第28話 王子1
語り ルイ・ド・フランス 第九代ヴィエノワのドーファン
(後のフランス王ルイ十一世 慎重王 偏在する蜘蛛)
謁見のさい、陛下は神の使いと名のる百姓娘を試そうと、玉座に別なる者を置き、自分は臣下の列の中におられました。ラ・ピュセルはそれを見事に見破り、御前で跪き口上を述べました。あの時の驚きとどよめきの声、終生まで忘れることはありません。
さて陛下は覚えておいででしょうか、ラ・ピュセルの脇で常に控えていた小姓です。ラ・ピュセルの義弟でもありノエルと申す者です。
小姓というものは誰もがよく躾されており、わたしが幼い子供でも王子として遇し、みな小さな騎士として美しい礼をしてきたものです。しかしノエルは違いました。わたしを見ると満面の笑顔で手を振ってきたのです。これはとても新鮮でした。わたしは儀礼に満ち、なにもかもが閉塞していた王宮の中でノエルに大きな興味を持ちました。そしてその興味を満たしてくれる時が後日やって来たのです。
オルレアン解放後、ラ・ピュセルはロッシュに凱旋しました。陛下は褒美のひとつとして休養を与えられた。ふたりはわたしの代父ジャン・ダランソンの館があるサン・フロランへ行くことになったのです。さっそくわたしは母上の許しを得て、代父殿に同行を願いました。代父殿は申し出に大変喜んでくれました。
ラ・ピュセルはご承知のように屈託のない娘でした。人前ではわたしを長子王子として敬意を見せていましたが、大人どもがいない時は普通の子供として扱い、遊びにも快く付き合ってくれました。特に小姓のノエルとは齢も近く、犬の仔のようにじゃれて遊ぶのが楽しくて、旅の道中でも館でも、ノエルの後を追いかけていたものです。そして滞在して5日目です。
ラ・ピュセルはその日までは、侯母どの、侯妃どの(侯母も侯妃も名はジャンヌ)三人で喫茶や糸紡ぎ、裁縫を楽しんでいたのですが、飽きたのでしょうか、天気も良く、わたしとノエルを遠乗りに誘ってきたのです。わたし達も館での遊びに飽きていたので大変喜びました。それぞれが馬に乗り、見知らぬ丘を越え、川を渡り、森や草原を行くのです。まことに楽しいものでした。
途中、水清き池で休憩をとった時です。わたしは弩を取ると護衛の者に矢をつがえさせ、遠くに見える地栗鼠(ぢりす)を狙い放ったのです。まぐれでしょう、矢は当たりました。それをノエルが見咎めて喧嘩になりました。
わたしはこの齢になってもあの時のノエルの言い分が解らないのですが、
「遊戯で殺すは悪魔の所業」とのことでした。
わたしは腹を立てノエルの胸を両手で突きました。が、幼い力ではノエルは一歩下がっただけで倒すことは出来ません。わたしは一段と腹を立て、腰の短剣を抜きました。そのときです。ラ・ピュセルはわたしとノエルの間に入り、まずノエルの頬に、そしてわたしの頬にも平手打ちを喰らわせ、抜いていた短剣を奪い取ったのです。
勿論、いままで頬を打たれたことなどありません。頬に手をあて呆然としていました。護衛の者もあっという間の出来事で、酷くうろたえていたのも記憶しております。そしてラ・ピュセルの説教が始まりました。
まずノエルには無礼であると責めました。終わるとわたしには「あなたは正統なる王の子、ゆくゆくは王太子、国王になる身である」と。そしてわたしに正義があるというなら、突いたときに正義の力、神の御力でノエルは倒れたはずだと言うのです。なのに倒れないのは、わたしに神が認める正義がないからだと言ってきました。あまつさえ、剣を抜いたのは神の御心が解らぬ愚かな行い、神に代わり、罰を与えたのだと言ったのです。幼いわたしはこのくだらない屁理屈に納得してしまい、ノエルと仲直りをしました。ラ・ピュセルは次にこうも言ったのです。
「体の大きいノエルに向かった勇気を忘れてはいけません。今後も敵がいかに強大であっても恐れることはありません。神がお望みの時に行動をお取りください。まずは自分でやってみる。すると天の助けがあるものです」
わたしは苦境に立つたびにラ・ピュセルの瞳が、言葉とともに現れるようになりました。
ラ・ピュセルは話し終えると護衛の者たちに、水浴をするのでこちらを向かないようにと、命じました。そして男たちが離れると、するすると裸になり、嫌がるわたしを手際よく脱がしました。それから池に引っ張りこみました。
そうそう、ラ・ピュセルの四肢は白く美しく輝いておりました。幼いわたしでもまじまじと見てしまい「王子は女の裸がそんなに珍しいのですか」と、たしなめられました。それから三人、声がかすれるほどはしゃいでじゃれて水浴を楽しみました。するとラ・ピュセルは我慢比べを提案してきたのです。誰が一番長く水の中に沈んでいられるかと。わたしは喜んで乗りました。そしてラ・ピュセルはこうも言ったのです。
「わたしが勝ったら王子はわたしの弟ですよ」
「ならばぼくが勝ったら、家来になるか」
「ジャンヌは神に仕える身なのでそれは出来ません。ですが王子が勝ったらあなたの姉になってさしあげましょう」
少しも取引になっていないとわたしが文句を付けると、
「三人だけの秘密です」
裸のラ・ピュセルは腰を折って笑顔を近づけると、口に指を立てて話を曖昧にしました。
が、わたしはそれを飲みました。
わたしはラ・ピュセルを自分の力で姉にしたかったのです。
いち、にの、さんで、三人で潜り、わたしは目をつむり必死で息を殺しておりました。十を数えないうちにノエルが脱落し、そして二十を数えたあたりでしょう、ラ・ピュセルはわたしの胸や脇腹をくすぐったのです。わたしは溜めていた息を吐き出し水面に顔を出してしまいます。しばらくするとラ・ピュセルも勢いよく現れました。満面の笑顔で仁王立ち、白い胸を大きく上下させておりました。そして自分と違うところにも目がいってしまい、つい凝視をしました。
「あっはっはっはっ、このジャンヌ・ラ・ピュセルは王子を甘く見ておりました。王子も立派な殿方でありますね」
わたしは負けじと言い返しました。
「くすぐるとはずるいぞ」
ノエルも同様を言いました。ノエルには水中でおかしな顔をつくって笑わせたそうです。
「ずるくはありません。神がお望みの時に知恵を使ったのです」
そう言うとラ・ピュセルはわたしの顔前でアッカンベーをしましたよ。
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