第29話 江戸の銭湯

茂吉さんに連れられ、初めて近所の銭湯へ向かう道すがら、俺と貴司はどこか落ち着かねえ気分だった。


「おい、茂吉さん、江戸の銭湯ってどんなもんだ?水風呂じゃねえだろうな?」俺は半分冗談で言ったが、正直どんな場所か全然見当もつかなかった。


「水風呂だとでも思っとるんか?そりゃ違う。熱い湯に浸かって汗を流すもんじゃよ。昔ながらの銭湯はの、薪で沸かす釜があってな……」茂吉さんは得意げに話す。


貴司も後ろから、「いや、それだけで既にノーマルじゃないっすね。薪ってマジでリアルサバイバル。これで風呂入るのとか、ゲームで言ったらレベルハード確定っすよ」と眉をひそめていた。


長屋を抜け、小さな路地に入ると、煙突から煙がゆらゆらと上がる小屋が見えた。そこが銭湯だった。


入口には木製の暖簾がかかっており、「湯屋」の文字が染め抜かれている。昔ながらの木造建築で、軒先には薪が積まれていた。


「ほら、ここじゃ。中に入れば、わらわらと町の人が湯に浸かっておるのを見られるぞ」と茂吉さん。


中に入ると、熱気と湯気が充満していて、熱くて息が詰まりそうだった。脱衣所は広くはなく、男たちが着物を脱ぎ捨てている。隣の湯船からは熱い湯の音と時折、笑い声や掛け声が聞こえた。


俺は汗をかき始め、貴司は「やべえ、マジでこれ熱すぎる……これが江戸の本気かよ」と声を震わせる。


湯船は大きく、薪で沸かした熱湯が満たされていた。入り口に置かれた木の桶で身体を洗うのだが、石鹸はない。代わりに米のとぎ汁を使うという。

 

銭湯の中は木造の壁と床。薪の燃える匂い、煙の香りが鼻をくすぐり、湯気がもうもうと立っている。浴槽は石造りで深く、熱そうな湯が満たされている。


「そこの桶を使うんだ」と茂吉さん。


熱い湯に足を入れると、思わず「熱っつ!」と声が出る。薪で沸かした湯は現代の風呂より熱くて深い。


俺は覚悟を決めて湯に浸かった。めちゃくちゃ熱い!でもどこかほっとする感覚もあった。貴司もなんとか肩まで浸かるが、すぐに「おい、熱すぎて手が震えてるっすよ!やっぱ俺、こんな苦行無理っす!」と顔をしかめる



「桶も柄杓もみんな木でできとる。洗い場もただの床と壁だけで、これが江戸の風呂じゃ。」



脱衣所では、近所の江戸っ子たちが会話に花を咲かせている。長屋の噂話や世間話が飛び交うこの場所が、ただの入浴場以上のコミュニティの場だと感じた。


「いやあ、こりゃ現代の銭湯とはまるで違うな。汗かいた体に熱い湯は効くぜ。…だが、石鹸なしでこの熱さはなかなかハードだわ。」


茂吉は笑いながら「これが江戸の生活じゃ。慣れりゃ身体にも心にもいいんじゃ。」と言った。


「おお、よく来たな!」力士の雷五郎が大きな声で挨拶。隣には清次がどこか気まずそうに体を洗っている。瓦職人の又兵衛は湯船に浸かりながら、のんびりと煙管をくゆらせていた。


茂吉が「江戸の銭湯はな、ただ身体を洗うだけじゃねぇ。ここは町の情報交換所でもあって、みんなの社交場なんじゃよ。」と説明する。


貴司はそんな様子に少し驚きつつ、「現代だと、SNSとかスマホで簡単に情報交換できるんスけど、こっちじゃこうやって直接集まらねぇといけないんスね」と感心する。


すると、湯気の向こうから、重い足音が近づいてきた。やがて男が暖簾をくぐり、銭湯の中に姿を現す。


分厚い革の羽織に黒い頭巾、見るからに腕っ節の強そうな用心棒だ。顔には古傷の痕が残り、鋭い目つきが辺りを睥睨(へいげい)している。


茂吉がすっと立ち上がり、「おい、そいつは……松田屋の用心棒、山内だな。」と低い声で呟く。


博志も身構え、「なんだ、あのゴツいの……まさか、ここにまで来やがったか。」と唇を噛む。


貴司は湯船から顔だけ出し、眉をひそめて、「マジでヤバそうっスね……ゲームなら即セーブして逃げるレベルっスよ。」と小声で呟く。


用心棒・山内はゆっくりと銭湯の中を歩き、周囲を睨みながら、「どいつもこいつもあいさつもなしとは……」と低く唸った。


雷五郎が大きく息を吸い、「おう、そいつは松田屋の犬か。こちとら、こんな所でいちゃもんはごめんだぜ!」と体を起こす。


又兵衛が煙管をくわえながら、「こんな場で騒ぎは勘弁してくれや」と静かに諌める。


障子職人の長次郎は「へえ、山内。祭りの後も松田屋は活気づいてんな。ここまで来て何がしたえんだい?」と挑発する。


山内はじっと長次郎を睨みつけ、「口は慎め、障子屋。余計な事言うと、ただじゃ済まねぇぞ」と返す。


茂吉が間に割って入り、「ここは風呂場だ。争いごとは持ち込むな。おぬしも湯に浸かり、心を落ち着けぇ。」と諭すように言った。


一瞬の静寂の中、山内はうなだれてからゆっくりと湯船へ向かった。周囲の空気はぴりりと張り詰めていたが、不思議と大きな喧嘩にはならなかった。


そこへ少し遅れて米問屋の用心棒・山本が入ってくる。山内と視線が合い、一触即発の空気に。

 山内は「おう、最近さえねぇ顔してるじゃねぇか、山本」

 山本「へえ、お前こそまだ松田屋のしがらみに縛られてんのか?」

 

銭湯の湯気がふわりと立ち込め、熱気と湿気でむわりとした空気が二人の身体を包んでいた。山内はゆっくりと背中を向け、湯船の縁に手をついて腰を伸ばす。肌の艶が灯りに反射し、背中一面に描かれた大きな龍の刺青が浮かび上がった。


「見てみろや、この龍、まるで天に昇るかのような迫力だろうが。」


対する山本は、右腕から肩にかけて広がる荒々しい虎の刺青を見せつける。虎の目が今にも動き出しそうなほど生き生きとしていた。


「おお、負けてられねぇな。こちとらこの虎で獲物を狙うがごとく、狡猾な生き様を誇っておる。」


山内が胸を張り、改めて背中を誇らしげに見せる。


「これが俺の誇りよ。見ろよ、この龍。天を駆け、嵐を呼び、敵も味方も飲み込む力強さだ。命の如く、逃げも隠れもさせねぇ。」


山本も負けじと声を張る。


「おう、いい龍だな。だがこの虎を見ろ。鋭い眼光に、狩りを逃さねぇ殺気。獲物は一瞬で仕留める、まさにこの俺の生き様そのものよ。」


山内が笑みを浮かべて言う。


「そりゃあ、お前の虎も立派だ。だが龍は古来より守り神、天下を睨む存在。お前の虎、捕らわれることもあるだろ?」


山本がニヤリと返す。


「お前の龍が雲の中に隠れてる間に、この虎は獲物を一網打尽だ。油断すりゃひとたまりもねぇぜ。」


周囲の男たちも興味津々で声をかける。


「おいおい、まだまだやり合うか?どっちも熱い刺青だ!」


山内が大声で応じる。


「まだまだ終わらねぇよ!江戸の用心棒、ここにありってとこ見せてやるぜ!」

 

雷五郎が大きな声で笑いながら言う。


「おう、どっちの刺青も見事なもんじゃ。わしの土俵入りの時の化粧まわしにも負けん迫力じゃな!」


茂吉が腕を組みつつ冷静に評する。


「おう、あんたらの勝負、見てて飽きんのう。どっちも負けてはならんって気合いがみなぎっとる。」


瓦職人の又兵衛が首をかしげて言う。


「けどな、龍も虎も見てて思うんじゃが、腕の広さや色合い、線の細かさで味が変わるんじゃ。どっちが上とは言い切れんわい。」


その横で博志が少し引き気味に声を漏らす。


「いや、マジでどっちもイカついってのは確かだな。俺には刺青の技術とか詳しくわからんけど、迫力あるわ。」


すると貴司がゲーマー的皮肉を交えて小声で呟く。


「正直、どっちもステータス高すぎてバランス崩れてる感じっすよね。まるでチートキャラ対決じゃん。」


山内がムッとしながらも冗談っぽく突っ込む。


「おいおい、その虎、小っちゃくねぇか?子供の手みてぇだぞ?」


山本も負けじと返す。


「おめぇの龍だって背中だけだろうが。虎は腕から胸まで繋がってんだ、見逃すなよ!」


刺青合戦後半へ続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る