第13話 乾杯・答え合わせ・清算
落ち着いた千梅先輩を白亜館のホワイエまで送り届けた。まだ交流戦は続いているらしく、千梅先輩が開けたホールの扉の向こうからはマイクの残響が聞こえた。
「ありがとうございました、ときた」
閉まった扉の先を透視するように見つめながら、神坂は言った。仕事の関係者と対面したせいか、千梅先輩と合流してからの神坂のテンションは、戦闘後のそれとは違っていつもの調子に戻っていた。つまりは、年相応の笑顔を見せず、甘えず、隙の見えない、ということだ。
「電話の声に騙されずに黙って俺の監視下にいてくれれば俺も暢気にクイズやれてたし、あんな大立ち回りもしなくてよかったんだが。そこら辺ちゃんと理解して言ってんのかな」
「まあまあまあまあ。細かいことは気にすんなって。難が去ったって早めにわかってたほうが、千梅先輩だって安心して過ごせるだろうしさ。おまえはいいことしたよ。結果的にそうなっただけだったとしても」
言いながら伊奈瀬はホワイエの端まで歩き、自販機に小銭を突っ込んでボタンを二度押した。紙パックのココアを二本。両手に一本ずつ持ち、片方を相手に差し出す。
「生還祝いってことで。乾杯しよ」
「なら、せめて自分のぶんは出す。お前には借りがあるからな」
ポケットを探ろうとした神坂を引き止め、伊奈瀬は首を振った。
「いいって。言ったでしょ、『付き合ってくれてありがとう』ってさ。これはその件のお礼」
神坂が染倉からの助っ人の依頼を快諾したのには、仕事で動きやすくなること以外にも理由があったはずだ。
「おまえがオレを助けてなかったら、染倉は一位のまんまだったんだ。オレみたいなのに追い抜かれる屈辱なんか味わわなくて済んだ。そうだろ?」
染倉のあの性格なら、「伊奈瀬が君と一緒なら出てもいいと言っているんだ」みたいなストレートな事情の説明をしてもおかしくない。実際、神坂が教室から出てきた時には既に、彼は自分が伊奈瀬の付き添いであることを自覚していた。どうして伊奈瀬をクイズ部の助っ人にしたがっているのかを染倉が説明しなかったとしても、それは神坂なら知っていて然るべき情報だ。
「うちの学校は、生徒全員とまではいかないけど、定期テストの成績上位者は学年の廊下に名前が掲示される。プロの殺し屋としての諜報能力なんか使うまでもなく、おまえはオレと染倉の関係を知っていた」
すなわち、新・学年一位と旧・学年一位。染倉がひたむきな努力で着実に積み上げた実績を、伊奈瀬はたった一度の定期試験で焼け野原に変えた。今まで一度もその紙に名前を載せたことのなかった伊奈瀬針羅が、唐突に一位に躍り出た。
「少なくともおまえの中じゃ、染倉が二位に陥落したのは『伊奈瀬針羅をあの日の夜に助けたせいで生じた歪み』だった。だからそのけじめをつけるため、染倉の勧誘に乗った。……神坂はプロの殺し屋だからね。コミュ力まあまあ高くて噂話も手広く知ってる自負のあるオレでも『なんで?』って思うほど、おまえは妙に耳が早い。ちょっとした異変にも敏感に気づけるように、常にアンテナ立ててるってことだ。オレがあの夜以降の定期試験で軒並み一位を取ってることを知ってるなら、あれが貼り出された直後の染倉の反応に気づいていないはずはない」
成績上位者の掲示は、廊下の中でも階段付近の人通りの多い場所に貼られる。成績上位とは無関係の生徒の目にも自然と入ってくる位置であり、掲示された直後の廊下には必ず人だかりができる。染倉はその人だかりの中で、いつも浮かない顔をしていた。
「要はおまえは、責任を感じてた。伊奈瀬針羅という特定の人物に肩入れした責任だ。オレがあの日死なず、おまえと知り合ったことをきっかけに実力を惜しみなく晒け出すようになった結果、染倉から自信と笑顔が消えた。おまけにオレは今までの生活態度的に試験で満点を取るようなキャラじゃなかったから、実力じゃなくてカンニング等の不正をしているって噂にもつきまとわれてた。そんな中での染倉の要請だ。おまえは染倉の意図にすぐピンと来た。──つまり、クイズならカンニングのしようがないってこと。おまけに他校との交流戦で、会場は向こうとくれば使う問題も向こう持ちのはず。なら、才明側の参加者は問題に一切関与できない。染倉はこの交流戦で、オレの頭脳を試したかった。だからおまえは了承したんだ。乗り気じゃないオレを無理やり巻き込んででも」
