第30話 避難

 深夜の暗闇に敵の襲来を知らせる避難警報が鳴り響く。

 それは規定されている中でも最上級の災害を知らせる避難警告音。


「いやぁぁぁ!!」


「た、助けてくれぇぇぇ!!」


「ヒィ!やめ、やめて……」


 襲われたのは愛の家だけでなかった。時を同じくして、町全体が大量の魔の者たちの襲撃を受けていた。


 その数は優に千を超え、駐屯していた退魔隊だけではとても対処しきれないほどの巨大な魔災害。

 これは後に『下外気しもがいき町の千鬼夜行せんきやこう』と呼ばれた。


 町は押し寄せた魔の者によって破壊されていき、そこに住む住民たちは次々と襲われていった。


 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 その言葉にこれ以上に相応しい光景がこの世に存在しないだろうと思われる程の凄惨な状況。

 町のあちこちからは火の手が上がり、聞こえては消えていく悲鳴。

 生理的に嫌悪する不気味な鳴き声とも唸り声とも判断出来ない声が町の至る所から聞こえていた。


 着の身着のままに避難所に向けて逃げ出す人たちに紛れ、母親に手を引かれるようにして走る愛の姿もあった。


「お母さん!お父さんは!?」


「大丈夫よ!お父さんは後から来るから!」


 それは愛を安心させる為の言葉ではなかった。

 母親自身がそう思わないと、今すぐにでも愛をこの場に残して一人で引き返してしまいそうになるなるからだ。

 そしてそれは夫の望む事ではないという事を理解している。

 今は彼の事を信じて娘と共に安全な場所に避難する事が重要なのだと。

 彼女は自分に言い聞かせるように何度も何度もそう頭の中で繰り返しながら走った。


 避難所となっている町の小学校まではあと数百メートル。

 そこまで行けば常駐している退魔隊が守ってくれる。

 そして後は夫が逃げてくるのを待つだけ。

 余計な事は考えるな。

 とにかく走れ。

 手から伝わってくる娘の温もりを守る為に、決して失わないように、彼女は祈るような気持ちで走り続けた。


 しかし——


「うわあぁぁぁぁ!!!」


 前を行く人たちから大きな悲鳴が上がった。

 そして一つの同じ意思を持って進んでいた集団の動きが止まる。


 遠くの街灯に照らされて浮かび上がる巨大な棒状の影。

 それは二階建て家屋の屋根の高さほどまでにまっすぐに伸び上がっている。


 それまで一直線に避難所に向かっていた者たちが逆走を始める。

 愛の位置からはその影が何であるのかまでは判別出来ないが、少なくともこの場に留まるべきではないという事は解る。


「愛!こっちよ!!」


 母親も引き返してくる人波に合わせるように、今来た方向に向かって愛の手を引く。

 その時、伸び上がっていた影が、すうっと低くなっていき——


「ぎゃあぁぁぁぁ!!」


 逃げ出した人々を後ろから次々と撥ね飛ばすように突進してきた


 それは長く太い体に数百ものかぎ状の脚を持ち、その頭部には巨大な口と鋭く伸びた牙が見える。


 『大百足おおむかで


 それは二級に指定されている上級の魔物。

 出現頻度は稀だが、これまでにも多くの人が犠牲となっている災害級の敵だった。


 大百足はその口で人々を食らい、撥ねた人を爪に突き刺しながら突進してくる。

 それはあっという間に愛と母親のいる位置にまで到達した。


 だが、幸いなことに二人は後退してきた人たちによって突き飛ばされ、そのお陰で大百足の直撃を避けることが出来た。


 勢いよく壁に飛ばされた衝撃で意識が朦朧とする愛。

 その目の前を巨大な大百足の身体が通過していく。


 止めどなく聞こえてくる人々の悲鳴。


 愛は懸命に身体を動かし、霞む視界の中で母親の姿を探した。


「お……母さん……」


 そう呟いた時、大百足の動きがぴたりと止まる。

 そして無数の脚で器用に後退し、鎌首のように頭部を上げて倒れている愛を見た。


「あ……」


 大百足は大人よりも肉の柔らかい子供の方が好物だった。

 突き刺して殺すのは勿体ない。

 生きたまま喰らおう。


 その残虐な意思が醜悪な表情から愛にも伝わる。


「いや……いや……」


 感じるのは恐怖という名の絶望。

 たとえ身体が動いたとしても逃げ切る事など不可能だと分かる程の圧倒的強者の放つ存在感。


 大百足はご馳走を前にしてもすぐには食いつきはしない。

 どうやって喰らおうか?

 手足を一本ずつ大事に喰らうか?

 それとも頭から一気に喰らうか?

 いや、柔らかい腹を引き裂いて、中のはらわたから堪能しようか?


「助けて……助けて!お母さーん!!」


 やはり煩い口のある頭から一気に喰らうことにしよう。


 大百足はすでに血にまみれている口を開くと、そのまま愛へと襲い掛かった。


「いやぁぁぁぁ!!」


「離れなさい!!」


 大百足の牙が愛に届く直前、聞こえてきたのは母の声。

 そして目の前で光が炸裂したと同時に大百足の顔が大きく弾かれた。


 愛は声の聞こえてきた方を見る。

 そこには光の弓を構えた母の姿があった。


 そしてすぐに愛の下へと駆け寄ってくると、立てる?と一声かけて愛の身体を立ち上がらせる。


「立てるなら走りなさい。すぐにここから逃げるのよ」


 落ち着き払った母の声に、愛のそれまでの恐怖は消えていた。


「キシャアァァァァ!!」


 予期せぬ攻撃を食らった大百足だったが、ダメージは全く無く、すぐに怒りの雄叫びを上げて二人へと視線を向ける。

 母親は大百足を牽制するように光の弓を発動させ、その顔に向けて再び矢を放つ。

 至近距離での攻撃は激しい光の爆発を起こし、周囲が一瞬昼間のような明るさに包まれる。


「走って!!」


 母の声に弾かれたように駆け出す愛。

 まだ足元はおぼつかないが、それでも懸命に足を前に出していく。


 しかし10メートルも走らないところで母親が一緒に逃げていないことに気付いて足を止める。


「お母さん!!」


 愛は振り返り叫ぶ。


 嫌な予感が愛の頭の中をよぎる。


 視界に入ってきたのはこちらをしっかりとその目で捉えている大百足。


 そしてその爪に腹部を貫かれて串刺しにされている母の姿だった。


「にげ……るの……よ」


 彼女は顔だけを愛へと向け、最後の力を振り絞るようにそう言った。


 その顔には子を想う母の優しい笑みが浮かんでいた。



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