第24話 米問屋新築への道

夕暮れの長屋の路地裏。

博志は一日の仕事を終え、汗ばんだ手を拭きながら歩いていた。すると、背後から低く太い声がかかった。


「博志、ちょいと来い。」


振り返ると、江戸の大工棟梁、源さんが大きな体を揺らしながら歩み寄ってきた。江戸の職人らしい泥だらけの作業着に、眼光鋭い顔が夕日のなかで一層凄みを増している。


「おめぇの腕、わしはよく見とる。仕事も丁寧だし、根性もある。そろそろ、大きな現場の棟梁を任せてみてえんだが、どうだ?」


博志は一瞬言葉に詰まった。ここまでの仕事は、せいぜい数軒の小屋や長屋の修繕ばかり。大店の新築など、まったく規模が違う。


「棟梁って…俺ごときで務まりますかね?」


「おう、分かってるさ。簡単じゃねえのは承知だ。だが、おめぇにはそれだけの力がある。わしも、そこまで言ってやっと安心できるってもんよ。」


源さんは背筋を伸ばし、真っ直ぐに博志を見据えた。


「大店の米問屋だ。あの大塩平八郎の乱の噂も、江戸の街をざわつかせてるが、この現場をうまくまとめられりゃ、おめぇの評判もぐっと上がるだろう。」


博志はゆっくりと息を吸った。大工の腕はもちろん、棟梁としての責任の重さに心臓が高鳴るのを感じる。


「…分かりました。俺、やってみます。」


「よし、それでこそだ。だが、忘れんな。江戸の棟梁は単なる腕っぷしだけの大工じゃねえ。町の顔であり、揉め事の仲裁役にもなる。腕っ節の強さと同じくらい、話し合いの力も必要なんだ。」


博志は黙って頷いた。源さんの言葉が、重く胸に響いた。


「まずは明日から準備だ。職人の手配、材料の検分、それに現場の安全も考えねぇとな。頼んだぞ、若い衆。」


源さんは笑みを浮かべ、どっしりと肩を叩いた。


「俺は…絶対にこの仕事、成功させます!」


夕焼けに染まる長屋の路地裏。博志の新たな挑戦が始まろうとしていた。


早朝のまだ薄暗い町の一角、木材の香りと鋭い鉋(かんな)の音が響く。建築現場は活気に満ち、職人たちが汗を光らせながら木材を組み上げている。


博志は丸坊主の頭にユニクロのシャツ、作業ズボン姿で、腕まくりしながら棟梁・源さんと現場を見渡していた。


「ここの梁(はり)は強固に組まなきゃならん。地震が来てもびくともしねえようにしっかり固めるんだ。」


源さんが指差すのは、豪壮な桁(けた)と梁の組み合わせ。大店だけに、妥協は許されない。


「おい、そこの若いの、材木の割れ目をよく見て選べよ。弱い材木は一発でアウトだぞ。」


隣の職人が冗談交じりに声をかけると、博志は「はいよ!」と力強く応じた。


やがて、黒塗りの幌(ほろ)付き駕籠(かご)が現場にゆっくりと近づく。駕籠を降りたのは、風格ある中年の男。米問屋の店主、桜井甚兵衛だ。


甚兵衛は鋭い目で現場を見渡し、厳格な声で職人たちに話しかける。


「おい職人ども、わしの店の顔を頼む。手抜きは一切許さん。今日からは博志殿が若いが腕は確かと聞く。しっかりやってくれよ。」


源さんが一礼し、博志も頭を下げる。


「店主様、ご安心ください。わたしも全身全霊をかけてこの家を造ります。」


甚兵衛は満足げに頷き、現場の空気はさらに引き締まった。


夕暮れの薄明かりが蔵の隙間から差し込む中、博志は重い蔵の扉をくぐった。用心棒らが黙ってこちらを見据える。いよいよ米問屋・甚兵衛の事務所である。


「おう、待っておったぞ、博志殿。遠路はるばるよう来たのう」


座敷に腰掛ける甚兵衛が、落ち着いた声で言った。


「ははあ、甚兵衛様。わしに大工の棟梁としてお役目を仰せつかったと聞き及びまして」


甚兵衛は鋭く博志の顔を見つめた。


「うむ。お主の腕は評判どおりだと聞く。だが、これは只の新築仕事とは違う。米問屋の屋敷。無用な手抜きは許されん。わしの顔に泥を塗ることになるからな」


「心得ております。どのような難工事でも、俺が必ずや成し遂げてみせます」


博志は言葉に力を込めた。


「よかろう。報酬は厚うつける。だが遅れが出れば容赦はせぬ。わしの用心棒どもも目を光らせておる。さあ、詳しい話を聞くがよい」


甚兵衛は目配せし、用心棒の一人が資料を持ってきた。


博志は資料を受け取りながら心の中で覚悟を決める。これは江戸での大仕事の始まりだ。


朝の陽がまだ低く、長屋を染める薄明かりの中、俺は長屋の粗末な寝床を離れ、現場へ向かった。

新築の米問屋の工事が、いよいよ本格的に始まる。


現場に着くと、棟梁の源さんをはじめとした職人たちが黙々と動き回っている。

材木が積み上げられ、木槌の響きが耳に心地いい。


「おう、博志。今日も頼むぜ」

源さんが黙って俺にうなずく。厳ついがどこか懐の深さを感じさせる男だ。


「はいっす、源さん。今日もバリバリいきますよ」

俺の現代口調が、なんだかこの江戸の町に馴染まないけど、現場は俺のフィールドだ。


柱を立てる作業、組み上げる梁、細かい刻み仕事。江戸の大工仕事は手間も技術も半端じゃねぇ。

現代の機械しか知らねぇ俺にとっちゃ、すべてが手作業。だけど、この手の感触は嫌いじゃねぇ。


「おい博志、その奇妙な布の着物、いっちょまえに汗かくな」

隣の若い職人が笑いながら言う。

「まあ、俺なりの江戸スタイルってことで」


現場では、江戸時代特有の道具も使われている。ノミにノコギリ、鉋(かんな)。

全部が命を預ける道具だ。

その緊張感がたまらねぇ。


昼には、近所の茶屋から差し入れの茶とおにぎりが届く。職人たちが手を止め、ほっと一息つく時間。

「おっ、これは米問屋らしくていいな」俺はにやりと笑う。


一方で現場の空気は張り詰めている。材木の手配ミスや、使う材質の質疑応答、棟梁との意見交換も頻繁だ。

「ここはもっと頑丈に組め、雨風に耐えねぇと商売あがったりだ」

源さんの声が現場に響く。


俺は汗だくで動きながらも、この江戸の町に自分の居場所ができていくのを感じていた。

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