「なら、何で礼を言う? お前はこの対決に乗り気じゃなかったのに」
微笑を
「そりゃまあ、嬉しかったからでしょ。おまえがオレをここに連れてきたのは、信頼があったからだ。クイズという染倉得意の領域においても負けないっていう絶対的な信頼。期待と言い換えてもいいね。その上でオレを強引にでも巻き込んだんなら、その行動が示すメッセージはこうだ。──二度と疑念を抱かせないほど完膚なきまでに、染倉壱輝の上に立て。勝利を以って理解させろ──いかにもおまえらしい野蛮な要求だよ」
「馬鹿言え。俺はいつでも優雅で優しい紳士のお手本だろ」
「はっ、よく言う〜。ま、紳士だとは思うよ、実際。知れば知るほど、おまえのことは嫌いになれなそうだなって思うし」
伊奈瀬は短く笑ってそう答えた。一瞬目を合わせ、すぐに視線を足下に落とす。
「……それに、オレって正直なところ順位とかかなりどうでもいいタチでさ。自分の実力がどの程度かの目安さえわかってればそれでいいわけ。兄貴が大学受かる前はいつ自分が代わりになってもいいように同じ志望校で模試受けてたし、おまえと出会ってからは一番いいとこのA判定取れてれば問題ないなって思う程度だし。そういう意味じゃ首席もボーダーも大差ないと思ってる。だからまあ、染倉が自信なくすぐらいなら定期試験ぐらいは点数の調整してもいいのかもなって、思わないこともなかったんだよ。模試と比べたら学校の試験って、そんな重要度高くないし。順位に固執する理由はないなと思ってさ。……でも、神坂が期待かけてくれてんなら話は別じゃん? オレは神坂が色々欲求押し殺して退屈そうにしてるよりかは、思うように身体動かしたり悪だくみして楽しそうにしてるのを見るほうが、結構安心するんだよ。だから神坂がもしオレに似たような感情抱いてくれてんなら、遠慮して実力隠すのはナシだよなって。……要はあれだ、楽な道に逃げないように動いてくれた神坂には感謝してるってこと。一緒に立ち向かって、背中押してくれてありがとうって、そういうことだよ。そういう意味で、『付き合ってくれてありがとう』。──これで納得?」
伊奈瀬が改めて紙パックを差し出すと、神坂は微笑を少し得意げに歪めてそれを受け取った。
「納得。たまにはお前にご馳走してもらうか」
「ったくさ〜、百円ちょい奢るのでこれだよ。もう喉使いすぎてカラカラなんですけど」
「だったら、今なら俺を嫌いになれるんじゃないのか?」
「そんな謙虚さがまたいいんですよね。簡単に礼を受け取らないところなんかはまさしく一昔前の侠客のよう。文句なしの伊達男じゃありませんか」
「ハッ」
口先で戯れながら、足並みを揃えて窓際にある長椅子に腰掛けた。どちらからともなくストローを差し込み、相手に向けてわずかに傾ける。
「それでは、仕事の成功と友の無事に」
「憎らしいほどの怜悧さに」
伊奈瀬は思わず苦笑した。憎いくせに祝ってくれるわけか。
「乾杯」
「うん、乾杯」
動揺した隙に先を越され、伊奈瀬は頷きながら追随した。こういうところ、面倒だけれど嫌いじゃない。張り合いが続くのはいいことだ。みんな、伊奈瀬の想像よりもずっと簡単に折れてしまうから。
一口吸った冷たいココアは、頭を使ったせいか格別に美味しく感じた。糖分と水分を身体が欲しているようで、くどさを感じることなくするすると飲めてしまう。直感でしかないけれど、自分はこの味を一生忘れないだろうと思った。
「それで、だ。この際なんだ、全部聞かせてもらおうか」
一息ついて、神坂が言った。束の間の冗談の飛ばし合いから一転、業務的な硬さのある声に戻っている。
「ん? 全部って?」
「とぼけるなよ。お前の察しの良さでそれを通すのは無理がある」
神坂が半笑いで応じてくれたので、伊奈瀬も苦くはあるが表情を緩めた。
さっき唐突に受けた想定外のあのハグは、神坂の人間の部分がさせた感情表現だ。ならば、仕事の部分が後からやって来ることだってあるだろう。むしろそちらの反応を永久に取らないなら、神坂優人は仕事人間失格なのだ。
