第17話 明日は祭りだ
夕暮れの長屋。軒先では町人たちが祭りの準備に追われていた。色とりどりの提灯が軒に吊るされ、屋台の骨組みが組み上げられていく。子どもたちははしゃぎ回り、あちこちから笑い声や笛の音が聞こえる。
「おう、今年の祭りは去年より賑やかになりそうだな!」と、隣の畳屋の親父が声を張り上げる。
俺は汗でじっとりした手で、提灯の骨組みを押さえながら息をつく。
「おい、清次、そこの結び目、もうちょい締めろよ!」
声の主は茂吉さん。町のためにいつも動いてる、頼もしい男だ。俺みたいな現代人には見えないこの時代の人間らしい気骨を感じる。
清次も顔をしかめながら必死に応じている。酒に溺れながらも、この祭りには参加してるんだな。
「わかった、茂吉。がんばるよ……」と小さく呟くその声に、どこか切なさが混じっている。
お紺は、男勝りな身のこなしで竹を運び、時折子どもたちに声をかけては笑わせていた。
「おら、こら!こぼすんじゃねぇよ!」
「お紺姐ちゃん、まってー!」と、追いかけっこする子どもたちの元気な声が響く。
背後から小さな足音が近づく。振り返ると、男勝りなお紺姐さんが笑いながら竹の束を担いでいる。
「おい、そこの二人!ちゃんとやらんと子どもたちに笑われるぜ!」
俺は苦笑いしながら、少し肩をすくめる。着物の下にユニクロのシャツ。ピアスは外さず。周囲からどう見られてるかはわからないが、ここにいるのは俺だけじゃない。貴司もいる。
隣では貴司が人混みを警戒しながらも、祭りの活気に少しずつ溶け込もうとしている。
「マジでこの空気、ゲームのイベントとは全然違うっすよ……」と、震えながらも興味深そうだ。
俺もそう思う。全身で感じるこの熱気、汗、匂い。リアルの現実。ここにいる自分が妙にリアルで、でも不思議と居場所があるような気がしていた。
祭りの準備に忙しくする長屋の路地裏に、颯爽と現れたのは町医者の河田先生。町娘や子どもたちに笑顔で声をかけながら、手早く手伝いのための薬草や簡単な手当ての準備をしている。
河田先生が優しい声で声をかけてきた。
「博志くん、無理はせんでくれよ」
「はい、ありがとうございます。やれることは全部やります」
先生の穏やかな笑顔に、少し心が落ち着く。
道端では、年配のおばあさんが米俵を軽々と運びながら、通りすがりの人に声をかける。
「今年の祭りは、ええ天気じゃのう。皆で力あわせて盛り上げんとな。」
祭りの準備はひとつの呼吸みたいだった。みんなの声、笑い、息遣い。汗で濡れた手が竹のざらりとした感触を繰り返し確かめる。
明日の祭りが、この町の空気をどれだけ変えるのか。期待と少しの不安を胸に、俺は静かに夜の帳が降りるのを見つめていた。
夜になり薪がパチパチと燃え盛る音の中、俺は熱い湯気が立ちのぼる五右衛門風呂に肩まで浸かっていた。首筋に汗がにじみ、髪の毛は丸坊主の頭から湯気とともに湯に揺れている。
風呂の脇で、貴司は木の薪を小さく割りながら、ふうふうと息を吹きかけて火を熾している。
ガコン、と薪をくべる音が響いた。火の粉がぱちりと弾け、鉄釜の底がゴウゴウと唸る。
俺は肩まで湯に沈めていたが、さっきより明らかに熱い。皮膚がジリジリ焼かれるようだ。
「おい貴司、もうちょい火ぃ弱めろって」
「いやぁ、せっかくなんで芯から温まっていただこうかと」
外からくぐもった声が返ってくる。
パチパチと薪が爆ぜる音。その直後、湯の温度が一段階ぐんと上がった気がした。
「おいコラ! またくべやがったな! あっつ…!」
「気のせいですよ。ほら、明日は祭りですから、今日はしっかり疲れを取っていただいて」
口調は丁寧なくせに、言ってることはニヤつきが透けて見える。
「疲れ取るどころか、茹でダコになりそうなんだが」
「江戸の風呂ってこういうもんなんじゃないですか?」
「いや、知らんけど…って、うわっ、今また足が熱っ…!」
湯の中で慌てて膝を立てる。湯気越しに夜空がちらっと見えた。
祭りの提灯の準備で昼間あれだけ動き回ったのに、まだこいつは元気らしい。
「でも、明日ちょっと楽しみっすね」
貴司の声がふっと真面目になる。
「昼からあの通りがどう変わるのか、見たことないですし」
「ああ。俺もだ。なんせ、この時代で祭りなんざ初めてだしな」
「屋台とか、あるんですかね」
「そりゃあるだろ。…まぁ食いもんは現代みたいにバリエーションねぇだろうけどな」
湯に浸かりながら、昼間見た提灯の列や、飾り付けを思い出す。
あれが全部灯るとき、どんな光景が広がるのか。
考えただけで、湯の熱さとは別に胸の奥がじわっと熱くなる。
「……なぁ貴司、やっぱもうちょい火弱めろ」
「すみません、つい」
外から、薪を引っ込める音がした。
少しして、湯が落ち着いた温度になる。
ああ、これくらいがちょうどいい。
明日は、もっと熱い夜になりそうだ。
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