第32話 江戸流温室作戦

昼下がり、長屋の井戸端に町内の面々が集まっていた。茂吉さんは腕組みして空を仰ぎ、お紺さんは眉間に皺を寄せている。  


嫌な沈黙が落ちている。

 そのとき、隣で貴司がぽつりとつぶやいた。

「こういう時、ゲームだったら冬でも作物作るために囲いとか作りません?」

「囲い?」

「ほら、温室。ビニールは無いけど、何かで覆えば暖かくできるんじゃね?」

 ……こいつ、案外まともなこと言うじゃねえか。


「温室か……紙と竹で骨組み作って、光は通して風は遮る。炭火で夜間の冷えも防げる」

 俺がそう呟くと、貴司が食いついた。

「お、そうっす!。二重にしたらもっと暖かくなりませんかね?」

「おう、紙二重にして間に空気層作ればいいな」

 図面を描くのももどかしく、俺は地面に竹のアーチと紙張りの囲いを描いてみせた。


 茂吉さんが眉をひそめてのぞき込む。

「博志、これぁ何だい。虫小屋か?」

「いや、野菜小屋だ。小松菜とかカブを中で育てるんだ」

 お紺さんが口を押えて笑う。

「紙で野菜育つのかい?」

「やってみりゃ分かる。春まで食う分を確保するためだ」



 次の日から動き出した。

 骨組みは俺と雷五郎で竹を切り出し、火で炙って曲げる。雷五郎は怪力自慢だが、細工は苦手だ。

「おい、五郎! 曲げすぎだ、折れちまう!」

「へへっ、力加減ってやつぁ苦手でな」

 笑いながらも、竹を何本も揃えてくれるのは助かる。


 紙は紙問屋の清次が手配してくれた。

「油紙なら多少の雨でも平気だぜ。ただし高ぇぞ」

「そこは茂吉さんの顔で値切ってくれ」

 茂吉さんは渋い顔をしながらも交渉に行き、三割引で持ってきた。

 お紺さんたち女衆は、紙を竹に貼る作業に回ってくれた。

「しわにならないように、ほら、引っ張って」

「お紺姐さん、指先器用だなぁ」

「博志さん、あんたは力任せ過ぎなんだよ」

 からかわれつつも、作業は笑い声で進む。



 数日後、長屋の裏に白い半円の小屋が並んだ。中には畝を作り、小松菜とカブの種を蒔く。

 夜は中に炭火壺を入れ、温もりを保つ。

「なあ博志さん、これ、中で鍋やったら暖かくて最高っすよね?」

「バカ、火の元気をつけねえと全部パーだぞ」

 貴司は冗談を言いつつも、夜間の温度計(竹筒に入れた水の凍り具合で確認する簡易法)を提案してきた。


 一月も経たず、芽が出た。

 お紺さんが小屋を開けて叫ぶ。

「見ておくれよ! ほら、緑だ!」

 町人たちが集まり、笑顔が広がる。

 貴司は腕を組んでドヤ顔だ。

「な? ゲームじゃなくても攻略できるってわけっすよ!」

「まだ春まで気ィ抜くなよ。次の仕掛けも考えとくからな」

 俺は芽吹いた葉を見つめながら、冷え切った江戸の冬にほんの少しだけ温もりを感じた。


俺たちの小さな「囲い畑」は、あれから毎日湯気を吐きながら冬の空気の中にぽっかりとあったかい空間をつくっていた。

 藁と油紙、それに竹の骨組み。見た目はお世辞にも立派とは言えねえが、中は別世界だ。


 ある朝、俺が入口をめくると、茂吉さんが中腰になって葉っぱを撫でていた。

「ほれ、博志。ほら見てみな、こんな立派に育ちやがった」

 青々とした小松菜が、ぴんと背を伸ばしてる。外の畑じゃ、霜で真っ白にやられてるはずなのに。


 お紺さんが持ってきた竹籠にそれを摘んで入れると、ふわっと青い匂いが立った。

「なんだか、春が来たみたいだねぇ」

「へっ、これなら腹の足しにもなるし、近所の婆様たちにも分けられるな」

 俺がそう言うと、茂吉さんがにやっと笑った。

「配るだけじゃ勿体ねえ。次はもっと増やさにゃ」


 そこへ貴司が顔を出す。

