第3話 呪いはあるのだ! 1

「あ、ねえ平田、用務員さん三毛猫のこと知らないって。」


 悠は二組の教室で平田有希(ひらたゆき)を見つけるとパタパタと駆け寄る。


「え、ほんとだよ? いつもの服だったもん。絶対用務員さんだったよ。」


 用務員の神田は、常に紺色の作業着に編み上げの黒いブーツを着用してる。


「いや、ごめん、平田を疑ってるんじゃないんだ。何でだろうと思って。」


 教室では手芸クラブに所属している児童達が担当の先生を待っている。


「藤崎はまだ帰らないの?」

「ん、陽介待ってるんだよ。」

「ああ北里(きたざと)を待ってるんだ。仲良いね。」

「まあね。腐れ縁だよ。」

「くされ…?」


 有希は大きく首を傾げる。

 同級生達は、悠の言葉についていけないことが多くあった。


「いや…あ、それでさ、平田が用務員さん見掛けたのは先々週の金曜日でいいんだよね?」

「うん。マラソンの日だし。」


 衣笠東小学校では、毎週金曜日の朝に自由参加のマラソンが行われている。

 朝七時から八時までの一時間、校庭に流行りの歌謡曲を流し、それぞれが自由に一周二百メートルのトラックを回る。

 歩きながらお喋りを楽しむ女子や、途中で教室に戻る児童、最後の十分だけ参加する者や本気で一時間を走りきる者など、参加のスタイルはそれぞれであった。

 悠や陽介はこの朝のマラソンにあまり参加したことはないが、有希は毎週参加しているという。


「六時半くらいで間違いないよね?」

「うん。それくらいに学校に着いて、まだ校庭に出てる子が少なくて花壇見たりウロウロしてたんだけど、」

「うん、そしたら用務員さんが三毛猫を抱えていて…。」

「そう。それで大きい声で呼んだら、」

「走って用務員室に入ってしまった、と。」

「うん。」


 悠が最初に三毛猫の情報を入手したのは三年生からだった。

 三年生の間で「用務員室に三毛猫がいる」という噂が囁かれていた。しかし現実に用務員室に三毛猫がいるところを見た者は居らず、出所不明の噂ということで風化しかけていたところに有希からの情報が悠の耳に入った。

 衣笠東小学校は三年生は三十人ほどであるため、ひとクラスしかなかった。悠は聞いたその日の昼休みに三年一組を訪れ、三毛猫の噂に対する聞き込みを行った。

 聞き込みの結果、六時半より前に吉田京香(よしだきょうか)と伊藤茉莉(いとうまり)が職員駐車場で三毛猫を抱える神田を目撃しており、次に二年生の加藤康太(かとうこうた)が用務員室へ向かう神田の肩越しから茶色と黒の何かを見たと証言していた。


「ねえ、平田が見たのもさ、用務員さんの後ろ姿だよね?」

「うん、そう。用務員さんの頭の横から三毛猫が見えてたの。」

「それって、はっきり三毛猫を見たわけじゃないってこと?」

「ん、うーん。でも三毛猫だよ。大きさも色も。あのね、三毛猫の雄(おす)って凄い高いんだって、藤崎知ってた?」

「ああ、まあ。XXYの遺伝子を持っている雄しか三毛猫の発色にはならないからね。数が極端に少ないんだよ。」

「えっくすえっくす...?」

「XXは普通の雌(めす)だね。XXYはクラインフェルタ―症候群と言って、性別を決める性染色体が…いや、まあとにかくたまにしか生まれないからとても珍しいってことだよ。」


 気を付けていないと講義のようになってしまう悠の癖をクラスメイトたちは「演説癖」と呼んでいた。


「ふーん、珍しいから高いの?」

「それはそうだね、そもそも市場原理というものの根底にある概念は、近代経済学以前のマルクス経済論に帰依(きえ)するものと考えられるのだけど、あ、帰依するとは本来仏教用語で、」

「おい悠!」


 通称【演説癖】がぶり返してきた悠の名を呼ぶ声が教室に響く。陽介だった。

 教室にいる児童全員の注目が集まる。


「終わったぞ! 帰ろうぜ!」

「陽介、早かったね。」

「雨降りそうだから帰ろうってなった。まあ十二対一だったし、みんなもう飽きてたんだよ。」


 陽介が自分の席からランドセルを引っ張り上げる。悠は外を見てみる。確かに急激に西の空が暗くなっている。校庭の木々は揺れ、風は山の向こうから不穏を運ぶ。


「平田、ありがとうね。何か思い出したらまた教えて。」

「うん、いいよ。多分ね、用務員さん三毛猫の雄を拾ったんだよ。それで用務員室に隠してるの。」

「隠してどうするの?」

「ん、何か…売るとか?」

「お前らまた猫の話かよ。帰ろうぜ悠。」


 そう言うと陽介はランドセルを肩に引っ掛け教室から出て行く。

 悠は有希に「またね」と挨拶をするとパタパタと不器用な走り方で陽介を追い掛けた。

 二人が教室から出て行くと、小松瑠璃(こまつるり)が有希に近付いてくる。


「有希は藤崎の方がいいの?」


 背の高い瑠璃は上半身を大きく傾け、ニヤニヤと有希の顔を覗く。


「は?」

「最近よく二人で楽しそうに話してるじゃん?」

「や! 全然違うって!」


 悠はその柔らかくどこか英国紳士を思わせる物腰に、女子たちから密かな人気を得ていた。


「有希って北里みたいな方が好みかと思ってたけど?」


 瑠璃は相変わらずニヤニヤと茶化す。

 黒いキュロットスカートを揺らして有希の席の前の椅子を跨ぐ。


「え、ないよ、ない。馬鹿じゃん北里。」


 悠の親友である陽介のその運動能力は、小学四年生でありながら大学野球やプロ野球のスカウトマン、またサッカーJリーグのスカウトマンなどが注目するものであった。

 陽介のことは当然校内で知らない者はおらず、その人気は近隣の小学校にまで広まっていた。


「へぇ。じゃあやっぱり運動は全く出来ないけど、天才で紳士の藤崎が好みなんだね。」

「何で二択なの? おかしくない?」

「あの二人以外にうちの学校で誰かいる? 有希もしかして他に好きな人いるんだ?」

「いや! ちがッ!」


 ふふっと微笑むと瑠璃は教室の窓の外、校門の辺りを見る。ちょうど二人が校門を出るところだった。身振り手振りで話し掛ける陽介と、それを見上げながら「うん、うん」とうなずく悠。

 瑠璃は二人から目を反らさずにため息をつく。


「でもさ、私達とじゃ何て言うか、次元? 違いすぎるよね…。」


 有希は、そう言った瑠璃の目線の先を追った。

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