「なぜお前は俺を追って現場にまで足を踏み入れてしまったのか。その理由を聞かないままでは終われない。俺はお前の友人として本当の身分を明かしてはいるが、友人だからこそ、踏み込ませてはならない線引きがあると考えている。だからお前には仕事の詳細を隠していた」
「むしろミスリードさせようとしただろ、おまえ」
「別に狙ってやったわけじゃない。ただ、殺し屋という仕事の特性上、加害の印象がどうしても先に来る。俺の仕事を知った上で守護の印象を想起させるのは難しい」
隣を軽く睨んだ伊奈瀬の視線を、神坂は澄ました顔で躱していく。
「だが、だからこそだ。俺の今回の仕事内容が飛鳥井千梅の殺害だと思い込んだままだったら、お前は俺を追っては来なかっただろう。いくらお嬢様とはいえ校内で堂々とボディガードをつけるほどの要人ではなく、本人に戦闘経験があるわけでもない。たとえ距離があった状態で逃走されようとも、俺が追いついて殺すことは困難ではない──そのことをお前は知っていたはずだ。俺の殺意を真正面から浴びた経験のあるお前なら」
「確かに。あれは思い出すだけで動悸がしてくる思い出だね」
伊奈瀬は自分の首をさすりながら苦笑した。あの圧力そのものとさえ思える殺気から逃げ
「でも──そうだな、おまえの仕事が『一般人の殺害』でないことを示す根拠はいくつかあった。一つはおまえが千梅先輩と壇上で話していた時、千梅先輩の顔色があまりにも悪かったこと。そしてもう一つ、今日限りになるとはいえおまえのあだ名が『暗殺者のイケメン』で定着してしまったこと……というか、その事態を神坂自身が許容したという事実かな。この二つを合わせれば、嫌でも不自然を感じる部分は出てくる」
そして、ここまでは昼休憩の段階で疑問に思っていたことだ。千梅先輩を殺すために二人きりで会う約束を取り付けるには、見目麗しく礼儀正しい王子様を演じるのが最も効果的だ。だが、神坂に話しかけられた千梅先輩は、顔を赤らめるどころか青くした。そして、学校関係者をこれから殺そうとする殺し屋の行動として、多くの生徒から「イケメン」と呼ばれ目立っているにも関わらず、舞台上で標的と一緒にいる姿を晒すのは合理的でない。千梅先輩が遺体で見つかった時、事件の関係者と見られかねない。まして、「暗殺者」などと知られてはならないはずの事実を名札のようにぶら下げるなど。
「あれを容認できるってことは、これから起きる事実とその内容は無関係ってことだ。つまり千梅先輩は死なないし、校内で死体も出ない。──そう、死体も出ないんだ。誰のものであれ死体が出る予定なら『暗殺者』の呼び名を許容するはずがないんだから、今日のおまえは人を『殺さない』あるいは『死体そのものの存在が隠匿されるような死体を作る』予定だったと考えられる。──つまり、同業者の死体だ。その上で千梅先輩をマークしていることを考えると、千梅先輩を狙う同業者を殺すことが目的だとおおかたの予想はつけられる。そうすると自然、おまえが今日だけ顔のいい男として衆目を集めてたことにも説明がつくよな。千梅先輩が困った時に、いつでも助けを呼べるようにするためだ。普段の主張ゼロの時よりよほど見つけやすく、仮に離れた場所にいたとしてもほかの部員に目撃情報を募ればすぐに合流できる。徹底して今日のおまえは加害よりも守護を主題に考えていた──それで、三つ目だ。今までの推理をより強固なものにする最後の根拠であり不自然──おまえがオレに弁当を作ってきたことだよ」
伊奈瀬は指で「三」を示し、神坂の目を強く見据えた。
「あれはおまえの置き土産だろ? 一種の思い出作り、自己満。おまえは今日この日に同業者とやり合うことを前々からスケジュールに入れてた。だから当然、死ぬ覚悟があったんだ。武器も満足に使えない状況下、守るべきものがあり、護衛対象の命を最優先に考えることが義務付けられてる──死なない保証がどこにある? だからおまえは、唯一の友達に少し優しくしたんだよ。いつもと違う、少し特別なことをした。これが最後になるかもしれないからだ」
神坂の表情は変わらない。ただ前方の扉のあたりに目をやり、黙って伊奈瀬の声に耳を傾けていた。歪みもしない。が、微笑もない。
