第二章 初任務
〇六〇〇。
人工の朝日がまだ灯らない暗闇の中で、カイは目を覚ました。
アラームは鳴っていない。だが、体が勝手に起床時刻を知っていた。
シャワーを浴び、支給された制服に着替える。指が迷うことなくボタンを留め、ブーツの紐を結ぶ。
簡易キッチンで朝食を用意する。栄養バーと合成コーヒー。味気ないが、必要なカロリーは摂取できる。
〇六五五。
ブリーフィングルームのドアをノックした。
「入れ」
レンの声だ。中に入ると、既に全員が揃っていた。
「時間に正確だな」
レンが満足そうに頷いた。
「良い習慣だ」
ミオは端末に向かい、ショウは武器のチェックをしている。ユキは壁際に立ち、じっと前を見つめていた。カイが入ってきても、視線を向けない。
正面の大型モニターに、突然赤い光が点滅した。電子音と共に、無機質な声が響く。
『緊急指令。第七小隊は直ちに第七居住区へ出動せよ』
コンピュータからの直接指令だった。
『対象:市民番号JIN-42。食料配給の不正操作。武装の可能性あり』
モニターにデータが表示される。肥満した中年男性の顔写真。額に汗が浮かび、目は落ち着きなく動いている。
「また食料関係か」
ショウがつぶやいた。
「先週もそうだったな」
レンが地図を確認しながら指示を出す。
「食料配給センター第七区。現在は朝の配給前で職員以外はいないはずだ」
ミオが端末でデータを照合する。
「対象は現在、管理室にいます。配給データを改竄している模様」
「武装の可能性は?」
カイが聞いた。
「データ上は低いです」
ミオが答える。
「武器は厳重に管理されていますから」
「でも、俺たちが相手する犯罪者は、なぜかいつも武装してるんだよなあ」
ショウが苦笑いを浮かべた。
「この前の件も、その前も」
ミオは眉をひそめたが、反論はしなかった。データ上の理論と、現場の現実。その乖離は、誰もが知っていることだった。
「とにかく」
レンが話を締めた。
「警戒は怠るな。カイ、初任務だが大丈夫か?」
「問題ありません」
「よし。装備は標準仕様。〇七一五に出発する」
装備室で、カイは準備を整えた。手が勝手に最適な配置を選び、ホルスターの位置を調整する。
「慣れてるな」
背後から声がした。ショウだった。
「訓練施設でしっかり教わったんだろ? いい動きだ」
カイは曖昧に頷いた。訓練の記憶はない。だが、確かに体は知っている。
その時、ユキが装備室に入ってきた。カイとショウを見て、一瞬立ち止まる。
「装備を取りに来たんだけど……邪魔かな?」
声は相変わらず素っ気ないが、言葉遣いは丁寧だった。
「いや」
ショウが笑った。
「新人に心構えを教えてたところさ」
ユキは無言で自分のロッカーに向かった。手際よく装備を整えていく。その動きは無駄がなく、洗練されていた。
装備を終えたユキが振り返る。一瞬、カイと目が合った。
その瞳に、何か言いたげな光が宿る。だがすぐに視線を逸らし、装備室を出て行った。
〇七一五。
第七小隊は、地下七階へ向かうエレベーターに乗り込んだ。狭い箱の中で、五人は無言だった。任務前の緊張感というより、日常の一部という雰囲気。
地下七階、産業区画。ここは居住区とは雰囲気が違った。通路は広く、大型の運搬機器が行き来できるようになっている。壁には配管が露出し、機械音が低く響いていた。
「食料配給センターは、この階の南ブロックだ」
レンが説明しながら歩く。
通路を進むと、大きな扉が見えてきた。「食料配給センター第七区」のプレートが掲げられている。
レンが立ち止まり、手で合図を送る。
「ミオ、状況は?」
「対象は管理室にいます。二階、生体反応一つ」
イヤホンからミオの声が聞こえた。
「了解。配置につけ」
レンが指示を出す。
「ショウは北側の非常口、ユキは南側。逃げ道を塞げ。カイは俺と正面から行く」
全員が頷き、散開した。
カイはレンの後に続きながら、心拍数の上昇を感じた。これが実戦だ。初めてのはずなのに、体は既に戦闘態勢に入っていた。
管理室のドアは半開きになっていた。中から、データ入力の音が聞こえる。
レンとカイは、音を立てずに接近した。ドアの隙間から中を覗く。
肥満した中年男性が、端末に向かっていた。顔は青白く、額には汗が浮かんでいる。明らかに標準的な市民の体型から逸脱していた。画面には配給データが表示されている。数値を改竄しているのは明らかだった。
「行くぞ」
レンが小声で言い、部屋に踏み込んだ。
「市民ジン、動くな」
男が振り返った。その顔に、恐怖が広がる。
「トラブルシューター第七小隊だ。食料配給の不正操作の容疑で、同行してもらう」
ジンは立ち上がり、後ずさりした。その手が、机の引き出しに伸びる。
「動くな」
カイが警告した瞬間、すべてが加速した。
ジンが引き出しから何かを取り出す。金属の鈍い光。銃だ。
カイの体が反応した。横に跳び、腰のホルスターからエネルギー銃を抜く。照準、射撃。一連の動作が流れるように繋がる。
ジンの銃口が青い光を放った。エネルギービームがカイのいた場所の壁を焦がす。
「撃て!」
レンの声と同時に、カイは引き金を引いていた。
青い光線がジンの肩を貫く。男は悲鳴を上げて倒れた。銃が床に転がる。
次の瞬間、南側からユキが飛び込んできた。倒れた男に近づき、拘束具を取り出す。北側からはショウが現れ、落ちた銃を確保した。
だが、ジンはまだ諦めていなかった。
ユキが拘束しようと屈んだ瞬間、男は残った力を振り絞って暴れ出した。肥満した体を必死に動かし、ユキを突き飛ばそうとする。
