名前

「今日は『相手の名前を呼ぶ』練習をするよ!!」

「……名前を、呼ぶ、だけですか?」


 放課後の教室で、小峰さんは自分の細い腰に手を当て、今日の練習内容を堂々と発表した。

 その仕草は可愛いけど、その練習内容が、なんかもう、ちょっと可哀想だ。

 僕は苦々しく思いながら小峰さんを激励した。


「小峰さん、ここまでハードルを下げたんです。今日こそは練習を成功させましょう」

「なんで大橋くんがそんな苦しそうな顔するの!?」


 大げさに騒ぎ立てる小峰さん。


「……昨日の『さりげなく手を繋いで一緒に歩く』練習」

「そ、それが、なにかなー」


 昨日の練習を思い出したのか、小峰さんが可愛くあたふたし始めた。

 ここで僕が彼女の可愛さに負けてしまっては、小峰さんのためにならない。

 心を鬼にして、僕の内に眠る『いたずらごころ』を叩き起こし、小峰さんを問い詰める。


「小峰さん、昨日僕の手を握れましたか?」

「…………あ、あと1時間くらいあれば、できたもん」

「小峰さん」

「だって、大橋くんの手が大きくて、どう握ったらいいかわからなくて、手汗とか気になっちゃたりもして」

「小峰さん!」

「……はぃ」

「かっこいい女の子を目指すんですよね?」

「…………うん」

「だったら、今日こそは逃げ出さずに、練習をやり遂げましょう」

「うん、がんばる」

 

 小峰さんは胸の前で両手を握って気合を入れている。

 頑張れ、今日も可愛い小峰さん。


「それではさっそく『相手の名前を呼ぶ』練習を始めましょう!!」

「じゃあ、まずは大橋くんのお名前教えてよ!!」




「あーなんかもう、どうでもよくなってきましたー」


 僕は今、ホコリにまみれることをいとわず、教室の床に横たわっていた。

 僕の周囲をあたふたと動いている可愛い生き物は一旦無視している。


「いや、その」

「あー名前知られてないの悲しいなー」

「ご、ごめん」

「あー毎日放課後一緒にいるのになー」

「ううっ」

「あー普段の可愛さと差し引けばぎりぎりまだ可愛いけどー、すごく薄情だなー」

「うぐぐぅ」


 ここぞとばかりに薄情可愛い小峰さんをチクチクいじめる。

 正直、小峰さんに名前を知ってもらえていないことは、そこまで気にしていない。

 ……いや、嘘だ。

 結構な衝撃で泣きそうになった。

 

「あーあ、あーーあ、あーーーあ」

「……う、うがぁぁ!!」


 僕にいじめられすぎて小峰さんが発狂した。


「大橋くんだって私の名前知らないでしょ!!」

「知ってますよ」

「えっ、うそ」

「ほんと」

「…………ぜったいうそだぁ!」


 僕を信じない小峰さんは、寝転がる僕に馬乗りになり、ゆさゆさ揺すって追求してきた。


「じゃあ私の名前言ってみてよ!」

「くるみさん」

「……へ?」

「小峰くるみさん」




「あー私はお友だちの名前もまともに覚えることのできないかっこわるい女の子ー」


 小峰さんは僕の隣でうつ伏せになって、僕以上にホコリまみれになってやさぐれている。

 そして、ごろごろと床を転がりながら僕にぶつかってきた。


「……なんで大橋くんは私の名前を知ってるの?」

「なんでと言われましても、4月にしたクラス全員の自己紹介で聞いてますし、それにお友達から名前で呼ばれているじゃないですか。小峰くるみさん」

「うぐぐぐぅ」

「そう考えると、僕は友達にも苗字で呼ばれていますし、小峰くるみさんが僕の名前を知らなくても仕方がないのかもしれませんね」

「うぎぎいぃ」

「どうかしましたか? 小峰くるみさん?」

「う、うわああぁ!」


 僕にぶつかりながらうめき声を上げていた小峰さんが、わたわたと正座の体制になって額を床に擦り付けた。


「大橋くんのお名前を教えてください!!」

「……可愛くお願いしてもらえると、僕は嬉しいんですけどねー」

「うむむむむぐ」

「可愛く!! お願い!! 僕嬉しい!!」

「…………………………く、」

「く?」

「くるみにぃ大橋くんのお名前ぇ、おしえてほしいのぉ」

「録音するのでもう一度お願いします」


 録音の準備をするためスマホを取り出した僕に、可愛さを投げ捨てた小峰さんが飛びかかってきた。




「大橋一輝です」

「おおはしかずきくん」


 暴れる小峰さんを必死になだめて膝に乗せ、小峰さんのサラサラ髪をワシャワシャ撫で回してご機嫌を取り、落ち着いた小峰さんに僕の名前を教えてあげた。

 

「かずきくん」

「そうです」

「ふふん、かずきくん!」

「はい」

「かずきくん、かずきくん、かずきくん」

「……うるさいです」


 小峰さんがめんどくさいモードになってしまった。

 こうなった小峰さんは少し可愛くない。


「ふふふーん。これで今日の練習は大成功だよ!!」

「ちゃんと僕の名前言えてますね」

「私もやればできるんだよ!!」

「さすがくるみさん」

「うぐぅ」

「……ん?」


 もしかして、小峰さんのこの反応。


「くるみさん?」

「むぐぅ」

「くーるーみー」

「や、やめてよ」

「これは……」

「……な、なに?」


「くるみくるみくるみくるみくるみくるみくるみくるみくるみ」

「頭がおかしくなるぅ!!!!」


 正座で頭を抱える小峰さんを見下ろして思う。

 これ、今日の練習、半分失敗じゃないか?


「うぐぐぐぐぅぅ」


 まぁ、小峰さんは今日も可愛いかったし、半分成功は大進歩だね。

 

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