第4話 茂吉の長屋と江戸の空気



茂吉の案内でくぐった木戸の先、そこが「家」と呼ばれる場所だった。


板戸は、ぎいと鳴った。

六畳あるかないかの部屋。壁は土と藁が混じった荒壁、天井にはすすけた竹の梁がむき出しになっている。畳ではなく、むき出しの板敷。押入れもなければ、棚もない。あるのは、火の気の名残が漂う囲炉裏跡と、隅に積まれた蓆と木箱がひとつ。


「狭ぇだろうが、慣れりゃ落ち着く。ひとまず、ここを使っていい」


「……茂吉さんは?」


「俺ぁ隣だ。壁一枚隔てりゃ十分だろ。何かあったら呼べ」


そう言って、茂吉は天井を指差した。


「夜、鼠が出るかもな。あいつら、屋根裏で相撲取ってやがる。慣れねぇうちはびびるが、まあ、江戸じゃ日常よ」


俺は無言でうなずいた。

畳もないこの部屋が、今日から俺の「帰る場所」になる。


「ほれ、腹減ったろ。これでも食いな」


茂吉が差し出したのは、竹の皮に包まれた握り飯と、味噌汁のようなものが入った木椀だった。

具は大根の葉と豆腐の切れ端。味噌の香りが鼻をくすぐる。


俺は、ことばにならない礼を呟きながら、握り飯を口に運んだ。


……うまい。


塩気もさほどない。米も粒が小さくて、少しぼそぼそしてる。でも、なぜか、胸の奥に染みてくる。


「……うまい、っす」


「そりゃあよかった。飯がうまく感じるうちは大丈夫さ」


茂吉は、にやりと笑った。


しばらく、無言で飯をかきこむ俺を見守ってから、彼は木の板戸の縁に腰を下ろし、外をぼんやり眺めはじめた。


「なあ、茂吉さん」


「ん?」


「……あんた、何して生きてるんです?」


「ん? 俺か? 大工よ。ちょいとばかし屋根も組めるし、障子も貼れる。ま、何でも屋に近いがな」


「……俺も、大工だった。現代じゃだけど」


そう言うと、茂吉が、ぴくりと眉を上げた。


「……そうか。そりゃ、根っこが同じじゃねえか。てっきり、おめえみてえな顔つきは、ヘマしてとっ捕まった罪人かと思ったが、木を触ってた口か」


俺は笑った。

久しぶりに、自然と笑えた気がした。


「だったら話は早ぇ。明日、大工仲間の親方に話してやるよ。腕が立つなら、手間も出る。何より、朝から晩まで暇しねえですむ」


「……恩に着ます」


「礼なんざいいさ。その代わり――」


茂吉は、指を一本立てて、真顔になった。


「変なことは、言うな。いや、やるな。こっちは“今”を生きてんだ。“先のこと”なんて口にすりゃ、気味悪がられて、あっという間に役人の耳に入る。そしたら、最悪、打ち首だ」


「……わかった」


「それと、刀の話もするな。町人が刃物を振るうたぁ大罪だ。ここは、そういう世界だ」


俺は、背筋を正した。

生半可な気持ちじゃ、生き残れない。


この時代は、そういう場所だった。


「それでも、死ぬよりゃマシだろ?」


茂吉はそう言って立ち上がり、

板戸の向こうに目をやった。


「……おっと、来たぞ。おめえに見せてえ奴がいたんだ」


その声の先に――

ひとりの若者が、ふらふらと歩いてきた。


手には、見覚えのあるコントローラーの形をした板切れ。着物の着方はめちゃくちゃで、襟元が裏返っている。髪は現代風のまま、片方だけ刈り上げて、浮いている。


「おい、そこのあんた! ここって、ログアウトどうやるんだっけ!?」


その顔を見た瞬間、俺は思わず呟いた。


「……貴司……?」


久田 貴司。俺の大学時代の後輩。

現代で、ゲーマーとしてしか生きてこなかった男が――

どういうわけか、江戸の路地裏で俺を見て、目を丸くした。


「……博志さん……? マジで? マジでここ、夢じゃないの?」


俺たちの奇妙な再会に、茂吉はあくびを一つ。


「こりゃこりゃ。どうやら、珍客がもう一人増えそうだな」

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