第11話 火事の後始末
──翌朝、焼け跡にて──
朝の冷え込みが、焼けた土の匂いと混じって、どこか鉄のような湿った臭気を運んできた。まだ薄く靄がかかっていて、陽が昇っても町の輪郭がくすんで見える。
「おい貴司、手ぇ貸せ。そっちの梁、もう一度持ち上げてみろ」
「お、おう……うわ、重てぇなこれ……」
焼け落ちた家の残骸の中、炭化した梁を二人がかりで動かす。博志は素手で灰を払いながら、重心のかかる場所を見定めていた。貴司は、鼻と口を手拭いで覆いながら、顔をしかめている。
「まだ中まで燻ってるな。水、もう一桶持ってこい」
「ういっす……って、あの井戸、順番待ちになってんだけど……」
「なら隣町の井戸からもらってこい。火事のあとはみんなそうするんだよ。ったく」
すっかり手馴れた口調で指示を飛ばす博志を見て、貴司は小さく舌を巻く。三日前まで一緒にぼんやり空を見ていたあの男が、今では「現場の親方」みたいに立ち回っている。
「……博志さん、思ったより適応してんじゃん」
「適応ってか……こういうのは、昔のカンが戻ってきてるだけだ。現代がどうだったか、もううまく思い出せねぇくらいだな」
「マジかよ……俺なんて、まだ朝に目覚ましないのが怖くて、何回も目ぇ覚めるし」
「目覚まし? お前、まだそんなこと言ってんのか……」
博志は笑いながら、焼け焦げた柱を一本一本整理していく。その様子を遠巻きに見ていた町人たちが、ぽつぽつと声を掛けてきた。
「兄さん、手際ええな。どっかで棟梁でもやってた口か?」
「ちょっと昔にな。今は半人前の新人だよ」
「はっは、でも火事場でそれ言うやつは信用できるな」
笑いが起き、少しだけ張りつめた空気が緩んだ。
と、そこへぬうっと現れたのは――
「おうおう、兄弟ら、精ぇ出してんなぁ」
博志が振り返ると、やはり茂吉だった。今朝もいつの間にか近くにいて、火の粉が飛びそうなほど色の濃い煙草をくわえている。
「茂吉さん、来てたのか」
「おうよ。ほれ、見舞い代わりに朝餉でも持ってこようかと思ってな。さっき、蕎麦の屋台の親父に一声かけといた」
「ありがてぇ……あ、貴司、茂吉さんに挨拶しとけ」
貴司は慌てて頭を下げる。
「ど、どうも……先日は色々ありがとうございました」
「ほっほ、礼なんざええ。お前さんも、なかなか骨がありそうじゃねぇか。今日はもう逃げ出さんかったな」
「う……さすがに慣れてきた……かも?」
茂吉は鼻を鳴らし、博志にだけ聞こえるように「ちょっとは江戸の土がついてきたな」と笑った。その目が、まるで何かを試すようで、博志は背筋を伸ばす。
「ああそうだ、お前ら……ちっと気ぃつけとけよ」
茂吉の声が低くなる。煙管から細い煙を吐きながら、顎で長屋のほうを指した。
「昨日の消火で、井戸の水をめぐってご近所がちょっと揉めてた。今朝も、順番飛ばされたとかなんとかで、年寄りが声荒げてたぞ。……ああいうの、ちょっとしたことで喧嘩に発展すんだ。江戸っ子は我慢せんからな」
「井戸……確かにさっき、婆さんが何人か揉めてたな」
貴司が振り返ると、遠くの井戸の周りに、数人の町人たちが集まり始めていた。
「ったく、火が消えても、火種はそこら中に転がってるもんだ」
茂吉の言葉は、まるで警鐘のように耳に残った。
博志は、手拭いで額の汗をぬぐいながら、つぶやく。
「火事ってのは……燃えたあとが、一番厄介かもな」
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