「それで黙って待ってるのは、悪いけど、できない。だっておまえ、あの時一瞬悩んだじゃん。千梅先輩が逃げようとホールから飛び出した時、おまえはオレに『走れ』って言われるまで走れなかったんだよ。そんな奴を放っておけるような人間が、おまえのただ一人の友達であっていいわけがないんだ。ほかでもないおまえが選んだ一人で、ちょっとでもおまえの未練になれてんなら、オレだって相応の覚悟で踏み込むよ。咎められたって守るし助ける。だっておまえがあの時オレにしてくれたのは、そういうことなんだから」
本当は、言い訳を言うつもりだった。伊奈瀬だって無策で危険域に飛び込むほど愚かではない。というか、神坂を助けに行く建前を用意することこそが、自分の役割であり一番の得意分野だと伊奈瀬は解釈していた。自分は肉体ではなく頭脳担当なのだ。無策でがむしゃらに突っ込むのは、神坂の期待するところではないだろう。言い訳のきく範囲での暗躍、ちょっとした陰からのアシストこそが、この場での伊奈瀬の本領だ。神坂の敵であり殺害対象だった柳の偽物に一切の刺激を与えず、護衛対象である千梅先輩を前線から避難させたように。
だから伊奈瀬は、千梅先輩に惚れている
なのに自分は、ここでこそ無策だ。感情ばかりが先走って止まらない。浮ついた話に持っていきたいのに、その道筋が全く見えない。
気づかぬうちに、紙の容器を持つ手に力が入っていた。中身を事前に半分以上減らしていなかったら、きっと溢れていただろう。そのことを認識してなお、伊奈瀬の手は自然に動かない。意識して力を緩めたら今度は落としてしまいそうで、伊奈瀬はそれを飲み切ってから脇に置いた。
やさしい甘みを摂取して、少しだけ心が落ち着いた。わずかに戻った冷静さが、伊奈瀬の感情に少しずつ名前をつけていく。怒り、悲しみ、誤魔化しきれない寂しさ。そうやって初めて、伊奈瀬は自分が怒っていたことを理解する。意識的に大きく、息を吐き出した。
「……べつにいいんだけどさ。黙って消えるなとか危険だからこの仕事辞めろとか、オレが言える立場じゃないし言う気もないし」
何だかんだ言って伊奈瀬は、今の神坂が好きなのだ。伊奈瀬の力では抗いようもないほど強いのにある日突然消えてしまいそうなところ。運命に従順だけれど、それは為す術がないからというよりもその水質が合うから好んで住んでいるだけだったりするところ。こちら側に住む伊奈瀬の手には届かないからこそ、よく観察して知りたいと思うし追いかけたいと思う。
「でも、だからって死ぬのを許容するわけじゃねぇから。死んでほしくないんだよ、おまえには」
結局のところ、それが伊奈瀬の解答だった。死んでほしくない、だから助ける。たとえルールからはみ出たとしても。あの日の神坂がリスクを負ってでも伊奈瀬を助けたように、そこには損得勘定の介在し得ない何かがある。
「叱られるのは承知の上だよ。見込み違いだと思うなら──まあ本音を言えば嫌だけど、切ってくれても今回はまあ、受け入れるしかないようなことをしたと思ってる。……答弁はこれで終わりだ。煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。息の根止めてくれたっていい」
伊奈瀬が言い切って肩の力を抜くと、そこには穏やかな沈黙が下りた。神坂が横でココアを飲んでいる。彼は美味しいものを食べた時に顔に出るようなタイプではないけれど、たいていのものを美味しいと思っていることを伊奈瀬は知っている。今神坂が口にしているココアの味が百円以上のものであればいいと、伊奈瀬は思う。
「お前、染倉には勝ったのか?」
伊奈瀬が待ち構えていた神坂の声は、そんな形をしていた。
「え?」
予想外の返答に思わず神坂を見ると、彼は空になった紙パックを指先で丁寧に畳んでいた。たたんでくれてありがとう、の文字が見える。
「お前のことだ、どうせ勝ったんだろ?」
「勝った……けど。そりゃあ。オレの第一の仕事はそれだし、勝負を放棄してまで別のことしに行くのも敵前逃亡みたいで癪だし」
「ならいい」
神坂は言った。本当にそれだけ。
