第31話 別れ
「お母……さん?」
愛は自分の見ているものが信じられなかった。
ほんの少し前、僅か数秒前まで傍にいた母の無残な姿。
悲しみ、怒り、恐怖。
そんなありきたりな感情が浮かぶこともなく、ただ茫然と母の浮かべた笑顔を見つめていた。
「キシャアァァァァ!!」
大百足はこれには興味が無いとばかりに、爪を振って母親の身体を地面に投げ捨てると、叩きつけられた彼女の身体は力なく何度か弾みながら愛の足下まで転がり、そのままピクリとも動くことはなかった。
「いや……。いやあ!!お母さん!!お母さん!!」
母親の身体に抱きつき、狂ったように泣き叫ぶ愛。
しかし母親が目を覚ますことはなく、二人の周りには流れ出るおびただしい血が溜まりを作っていた。
「ねえ起きて!起きてよお母さん!!」
すでに愛の意識の中から大百足の存在は消えていた。
一気に押し寄せてくる悲しみの感情が彼女の心の中全てを埋め尽くしていたのだ。
そんな愛の様子を満足そうに見つめている大百足。
もう邪魔者はいなくなった。
さあ、ここからがお楽しみの時間だ。
大百足はその邪悪な口から先が二股になっている細長い舌を出し、口の周りをぺろりと舐めまわした。
そしてゆっくりと顔を母親にしがみついて泣いている愛へと近づけ、獲物の匂いを嗅ぐかのように鼻を鳴らした。
「あ……」
すぐ目の前に迫っていた大百足の巨大な顔。
愛は自分の置かれている状況を思い出したが、すでに逃げようという気持ちは無くなっていた。
母親が命を賭してまで守ってくれた命だったが、もうそんなことすらどうでも良いことに思えた。
大百足の舌が愛の頬を撫でる。
ぬるりと生暖かく、血生臭い異臭が漂う嫌悪感しか抱かない不快な感触。
愛は母親の身体に覆いかぶさるようにして目を閉じた。
お父さんは無事かな?
家族三人、幸せだった昨日までの日々を思い出しながら、自らの最後の時を覚悟した。
「悪霊退散!!」
しかし、そんな愛の走馬灯を打ち消す様な男の声が轟く。
「
愛が驚いて顔を上げると、その瞬間——目の前に迫っていた大百足の顔が、強烈な光と共に弾け飛ぶ。
「おい!無事か!?」
声のした方へゆっくりと顔を向けると、そこには退魔隊の迷彩服を着た一人の大男が立って愛の方を見ていた。
スキンヘッドに鍛え上げられた逞しい体格。
その両腕には数珠が幾重にも巻かれており、その拳からは神力の光が溢れ出していた。
「——くそっ!」
男は愛の抱いている母親を見て悔しそうな声を漏らす。
一目ですでに助からないと分かるほどの重症。
いや、すでにこと切れているかもしれない。
遅かったか。
そんな無念が男の脳裏を過り、その想いの元凶となった大百足への怒りへと変わっていく。
「ここから動くんじゃないぞ」
愛は男の言葉に無言で頷く。
その反応に満足した男は体勢を立て直そうとしている大百足へと歩みを進める。
よろよろと起き上がった大百足の頭部は大きく
しかしその捕食本能は衰えることなく、食事の邪魔をした男への猛烈な殺意に全身を震わせている。
「逆切れしてんじゃねーぞ!!」
男は再び両の拳に神力を集中する。
しかし大百足はそんなことには一切構わず、全身をバネのように弾ませて男を喰らわんと襲い掛かってきた。
凶悪な二つの牙が男に迫る。
しかしその牙を男はその場から動くことなく両手で掴んで受け止める。
大百足はその事を予測していたのか、止められると同時に鋭いかぎ爪で男を串刺しにせんと左右から高速で突き出した。
鋭い爪が男に届く瞬間、掴んだ牙ごと力の限り地面へと大百足の頭部を叩きつける。
「ピギャッア!!」
瞬きする程の一瞬の攻防。
大百足の牙は衝撃で途中からへし折れ、その強靭な顎は骨ごと砕け散った。
「
捻りを加えた両拳での連撃。
一点に加えられた衝撃は、大百足の顔面に大きな卍の打撃痕を刻む。
逆方向から捩じるような波動が長い大百足の全身を伝わっていき、奇妙なまでに不規則に捩じられ——
「ギ……ギギギ……」
「お前らバケモンに死があるかどうかは分からねえが——」
「ギギ……ギャギャ……」
「とりあえず——くたばれや」
——そして限界を迎える。
「ギャパァァァァァ!!」
ねじ切られ爆発四散する大百足。
飛び散る血肉片は、地面に触れることなく光の粒子となって浄化されていった。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
男は膝の上に母親の頭を乗せ、その顔をじっと見ている愛に声をかける。
「その人は嬢ちゃんの母親か?」
愛は男の声にぼんやりとした視線を向け、小さく頷いた。
「そうか……」
母親はすでにこと切れていたが、その手はしっかりと愛の手を掴んでいた。
「ここは危ねえ。送っていってやるから避難所まで来い。他の隊員もいるからあそこなら安全だ」
しかし愛はその提案を拒絶するように首を横に振る。
そして母親の顔に手を当て、慈しむように優しく撫でた。
「……心配するな。母ちゃんは俺が連れて行ってやる。離れ離れなんかにゃしやしねえよ」
男は愛の隣にしゃがみ込み、優しい声でそう告げた。
「俺は退魔隊関東支部第7師団所属の
そう言って右手を愛に差し出す。
厳つい見た目に似合わぬ優しい瞳。
愛はその瞳に吸い込まれるように怒真利の手を取っていたのだった。
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