「博志さん、俺、例の温室もう一個作ってきますわ。あっちの空き地、地主の爺さんに話つけてきました」

「おお、やるじゃねえか。なんて言って説得した?」

「“冬に青物が食える”って言ったら目がキラキラしてましたよ。食い物の力ってすげえっすね」


 俺たちは男手を集めて、二つ目の温室を作り始めた。雷五郎が太い腕で竹をぐいぐい曲げ、清次が器用に油紙を張っていく。お紺さんは藁縄を巻きながら、「こっちもう少し締めて」と指示を飛ばす。

 気づけば、町内の連中も面白がって手伝いに来ていた。


 数日後、その二つ目にも芽が出た。今度は大根の葉だ。外は粉雪が舞ってるのに、温室の中は蒸気で霞んでいて、土の匂いが濃く漂っている。

「こりゃあ、春になったら何でも作れそうだな」

「いや、春待たずに作っちまいましょう!」

 貴司がそう言って、次は人参と葱を植える計画を立て始めた。


 やがて、三つ、四つと温室が増え、町のあちこちで湯気の立つ囲いが見えるようになった。

 食卓に青物が戻っただけじゃない。人の顔色も変わった。

 寒さと飢えで背を丸めてた連中が、野菜を抱えて帰るときだけは笑ってる。


 俺は温室の端で、手に付いた土を払いながら思った。

――こういうのが、この時代で生き抜くってことなんだろうな。

 

 それからというもの、町は妙な熱気に包まれていた。

 あの雪の中で作った最初の温室が、思った以上の成果を出したんだ。


 「おう、芽が出てるぞ!」

 お紺さんが叫んだ声に、みんなが駆け寄る。油紙の向こうで、か細い緑の葉が震えていた。

 正直、あの時は鳥肌が立った。寒風吹きすさぶ外とは別世界だ。温室の中はほんのり暖かく、湿った土の匂いがする。


 「これ、本当に冬でも育つんだな」

 俺が呟くと、横で貴司がニヤリと笑った。

 「ね、ゲームの中だけじゃないって証明できたでしょ? 『農業シミュレーター』様々だぜ」

 ……こいつ、何を自慢してんだか。


 温室の噂はあっという間に広まった。

 最初は物珍しさ半分で見に来るだけだった町人たちも、次第に「うちでも作れないか」と言い出す。

 そこで、俺と貴司は思い切って共同農園計画をぶち上げた。米問屋の敷地の裏手にある空き地を使い、何棟も温室を並べるって寸法だ。


 「おう、博志、竹なら山ほど持ってきたぞ」

 やって来たのは米問屋の用心棒・山本。鍛えられた腕に束ねた竹を抱えている。

 「助かる。骨組みには太くてしなやかなのがいいんだ」

 「任せとけ、竹の目利きは得意だ」


 さらに瓦職人の又兵衛が土台作りを手伝い、河田先生と白石先生は、なぜか診療の合間に温室の中で植物の成長観察を始めた。

 「光の当たり具合で葉の色が変わりますな」

 「面白い……これは薬草にも応用できそうです」

 ……いや、あんたら、医者の探究心が暴走してないか?


 雪の合間に、俺たちは作付けを増やしていった。

 大根、人参、ほうれん草。外じゃ芽も出せない冬に、温室の中だけは鮮やかな緑が広がっていく。

 土をいじると、誰もが笑顔になる。

 お紺さんが腰を叩きながら言った。

 「こりゃあ、飢饉でも笑って過ごせるかもしれないねえ」

 俺は笑って答えた。

 「笑って過ごすのは大げさかもしれないけど……少なくとも、腹は満たせるはずだ」


 そして、温室の棟数はどんどん増えていった。

 町の端から端まで、油紙が陽光を反射して並ぶ様は、まるで白い波が押し寄せているみたいだった。

 あの日、吹雪の中で小さな温室を作った時には、こんな光景になるなんて想像もしていなかった。

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