第15話 いざ、殴り込み開始

茂吉の家で話を聞いたあと、博志と貴司はその場を共にして、茂吉が「よし、わかった。清次んとこ行くぞ」と腰を上げる。

夕闇の中、三人は長屋の端にある清次の家へ向かう。

戸口の灯りはなく、障子の隙間からも光が漏れていない。

茂吉は、清次の戸を勢いよく叩いた。

「おい、清次! 居やがんだろ!」

中からしばし沈黙。やがて、軋むような足音が近づき、戸が少しだけ開く。やせ細った顔、うつろな目――清次だ。


「……茂吉か。なんだ、今さら」

「なんだ、じゃねぇよ。おめぇ、井戸に炭ぶち込んだのはおめぇだろ」

「……」清次は視線を逸らし、戸を閉めようとするが、茂吉が片足を突っ込んで阻む。

「逃げんな。話は最後まで聞きやがれ」


狭い家の中、薄暗い明かりの下で、二人は向き合った。

清次は畳に腰を下ろし、煙草を一本くわえるが、火はつけない。


「……俺だよ。やったのは」

「やっぱりな。だが、なんでそんな真似した。てめぇ、長屋の人間に恨みでもあんのか?」

清次は唇を噛み、言葉を吐き出すように続ける。

「……松田屋だ」


茂吉の眉がぴくりと動く。

「松田屋ぁ? あの地回りのか」

「そうだ。あいつに借金があってな……もう首が回らなかった。そしたらよ、『井戸に炭ぶち込めば、借金チャラにしてやる』って言いやがった」

「なんだと……!」茂吉の拳が畳を叩く。

「俺だって、こんなことしたかぁねぇよ……でもよ、あの時はそれしかねぇと思っちまったんだ」


清次の声が震える。

「茂吉……おめぇは、いつも長屋のために動いてた。俺は、そんなおめぇを横目で見て……自分が惨めでよ……」

「バカヤロウ……そんなもん、誰も気にしちゃいねぇよ」

「でも俺は気にしてた! 俺だけが、何もできねぇ役立たずみてぇで……」


しばし沈黙。外から虫の声が忍び込む。

茂吉は深く息を吐き、静かに言った。

「清次……やったことは許せねぇ。だがな、俺はおめぇを見捨てねぇ。松田屋のことは俺が話つける」

清次は目を見開く。

「……いいのか」

「当たりめぇだ。おめぇも長屋の人間だろうが」


清次の目に、わずかな光が戻る。

だが、茂吉の表情は変わらず厳しかった。

「ただし、これからは俺の目ぇの届くとこで、まっとうに生きろ。それが条件だ」

「……あぁ。わかった」


夕暮れ、町は赤く染まり、通りに長い影がのびる。

 松田屋の暖簾が風に揺れ、その奥からは笑い声と三味線の音が漏れていた。


 茂吉は迷いのない足取りで進む。

 博志は肩を少しすくめ、後ろの貴司は明らかに呼吸が早い。


「……おい、博志さん。これ……まじで死ぬやつじゃないっすよね……?」

 貴司の声はほとんど囁きだが、裏返っていた。


「今さら何言ってんだよ……俺だって怖えよ」

 博志は額の汗を手の甲で拭い、小さく息を吐く。

 現代の喧嘩なら警察が来る。それが逆に安心材料だった。だがここでは――誰も止めない。

 止めるのは、腕力か、刃物か、命のやり取りだけだ。


 暖簾をくぐると、油と煙草の匂い、酔客の笑いがぶつかってきた。

 奥で振り向いた男たちの目が、異物を見つけた獣のように鋭く細くなる。


「おう、松田呼べや」

 茂吉が一歩、板の間に踏み込む。江戸弁が低く響く。


「……なんだァ? てめえ」

 立ち上がったのは、肩幅の広い男。

 顎には無精髭、片手には徳利、もう片手には短刀の鞘。

 用心棒の噂は聞いていたが――生で見ると、獲物を見つけた熊みたいだ。


 貴司は完全に固まり、博志も背中に冷たいものを感じる。

 現代の喧嘩は殴り合いで済む。だが、この時代の喧嘩は――斬られる。


「ほう……その顔つき、なにかと思やァ、茂吉じゃねえか」

 用心棒の口元が歪む。

「ずいぶんと坊や連れてのこのこ来やがって。そいつら、旅の道連れか?」


「関係ねえ。話ァ松田とだ」

 茂吉の目はまったく逸れない。

 博志はその背中に、重たい空気と生きるための勘を感じた。

 ――この人、本当にやる気だ。


 用心棒が短刀をわざと鞘から半寸抜く。

 鞘鳴りの金属音が、耳の奥をじりじりと焼く。


「博志さん……俺、ゲームでもこういう時セーブしてから行くタイプなんすけど……」

「バカ言ってんじゃねえ……もう始まってんだよ」


用心棒の鋭い視線が茂吉を捕らえる。刃物をちらつかせ、重々しい声で告げる。

「よそ者が生意気言うんじゃねえ。ここは松田屋、黙っておられりゃいいんだ。」


茂吉は一歩も引かず、どっしりと構えたまま低い声で返す。

「おめぇの物言いが横柄なら、覚悟も決めてかかれよ。わしは長屋のため、黙っちゃおれんのじゃ。」


用心棒が刃物を抜き、身構えた刹那――。


茂吉の拳が鋭く振り抜かれ、用心棒の腕を強烈に殴りつける。

「ぐっ……!」


用心棒が思わず声を上げる間に、茂吉は瞬時に距離を詰め、もう一発拳を叩き込む。

「おっと、わしの度胸、舐めんなよ!」


血がにじみ、用心棒の顔にかすかな傷ができた。


貴司は思わず声を震わせる。

「お、おい……すげぇ、マジでやべぇって……」


博志は背筋を伸ばし、茂吉の強さに改めて背中を押される思いだった。


用心棒は悔しげに刃物を鞘に納め、低く唸る。

「やるな……だが、ここで引くわけにはいかねぇ。」


茂吉は静かに睨みつけ、凛とした声で告げる。

「ならば話は早い。借金と井戸の件、すべて片付ける覚悟でかかれ。」


張り詰めた空気が場を支配した。

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