第20話 地獄の門番1
語り マリー・アスラマハーバリ・イシュタル (ノエル・ダルク)
船旅初日の晩は何事もなく朝を迎えました。
徹夜した船長さんは部屋に戻ると、顎をしごいて言いました。
「賊は水上戦が得意でない。だからと言って油断は大敵」
それから寝たいと言って、ぼくたちを部屋から追い出しました。
ぼくとねえちゃんは船首に行きます。帆船の聖アンデレ号はゆっくり人が歩く速度でしょうか、わずかな流れに乗って進みます。そのうえ船長さんと非番の船員さんが休んでいるので大きな音、無駄な音はありません。とても静かなのです。しかも眺めは単調ですぐ飽きが来てしまいます。ねえちゃんも同じ様で浮かぬ顔をして景色を眺めていました。
すると後方から漕舟が「ホイ、ホイ」と掛声合わせて追い越していきます。追い越されるとぼくの心は乱れます。この船で救出は間に合うのか、早い漕舟に乗るべきではなかったか、不安と憂鬱ばかりが頭をよぎります。そんな時でした。
「左前方に煙!」
船長さんや非番の船員さんまで勢いよく飛び出して、ぼくたちのいる船首に集まりました。
「野盗だ。村を焼いてやがる」
顔に傷の船員さんがうめくようにつぶやきます。
見れば50人ほどの野盗が悪魔のように振舞っています。無抵抗な人々が剣や槍で突き殺され、女性が乱暴されています。この船に気づいた村人たちは両腕を振り、助けを求めています。年寄りも子供さえもが河に入って泳ぎ始めました。野盗たちは泳ぐ人たちに弓を引きます。射的をするように当たり外れを楽しんでいます。
そしてこんな光景もありました。ひとりの女の子が水面を激しくたたいています。「お父ちゃん、お父ちゃん」と叫んでいます。でも力尽きると沈んで見えなくなってしまいました。なのに野盗たちは的が減ったと残念がっているだけでした。
見ていたレオンさんは仁王立ちすると怒り狂って叫びました。
「碇を入れるぜ!おやじさん」
「馬鹿やめろ。救いきれるもんか!」
でもレオンさんは大きな木槌で碇止めを打ち外します。碇は勢いよく落ちて水柱を上げました。延びたロープがピンと張り、船は軋む音をたてて止まりました。
船長さんはレオンさんを怒鳴り、殴り倒します。
「勝手に何するんだ。あいつらこの船を襲うぞ、頭を冷やせ」
「頭を冷やすのはおやじさんの方だ」
レオンさん起き上がると唇の血を拭いました。そして河上を差しました。
見ると先ほどの漕舟が野盗の舟に襲われています。逃げ泳ぐ水夫たちに矢を射掛けているところでした。
「河は蛇行している。風もないから船足は遅い。何をしてもしなくても、あいつらこの船も襲うぜ」
船長さんは両手に拳をつくると二度三度地団駄を踏みました。
「くそぉ・・帆をたため!ここまで泳げた者は救ってやれ!」
そしてぼくたちを見て、
「水を汲んでどこでもいいからぶちまけろ。火矢や焙烙玉が来る前に、急げ!」
ぼくたちはジャックさんと共に降ろされた帆に水をかけます。
「ブン」と唸る音がしたら帆柱に矢が立ちました。野盗たちはこの船にも矢を放ち始めたのです。傷ついた村人がひとりふたりと甲板に引き上げられますが、安心したのかその場で意識を失う人もいます。野盗たちは川岸から新たな小舟に分乗し、逃げ遅れた人たちを槍で突きながら寄せてきます。飛来する矢がだんだん正確になり、ついには船員さんにもあたるようになりました。船長さんはマストの聖アンデレ旗を見上げるとケモノのような声をあげました。
「うおおっ、見捨て給うな!・・救助は中止、合戦用意!」
「許せっ!」
船員さんは村人が掴むロープを手放します。水音が聞こえたらロープは引き上げられてしまいます。哀訴の叫びが聞こえると同時に、矢が舷側に殺到するようになりました。
船長さんは細身の剣を持ちだすと乱暴に抜いて叫びます。
「ノエルとネリーは船長室へ行け!内鍵を忘れるな!」
そして船員さんたちにも叫びます。
「やつらを上げるな!たたき落せ!」
レオンさんも船員さんたちもそれぞれ得物を持つと船べりで戦いを始めました。
助けられた村人も動ける人は加勢します。
「若さまもお嬢さんも、早く船長の言うとおりに」
ジャックさんは両腕を広げ、ぼくたちを追い込むように急がせます。
そんなジャックさんの背に矢があたってしまいます。
ジャックさんは苦しみながらも両腕は広げたまま、船長室までぼくらをかばってくれると、
「鍵をかけるんだよ・・」と言って倒れました。
ねえちゃんは悲鳴をあげながらも、ジャックさんを船長室に引きずり込みます。扉を閉めて内鍵をかけました。ねえちゃんジャックさんの顔に手をあてて言いました。
「死んでる、死んじゃってる!」
そしてぼくに向かって甲高く叫びました。
「あんた!お使いなら、何とかしな!」
「ぼくの力では面識のある人の霊は戻せない。ましては生き返らせたり出来ないよ」
地団駄踏んでいるねえちゃんの横で、ぼくはジャックさんの乱れた髪を手櫛で整えました。しかし落ち込んでいる場合ではありません。
(そうだこれは大事だ。緊急事態だ)
ぼくは震える手でケルちゃんの呼子を革袋から取り出し、思いきり吹きました。
『スー、スー・スー』
音、出ません。
ねえちゃんは「アホか」とぼくを見ます。こんな大事に拍子抜け、間抜けぽい。
あとで知りましたが犬笛の音は人間には聞こえないそうです。
『ズン!』
大きな振動が部屋を襲い、巨大犬のケルちゃんがねえちゃんの眼前に出現しました。そしてケルちゃんの悪い癖です。ねえちゃんの鼻の頭をぺろりと舐めました。
「ギャー!」
狭い部屋でねえちゃんの悲鳴が耳を痛くするほど響きます。
「ケルちゃん!」
ぼくはうれしくて飛びつきましたが寸前で消え、空振りました。
でも死んだはずのジャックさんがむっくり立ち上がり、ぼくの頭をぽんぽんと叩きます。
「ギャーッ、ジャックさんが生き返った!」
(ねえちゃんは驚くことないでしょ)
そしてちぐはぐなのもここまで。次からぼくたちはケルちゃんこと地獄の門番ケルベロスの恐ろしさを知ることになります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます