第28話 それぞれの夢の中

夜の長屋


米問屋の直会は、夜半まで笑い声と徳利の音で満ちていた。

博志は暖簾をくぐると、冬の空気に頬を冷やされる。

酔いでほんのり赤くなった顔に、鼻の奥をくすぐる炭火と煮しめの香りがまだ残っていた。

「ふぅ……寒ぃけど、悪くねえ夜だ」

懐の包みに、土産の干菓子と小さな塩昆布を忍ばせる。

道すがら、家々の障子からこぼれる灯りに、米問屋の若旦那の笑顔や、蔵の中の温かい空気を思い出しては口元が緩む。


一方そのころ、貴司は静かな足音で長屋の路地に入った。

昼間の診療所の光景がまだ瞼にこびりついている。

あの、決断の重さ。

白石先生の手が震えていた瞬間。

河田先生の、あのため息。

そして、家族が押し殺した声で「お願いします」と言った時の静けさ。

ゲームみたいに「リセット」も「やり直し」もできない。

そんな当たり前のことを、腹の底に鉛を詰められたみたいに理解した。

ため息をつくと、夜気が白く曇る。

「……はぁ……」

それ以外の言葉が出なかった。


博志は路地の角で貴司を見つけた。

「おぉ、戻ったか。腹減ってんだろ? これ、土産だ」

干菓子の包みを押し付けられた貴司は、少し驚いた顔をして「……ああ」とだけ返す。

二人は並んで長屋の入口まで歩くが、会話は続かない。

博志は酔いで温まった体をさすり、貴司は逆に冷えきった心を抱えたまま。


戸口の前で、博志がぽつりと笑う。

「まぁ、あったけぇ湯でも飲んで寝ろや」

その声が、不思議と貴司の耳に柔らかく染みた。


夜の静けさが長屋を包み込む。

薄暗い部屋にそれぞれが布団を敷き、博志と貴司は今日の疲れを体に感じながら横になる。


博志は荒い息を整えつつ、木の香りと酒の余韻を感じる。

「今日は、俺の腕であの大店の新築を支えたんだ……少しは認められたのかな」

心の中に小さな誇りと、まだ見ぬ未来への期待が灯る。


一方、貴司は暗闇に目を閉じ、あの診療所のざわめきを思い出す。

「命って、ゲームのデータとは違う。こっちは、戻れない。間違ったら終わりだ」

肩の力が抜け、どこか不安げに、しかし少しずつ現実を受け入れようとする自分がいることに気づく。


やがて、二人の意識は夢の世界へと滑り込む。



博志の夢


夜の町に巨大な木造の建物が立ち並び、祭りの提灯が揺れる。

そこに、大勢の職人や町人が笑い声をあげながら集う。

博志の手は太い木材をしっかり握りしめ、汗まみれだが確かな手応えがある。

すると、背後から源さんの声が響く。

「よくやったな、博志。お前の腕があれば、この町はまだまだ栄える」

胸の奥が熱くなる。


しかし突然、夢の中で誇らしく見上げた新築の米問屋が、突如として激しい水流に飲み込まれ、波にさらわれていく。

「なんだと!? そんな馬鹿な!」と焦る博志。


必死に手を伸ばすも、建物はみるみる遠くへ流されていく。


「くそっ、くそっ…!」


その瞬間、熱い何かがじわっと下半身に広がる。


「…ああっ!?」


慌てて布団から飛び起きると、寝床に漏らしてしまっていた。


「あぁ、夢か…」とため息をつきつつ、冷たい夜風を浴びてしみじみと自分の現実を噛み締める博志だった。


貴司の夢


暗い診療所の中、必死に筆で書きつづける貴司の姿。

だが、墨が滲み、紙が波打つ。

「もっと早く!助けてくれ!」と叫ぶ患者の声が重なる。

彼の前に現れたのは、ゲームの中の強敵のような「死神」の影。

「リスポーン不可…」と冷たく告げる声に、貴司は震えながらも剣を抜く。

「これはゲームじゃねぇんだ……」と、叫び声はそのまま朝の鳥の鳴き声へと溶けていく。



二人は、それぞれの戦いの中で、まだ見ぬ明日へと歩みを進めている。

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