第10話:溶けゆく境界
人混みの向こうに、見覚えのある背中があった。
スーツの肩幅、歩幅、わずかに前傾した姿勢――。
息が詰まる。
どうして、ここに……?
信号が赤に変わる。
私は無意識のうちに足を速め、その背を追った。
振り返った横顔に、胸の奥で何かが爆ぜる。
――聖司。
気づけば、あの日と同じホテルのラウンジにいた。
窓の向こう、夕暮れに沈む街並みが、静かに光を失っていく。
彼は何も言わず、ただ向かいに座り、薄く笑った。
グラスの縁をなぞる指先が、あまりにも現実的で、私の中の理性を削っていく。
やがて、握られた手に、ひんやりとしたカードキーが滑り込む。
その冷たさが、これから訪れる熱を予告しているようだった。
ホテルの部屋。
カーテンの隙間から、夜の光が差し込み、ベッドの白さを際立たせている。
唇が重なり、呼吸が乱れ、服が床へと落ちていく。
触れられるたび、背徳感が肌の奥に沈んでいくのに、それ以上に熱が私を支配していく。
初めての夜とも、再会の夜とも違う――これは、理性が完全に溶け落ちた感覚だった。
兄だと知ってしまった今、その禁忌が、逆に私を解き放っていく。
抗う理由はすでに崩れ去り、残ったのは、彼を欲する女としての私だけ。
彼の手が腰を引き寄せ、深く重なり合う。
熱い吐息が耳元をくすぐり、奥底まで一気に満たされる。
その瞬間、快楽と罪悪が同じ速度で押し寄せ、身体の奥を痺れさせた。
律動のたびに、内側の奥深くで波が砕ける。
その波はこれまでよりもゆっくりと、確かめるように私を攫い、そして最後には、彼の熱が内側に放たれた。
その重みと温もりが、私をさらに深く縛りつける。
不思議だった。
初めての夜よりも、再会の夜よりも、今のほうが彼を愛おしいと感じている自分が――。
それは血のつながりを知ったからこそ芽生えた、理解しがたい感情だった。
――気づけば、自宅のベッドにいた。
心臓の鼓動がうるさく耳に響き、シーツが汗で湿っている。
夢……だったのか?
けれど、指先に残る感触も、胸の奥の熱も、まだ消えてはいなかった。
そして――下腹部に、わずかな湿り気と、何かを受け入れていたような、不思議な感覚が残っていた。
それは、さっきまでの出来事がただの幻想ではなかったかのように、私の身体を確かに記憶していた。
視線を落とすと、胸の奥に重く沈んでいた感情が、再びざわめく。
――あれは、本当に夢だったのだろうか。
兄だと知ってしまったはずの相手を、あんなにも強く求めてしまった自分。
抗うどころか、抱かれることに安堵すら覚えていた。
その事実が、何よりも恐ろしかった。
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