第18話 祭りを楽しめ

夜明け前だってのに、もう外がざわついてやがる。

 障子の向こうから、ガタガタと木を組む音や、男衆の笑い声が漏れてくる。どうやら提灯や幟を立ててるらしい。笛の音もかすかに混じって、まだ寝ぼけた頭には夢みてぇな響きだ。


 布団から身を起こすと、畳の匂いに混じって、どこか甘ったるい醤油の香りが鼻をくすぐった。朝っぱらから団子でも焼いてるのか。

 障子を開ければ、瓦屋根の向こうから朝日が差し込んで、通りの両側に張られた色とりどりの布が、風に揺れていた。赤、青、黄……洗濯物じゃねえ、祭り用の飾りだ。


 振り返ると、貴司がもう半纏を羽織ってそわそわしている。

「なあ博志さん、ちょっと見に行こうよ」

 寝癖を立てたまま、まるで子どもだ。

「まだ始まっちゃいねぇぞ」

「いいじゃん、準備のとこから見たいんだって」


 こっちが「あと五分」って言いそうになるくらい、あいつの目はキラキラしてた。


戸口をくぐって通りに出ると、すでに町は祭りの支度でざわついていた。縄を引き、幟を立てる若い衆、米俵を担いで駆けていく男、店先に赤い布を張る女房衆。風に混じって、煮しめの香りや焼き団子の匂いが鼻をくすぐる。


 そこへ、ずしりとした足音が近づいてきた。振り向けば、茂吉さんが手拭いを首にかけ、ふところを探りながら歩いてくる。

 長屋じゃ誰もが頭を下げる顔役で、口も態度もでかいが、面倒見は悪くない。


「おう、博志。こっちは朝っぱらから忙しいってのに、のんびり立ってやがるか」

「別にのんびりってわけじゃ…」

「ほう、そうかいそうかい。――ほれ」


 茂吉さんは、ふところから包みを取り出して、俺の手にずいっと押しつけた。中には銭が数枚、しっかりと重みを主張している。


「祭り見物にゃ、これくらい握ってなきゃ話にならねぇ。おめぇら、まだ稼ぎもろくにねぇだろ」

「……いや、悪いっす、ありがとうございます」

貴司が慌てて頭を下げる。その口調も腰も低い。

「ほら、後で返せなんて言わねぇから、きっちり楽しんでこい。ただし、みっともねぇ真似だけはすんなよ。長屋の恥だからな」


 そう言ってニヤリと笑い、茂吉さんはまた祭り準備の人波に消えていった。

 残ったのは銭の温もりと、妙な責任感みてぇなもんだった。

その背中越しに、通りのざわめきがどんどん膨らんでくる。

 博志と貴司が足を踏み出すと、視界が一気に開けた。


 色とりどりの幟が風に踊り、軒先ごとに紅白の幕が張られている。提灯はすでに灯りが入り、朝の薄明かりの中でも赤く浮かんで見えた。

 露店がずらりと並び、焼き団子の香り、煮込みの湯気、飴細工を練る職人の手つきが目に飛び込む。

 拍子木がカンカンと鳴り、揃いの法被を着た若者たちが担ぐ神輿が、まだ準備段階ながらもきらりと金具を光らせていた。


「……こりゃ、すげぇな」

 思わず漏れた声に、貴司も「ゲームのイベントどころじゃねぇな……」と呟く。

 

人の波と香りと音が、町全体を一つの生き物みたいに脈打たせている——そんな熱気が、朝っぱらからもう渦巻いていた。

露店の並ぶ通りを歩きながら、博志は目を丸くした。

 小さな屋台からは、竹串に刺した焼き団子が、甘辛い味噌の焦げる匂いを漂わせている。手際よく炭火をあやつるおばさんの顔は、真っ黒に日焼けして笑みを浮かべていた。


 隣の店では飴細工の職人が、赤く溶けた飴を手早く伸ばし、金魚や鶴の形に仕上げている。飴をくるくると巻き取るその手つきはまるで踊りのようで、子どもたちの歓声が途絶えない。


「おい、こっちはどうだ!」

 威勢のいい声が聞こえ、俺は振り向くと、揚げ物の屋台の若い衆が揚げたての天ぷらを手に差し出していた。衣は薄くてカリッと揚がっており、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


 少し先では、串に刺した焼き魚がじっくりと炭火で焼かれていた。煙とともに魚の脂の香りが漂い、俺の腹がぐうと鳴る。


 ふと見ると、長屋の老婆が自家製の漬物を売っている。小皿に盛られた浅漬けは色鮮やかで、丁寧に包んだ包みからは田舎の味が伝わってきそうだった。


 さらに歩くと、祭り囃子が遠くから近づいてくる。笛や太鼓、鉦の音が合わさり、江戸の活気を全身で感じさせた。法被姿の若い衆が木遣り唄を口ずさみながら神輿の準備を進めている。


 道の隅では、子どもたちが竹馬や羽子板で遊び、笑い声があちこちからこぼれていた。博志はその笑顔を見て、どこかほっとした気持ちになった。


「こんな空気、初めて味わった気がするな」

 横で貴司も、小さな露店で売っている甘酒の匂いを嗅ぎながらつぶやいた。

「うん……江戸の祭り、やっぱり熱いっすね……」


長屋の裏通りから出ると、そこは色とりどりの提灯が揺れ、屋台が軒を連ねる賑やかな通りだ。煙と香りが混ざり合って鼻をくすぐる。


「おう、まずはこれだな! みたらし団子だ。外はパリッと、中はもちもち、醤油ダレがたまんねぇ」


俺が串をかじると、甘じょっぱいタレが口いっぱいに広がる。


貴司は手を伸ばしながら、「それ、HP回復アイテムみたいっすね。食べたらバフ効果で集中力アップとか…いや、違うか」と笑う。


「お前、ゲームのことばっか考えてるな。だがその感覚は間違っちゃいねぇ。」


次に目を付けたのは焼き鳥屋台。炭火でじっくり焼かれた鶏肉の香ばしい匂いに思わず腹が鳴る。


「うわ、これぞ江戸のスタミナ源だぜ。ジュ〜シ〜で、たまんねぇ」


貴司も一串手に取り、「やっぱリアルの肉は違うっすね。これ、クリティカルヒット級っすよ!」


俺が笑いながら、「そのうち技名とか叫びだすなよ」と釘を刺すと、貴司は「俺も抑えてるんすよ…」と苦笑い。


そこからさらに歩いていると、屋台からは焼きそばの湯気が立ち上る。


「お、焼きそばだ。腹も減ってきたし、これはいっとくか」


貴司が小皿に取って、「このソースの香り…もうすでにレベルアップしてる気がします。最高のスキルポイントゲット!」


「お前は本当にRPGの中におるな」


歩きながら二人で食べ物を頬張っていると、近くで子どもたちがかき氷を嬉しそうに舐めているのが見えた。


「よし、俺も負けじと冷たいもんいくか」


露店で氷を買い、黒蜜をかけてもらった。


「うめぇ! 祭りの夜にはぴったりの甘さだ」


貴司は感心したように、「この時代にこんな冷たくて甘いもんがあるとは…なかなかやりますね!」


「いやあ、江戸も捨てたもんじゃねぇな。味も人も熱いぜ」


二人は笑いながら歩き、祭りの喧騒と活気の中にすっかり溶け込んでいった。

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