イランの歴史 ①オマル・ハイヤーム

 といっても全日本人の半分くらいは世界史の年号なんておぼえていられないと思うので、美少年が出てくるおいしいところだけ説明します。




酒姫サーキイとオマル・ハイヤームの四行詩ルバイヤート


 オマル・ハイヤームというのは、11世紀のイランで活躍した詩人です。


 当時イランはテュルク系遊牧民が興したセルジューク朝という国の支配下にあったのですが、なにせイラン人は大帝国ペルシアの末裔ですから、読み書きそろばんが得意です。一方遊牧民の皆様は政治が苦手(婉曲表現)なので、イラン人を官僚としてどしどし登用しました。これを可能としたのがイスラームで、改宗した人はみんな平等、つまりテュルク人もイラン人もアラブ人もイスラームの人ならみんな平等という教義があるからなのですが、そのへん詳しくやると宗教の話になってセンシティブかもしれないので割愛します。


 オマル・ハイヤームもイラン人らしく賢い人だったので、セルジューク朝の宮廷に天文学者として採用されます。


 しかしイラン人というのは詩が大好き。オマル・ハイヤームも李白かよというぐらい酔っ払っては詩を詠み、酔っ払い詩人として歴史に名を残しました。


 その詩の中に出てくるのが酒姫サーキイです。


 これ、姫とついているので誤解されがちなのですが、男の子です。


 イスラームでは酌婦は淫らなものであり預言者がお喜びにならないということで女性が飲み屋で働くのを禁じていたのですが(ていうかそもそもイスラームって飲酒禁止してない?と思ったアナタ、お詳しいですね! この頃のイランはペルシア帝国の気風が残っているロックな社会だったのです)、代わりに置いたのが少年だったのです。


 いかがわしい飲み屋……かぐわしい葡萄酒の香り……若く美しい少年たちが優しい手つきでお酒を注いでくれる……


 おわかりですね?


 そういうことです。


 オマル・ハイヤームは詩集の中で何度も何度も何度も酒姫サーキイに救いを求めました。酒姫サーキイは息苦しい官僚社会の中で唯一心を慰めてくれる癒やしの天使だったのです……。






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