ユキがバランスを崩す。ジンの太い腕が、彼女に向かって振り下ろされる。
カイの体が動いた。
ユキとジンの間に割り込み、左腕で攻撃を受け止める。そのまま関節を決めた。男は再び悲鳴を上げて、今度こそ完全に動かなくなった。
衝撃で、カイの左腕に鋭い痛みが走った。かなりの力だった。
ユキが顔を上げた。一瞬、驚きと別の何かが瞳に宿る。
「……また」
小さな声でつぶやいた。だがすぐに言葉を飲み込み、立ち上がった。
「助かったわ」
事務的な礼だったが、その声には微かな震えがあった。そして、カイの左腕を見る。心配そうな、それでいて何かを確認するような視線。
「クリア」
ショウが状況を確認して宣言した。
「良い反応だった」
レンがカイの肩を叩いた。
「訓練の成果だな」
カイは自分の左腕を見た。ジンの攻撃を受け止めた場所。かなりの衝撃だったはずだが、既に痛みが引き始めている。見る間に、鈍い痛みが消えていく。
打撲の跡すら、薄れていく。
「腕は大丈夫か?」
レンが聞いた。
「はい、問題ありません」
カイは答えた。本当に、もう痛みはなかった。
「医療班を呼べ」
レンがミオに指示を出す。
「対象は確保。肩に被弾、命に別状なし」
ジンは床でうめいていた。肥満した体が、苦しそうに震えている。
「なぜだ」
男がつぶやいた。
「腹が……減るんだ。配給じゃ……足りない」
その言葉に、チームの誰も反応しなかった。聞き慣れた台詞のように、淡々と処理を進める。
ただ、カイだけが立ち止まった。この男は何かがおかしくなっている。食欲を制御できない。そして武器を手に入れ、抵抗した。
医療班が到着し、ジンを搬送していく。カイは自分の腕をもう一度確認した。完全に痛みは消えていた。
帰路、エレベーターの中で、ショウが口を開いた。
「やっぱり武装してたな」
その言葉に、誰も驚いた様子はなかった。
「それより、カイの動きは見事だった」
ショウが続ける。
「特にユキを守った時の反応。あれは訓練じゃ身につかない」
ユキが微かに身じろぎした。
「データは更新しておきます」
ミオが端末に何かを入力している。
「改竄されていた配給データも証拠として保全しました。かなり大規模な横流しだったようです」
「何と交換していたんだ?」
レンが聞いた。
「娯楽クレジットと、医薬品配給券。それに……」
ミオが端末を確認する。
「修理サービスの優先券もありますね。かなり手広くやっていたようです」
「横流し分の約三割は、本人が消費していた計算になります」
ミオがデータを示す。
「あの体型も納得ですね」
ショウが肩をすくめた。
「腹が減るって言ってたな。配給じゃ足りないって」
「よくある話だ」
レンが淡々と言った。
「前にも似たような事件があった。その前も」
同じことの繰り返しを語るような、平坦な口調だった。
カイが何か言いかけた時、エレベーターが止まった。
ブリーフィングルームに戻ると、レンが任務報告をまとめ始めた。
「初任務、お疲れさま」
レンがカイに向き直った。
「良い動きだった。特に仲間を守る判断は評価に値する」
「ありがとうございます」
カイは答えたが、違和感は消えなかった。なぜあんなに自然に体が動いたのか。なぜ怪我がこんなに早く治るのか。
「カイ、一緒に来い」
レンが立ち上がった。
「コンピュータに報告する。初任務の成果をな」
計算機室は薄暗く、壁一面に青い光を放つパネルが並んでいた。中央の端末に向かい、レンが手をかざす。
「第七小隊隊長、REN-23。任務報告」
静かな電子音の後、無機質な声が響いた。
『報告を開始してください』
「本日〇七一五より、食料配給センター第七区にて、JIN-42の逮捕任務を遂行。対象は武装していたが、無事確保。負傷者なし」
『了解しました。新人KAI-99の働きは』
「期待以上です。特に、チームメンバーの危機を救う判断力と行動力を示しました」
沈黙が流れた。コンピュータが何かを計算しているような、微かな振動音。
『KAI-99』
突然、カイに向けて声が発せられた。
「はい」
『良い働きでした。期待しています』
その声に、カイは何か奇妙なものを感じた。無機質なはずの合成音声に、何か別のものが混じっているような。
青い光が消え、部屋は暗闇に包まれた。二人は廊下に戻った。
「どうだった?」
レンが聞いた。
「コンピュータと話すのは」
「……奇妙な感じでした」
カイは正直に答えた。
「みんな最初はそう言う」
レンは小さく笑った。
「慣れるさ」
だが、その笑みには、何か別の意味が込められているような気がした。
午後、カイは自室で任務報告書を作成していた。
机の上の端末に向かい、定型的な報告を入力する。時刻、場所、対象の行動、使用した武器、結果。感情を交えず、事実だけを淡々と。
左腕を動かす。もう違和感は全くない。打撲の跡も、完全に消えている。
入力を中断し、引き出しに手を伸ばした。
指が奥を探る。何かを求めるように。
何もない。
当然だ。だが、なぜこんなに執着するのか。
端末に向き直る。報告書の続きを入力する。淡々とした文章が画面に並んでいく。
窓のない部屋で、人工の光が時を刻む。
初任務は成功した。体は自然に動き、怪我も瞬く間に治った。
すべてが、うまくいきすぎている。
だが、それがかえって不安を掻き立てる。
二〇〇〇。
地下都市アルファの一日が終わろうとしていた。
そして、新しい疑問と共に、次の一日が始まろうとしていた。
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