「は?」
「お互いにやるべきことをやった。したいこともした。上等じゃないか。まあ欲を言えば……俺もお前と一緒に最後まで舞台上で戦っていたかったが」
それは結局撃ち合いの戦闘に変わってしまったけどな、と続け、神坂は苦笑した。それだけだ。呆然と口を開けて固まる伊奈瀬をよそに、「決勝は?」と訊かれる。
「勝ったのなら、決勝進出の二枠目を取ったんだろ? 決勝はどうした」
「ああ、それなら──」
伊奈瀬が口を開いたその時、ホールの中がにわかにざわめき、扉が開いた。次々とホワイエに流れてくる白亜女子のクイズ部員に紛れて、畠と染倉が姿を見せる。伊奈瀬たちの姿を見とめると同時に、こちらに歩み寄ってきた。
「あ、伊奈瀬君たち、こんなところにいたんだ。もしかしてサボり?」
「神坂、君帰ったんじゃなかったのか。伊奈瀬までいるし。こんなところで油売って、どういうつもりだ」
根掘り葉掘り訊かれても面倒だ。何か誤魔化す言い分を考えようとした折、神坂の外行きの声が横から聞こえた。
「ごめんごめん。実は身内が事故に遭って病院に運ばれたって知らせがあってね。二回戦が始まる少し前ぐらいかな。それで、場合によっては呼び戻すかもしれないから携帯を常に持っておけと言われて。試合中に電話がかかってきたものだからつい」
いけしゃあしゃあと言いやがる。伊奈瀬は内心で舌を巻いた。しかも自分だけが難を逃れる言い訳をわざわざ選んでいそうでタチが悪い。抗議のためにも苦い顔をしたいが、それを表に出したらせっかくの方便が台無しだ。伊奈瀬も事情を知っている風の態度でいるしかない。
「ええ⁉︎ そんな、大丈夫だったの⁉︎」
「うん、何か事故の派手さの割にピンピンしているらしくて、結局はその連絡だったね。だからこっちのことは気にせず遊んでていいって言われたんだけど、もう会場出ちゃった後だし、戻るのも忍びなくて。外で時間を潰してからこっちに。……困ったものだよね。こっちは遊びのつもりじゃないんだけど」
「大変だったんだな……」
流石の染倉も矛を収める気になったらしい。この隙に話題を変えようと、伊奈瀬は口を開いた。
「で、決勝はどうだったわけ?」
「なんだ、少しは見てたのか? あの後の試合」
「や、全然見てないけど」
感心したように目を見開いた染倉が、伊奈瀬の返答ですぐに険しい表情に戻る。
「見てないのかよ」
「見てはないけど、まあオレに負けたら染倉は黙ってないだろうな〜と思って。オレが辞退した決勝の切符ぐらい、ちゃんと奪うでしょ」
「まあ……それはそうだが、」
染倉が気まずげに眼鏡を直した。図星なのだろう。
「神坂君はもう聞いた? あの後の伊奈瀬君すごかったんだよ。五問連答して決勝進出かっさらったと思ったら、辞退しますって言い残して走ってどっか行っちゃって。鬼気迫ってたよねぇ、別人かと思っちゃった」
「異常だった」
畠の言に、染倉が乗っかってくる。うるさいよ、と伊奈瀬は思う。
「で、結局伊奈瀬はどうしてここにいるんだ? まさか君まで身内に心配事ができたわけじゃないだろう」
「それわざわざ訊かなくてもよくない? いいじゃん別に、何事もなくてよかったねで」
まさか話題が戻ってくるとは思わず、内心で少し狼狽えたその時だった。
「伊奈瀬は、俺を心配して来てくれたんだろ?」
神坂が言った。悪戯するような表情で唐突に顔を覗き込まれ、伊奈瀬は目をみはる。
「友達が辛い時に一人にさせておくわけにはいかないって」
「言うな言うな。バカ」
ここにきて本当のことを言う奴があるかよ。伊奈瀬は三人の視線から逃れるようにそっぽを向いた。畠が笑顔で頷くのが視界の端に見える。
「本当にいい相棒って感じだよねぇ、二人って」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、俺なんかが相棒になるのは分不相応な気がするな。有望株の足を引っ張る悪友にならないようにするので精一杯だよ」
伊奈瀬の視界に入らないところで、神坂が外行きの声を出している。「相棒」という言葉が、
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