景もダメ。人もダメ。風景でも人でもない写真って、何だ?これ以上思いつかない。終わった。万事休す。

「…ええと、まあ、考えておきます」

 考えてくれるのか。いや、それよりも。返事を聞くために、また話せる。両足のつま先を軽く上げて、とんとんと突き合わせた。

 バスが減速するのを感じて立ち上がる。

「そうそう、私は菊池きくちなぎ。君は?」

「せ、芹沢せりざわみおです」

「みおちゃん、ね」

 澪が顔をあげ、初めて目が合う。きれいな目だ。

「じ、じゃあ、またね」

 ドアが開いたので慌てて降りる。初夏と間違いそうな外の空気を感じ、深く息を吸った。

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