第16話 松田屋登場
用心棒がうなり声をあげ、再び刃物を握り締めたが、その視線はわずかに怯えを含んでいた。
「おい、待て……いきなり血を流すことはできねえ。主(あるじ)が出てくるまで話は待て!」
茂吉はゆっくりと腕を下ろし、冷静な口調で言った。
「話がしたえなら、そいつが出てくるのを待つまでだ。」
貴司は肩を震わせながらも、茂吉の強さに少し安心していた。
「いやあ、さっきの拳……まるでゲームのボス戦みたいだったっすね……」
博志は苦笑しつつも身構えを緩めない。
「ここからが本番だ。気を抜くなよ、貴司。」
やがて、奥の座敷の襖がゆっくりと開き、黒塗りの羽織を纏った中年の男が姿を現した。
その男は松田屋の主、松田源三郎。
長身で切れ長の目が鋭く、鋭利な刃物を隠し持つような手つきから、悪徳の影が漂っていた。
松田屋の男は冷ややかな声で言った。
「よくもまぁ、わしの用心棒に手を出したもんだな。どんな理屈があろうと、貸した金は返してもらう。」
茂吉は一歩前に出て、凛とした声で答える。
「返済は当然だ。だが、借金の取り立てに町の井戸を汚すとは、どういう了見だ?」
松田屋は薄く笑い、目を細めた。
「借金のカタに汚しちまえば、あいつもおとなしくなる。わしらは商売人だ。利益を上げるためなら、手段は選ばん。」
貴司は息を呑み、博志も目を見開いた。
「商売人……だと?」
松田屋は不敵に笑いながら、
「世の中、そういうもんだ。嫌ならここから出ていけ。」
茂吉は黙って睨み返す。
「お前が町の害悪なら、わしらはそれを排除するまでだ。」
空気が一層重く張り詰めた。
松田屋を睨みつける茂吉の背後で、貴司は小声で博志に囁いた。
「マジこれ、リアル『詰み』状態っすよ……完全にデバフかかってる感じ。回復アイテムも使えねぇし。」
博志は無言で頷きつつ、茂吉の背中を支えた。
茂吉が松田屋へ詰め寄る。
「借金の取り立てにゃ筋ってもんがあんだ。長屋の井戸を汚し、町の者を苦しめるのは筋違いだ。今すぐ炭を引き上げ、取り立て方を正せ。さもねぇと、この町は黙っちゃいねぇ。」
松田屋は口元に薄笑いを浮かべながらも、目は冷たい。
「お前ら、よくもここまで来やがったな。覚悟はあるんだろうな?」
貴司は内心ガクブルしつつも、再び博志に耳打ち。
「やべぇ……完全にギリギリのHPで、回避行動も封じられてる気分っすよ。次の一撃でゲームオーバー……。」
博志はこらえた苦笑いで、
「まあ、リアルで死んだらリトライ効かねぇけどな……。」
茂吉は声を張り上げ、
「わしは、この町を守るためにここに来た。お前の商売のルールは守れ。長屋の者の命を脅かすなら、わしらは容赦せんぞ。」
用心棒が冷たい目で一歩前に出る。
貴司の心臓はバクバクと音を立てていた。
「まるでダンジョンの最深部に潜入した気分っすよ……ここでミスったら終わりっす……」
博志は背筋を伸ばし、
「さあ、かかってこいや。」
ここまで来たからには、引き下がるわけにはいかねえ。お主の悪事、町中にばらしちまうぞ。」
その言葉に松田屋の顔色がわずかに変じたのを茂吉は見逃さなかった。
「てめえ、なにを――」と松田屋が怒鳴ろうとした瞬間、茂吉の強い威圧感が辺りを支配する。
用心棒は背後で無言のまま茂吉を睨みつけたが、茂吉は一歩も引かぬ覚悟を示す。
その様子を横で見ていた貴司は、震える内心を必死に押し殺しながら呟いた。
「これ……まじでボス戦より怖えわ……HP残り1とかマジ勘弁っす……。」
その緊張の中、用心棒が一瞬、茂吉に手をかけたが、茂吉は素早く体をかわし、相手の腕を払いのける。
「おっと、手荒く出るんじゃねえ。話し合いだ、話し合い。」と一喝。
松田屋は深いため息をつき、仕方なさそうに顔を伏せる。
た。
「……仕方ねえ、今回ばかりは勘弁してやるがよ。借金の取り立ても、井戸への干渉も……今回だけだ。次にゃ容赦はせんぞ、覚えとけ。」
目はまだ鋭く茂吉を睨みつけている。心の底では悔しさや怒りが渦巻いているのが見て取れた。
茂吉はじっと松田屋を見据え、短く頷いた。
三人は長屋へ戻る道すがら、貴司はようやく小さく息を吐いた。
「いやあ、まじでやべぇ現場だったっすよ……でも、あの茂吉さんの背中、頼りになりますわ。」
博志も静かに頷き返す。
「まあ、江戸はまだまだこんなもんじゃねえ。だが今日の一件は、ちっとは長屋の空気も変わるかもしれねえな。」
夕暮れの長屋に、博志、貴司、そして茂吉が戻ってきた。
「皆、聞いてくれ。松田屋とは話がついた。清次の借金の件は松田屋もこれ以上手を出さぬと約束させた」
住人たちは驚きとともに、少しだけ肩の荷が下りたような表情を見せた。
ただ、清次の借金問題や、彼が井戸に炭を投げ込んだ真相は、まだ長屋の大半には知られていなかった。
そんな中、清次は人知れず長屋の前に姿を現し、
「おら、あの通りだ。迷惑かけてすまねぇ」
と、声を震わせながら謝罪した。
茂吉はその清次を見つめ、
「過ちは許せねぇが、これからの覚悟次第だ。町の者は見ておるぞ」
長屋の住人の間にも、清次を受け入れようとする小さな動きが芽生え始めた。
博志と貴司は、少しずつ江戸の町の信頼を得ていくのを感じつつ、
「この町で、まだまだ学ぶことは多いな……」と呟いた。
そして、二人の胸には、次の問題の影が静かに忍び寄っていた。
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