第6話 どうやら今日は
「ようこそおいでくださいました。白亜女子高等学校競技クイズ部一同、皆様を歓迎いたします。私は三年生で部長の
直江と名乗った、相手校の部長が頭を下げる。美しい礼だ。背筋が伸びていて、全く体幹がブレない。本当になんとなくだが、伊奈瀬は薙刀を連想した。実際に習っていて扱えるのかどうかは、当然知らない。
すると、「よろしくお願いします!」と、直江部長の後ろに整列した二十余名の生徒が一斉に声をあげ、同じように礼をした。人数が多いせいもあるだろうが、一挙一動が揃っており、それだけで圧を感じる。
対する我らが才明学園クイズ研究部部長・染倉壱輝は、ガチガチに緊張していた。無理もない。ただでさえ染倉は二年生なのだ。一年先輩の部長をたった一人で相手している上、この統率の取れようである。こちらからは背中しか見えず声もろくに聞こえないが、おそらく「よろしくお願いします」と返して握手をした。
「相手校の部長さん、直江さんだって。直江といったらやっぱり戦国武将を連想しちゃうけど、直江兼続関連の問題とか来るのかなあ。来たらちょっとテンション上がるよねぇ」
「上杉、兜、愛あたりはマークしててもいいのかもしれませんね。多少勘でも賭けに出るのは戦略としてありかも」
「こっちがそう考えるのを読まれてるって可能性もありませんか? 私はどうしても引っかけ警戒しちゃいそうで……」
「あの直江って部長、かなり剣道やってるな。剣道部じゃなくていいのか。それとも兼部か?」
一方の部員たちは、もう全然ダメだ。畠は意外にも全く緊張していないが、自然体を通り越してマイペースすぎるし、それに続く一年生たちもクイズのことしか頭にない。神坂に至っては、全く別のものを見ている。クイズジャンキーに混じって肉体言語方面の対戦好きがいていいわけがない。
自分が一番まともなのでは、と伊奈瀬は深いため息をつきかけるが、そうとも限らないと思い直し、首を振った。
「──ねぇ、あの二人」
「わかる! かっこいい。特に右の人」
「私左かも」
「えぇ、左の人もいい感じだけど、ちょっと遊んでそうっていうか」
「そうかもだけど、話とか
残念、話が上手いのも右です。伊奈瀬は列の端からかすかに聞こえてくる相手校の生徒の会話に、心の中で相槌を打った。
全体の統率が取れているとはいえ、相手だって同じような年齢の少女たちだ。声を合わせる全体での挨拶はしっかりやるが、それ以外は性格もそれぞれなのだろう、列の後方で雑談している部員も見受けられた。
同年代の異性というだけで物珍しさがあるのだろうか、ちらちらと値踏みされている気配を感じる。自分はいい。そういう目で見られたり接されたりということも、経験がないわけではない。問題は、神坂だ。
神坂優人は目立たない。それがこの世の摂理のはずだ。だが、今日に限ってはどうにも違う。
白亜女子高等学校は奥まった山の上にあった。駅を経由するバスが休日も出ているということで、才明学園のクイズ研究部はまず駅に集合する手筈になっていたが、駅前で待ち合わせていた時からそうだった。
少なくともこの体質の殺し屋がいたらさぞ生きづらいだろうなと思った。乗り場を横切る人々の視線。自分たちとすれ違って数秒後、ワントーン高い声で盛り上がる休日の女子高生らしきグループ。制服を着ているし短い時間だったから遊びに誘われたりといったことはなかったが、スーツを着た男性から一度、名刺を渡されていた。
今日の神坂は、どういうわけかよく目立つ。伊奈瀬の目には普段通りの神坂にしか映らないのに、伊奈瀬以外の人にも「見えて」いた。
「何、女子校行くからってまさか浮かれてるんじゃないよね、おまえ」
伊奈瀬はバスと染倉たちを待ちながら神坂を小突いた。そういうオーラが着脱可能とは知らなかった。まさしく詐欺師の所業だ。クソ詐欺師め。
「二枚目の看板を奪って悪いな、三枚目」
完全に悪役の浮かべる笑みで神坂は言った。スカウトの男から名刺を受け取った時の、戸惑いを浮かべる一般学生の演技とは正反対の表情だ。伊奈瀬は舌打ちで返す。
別に歓声にも喝采にも、注目にだって興味はない。伊奈瀬はただ一人の友達がそこにいればそれでいいのだ。おれの、おれだけの敬愛すべき友人であり恩人。
「俺も仕事なんでな、相手するのは由緒正しいお嬢様学校の生徒だし、いつもより身なりを入念に整えただけだよ。やり方は企業秘密だけどな」
そして神坂は手に持った名刺を透かすように眺め、事務所と担当者の名前をゆっくりと読み上げた。声が途切れた次の瞬間には、名刺は二度、三度と容赦なく破られている。
「この会社は外れだな。たまに新人の依頼人にも標的にもなるから」
近場にあったゴミ箱に細切れになった名刺を捨てると、神坂は何食わぬ顔で伊奈瀬の隣に戻ってきた。人に聞かせる速度のその読み上げが、暗に「この会社とは関わるな」と教えてくれていることを伊奈瀬は知っているし、スカウトの男が近づいてきた際、神坂がさりげなく伊奈瀬のことを自分の肩で庇うように動いていたのにも気づいていた。だから伊奈瀬はこの件に関して強く出ないし追及もしない。それが友人としての礼儀だと思うからだ。
「なんかおまえ、今日だけ妙にいい香りすんの癪なんだよな。いつも主張ゼロのくせに」
「気のせいじゃないか? 香水は使ってないし、柔軟剤とかの具合だろ」
代わりに益体もないことを喋りながら、この人がずっと自分だけを構えばいいのにと思う。
タイヤが砂を踏む音が後方から滑り込んできて、伊奈瀬は我に返ると同時に音のする方を振り向いた。長くて黒くてぴかぴかに磨き上げられた車が停まっていた。
運転席のドアが開き、スーツを着た白髪頭の男が降りてくる。男は後部座席に回ると、その扉を外側から恭しく開けた。
「ありがとう、
後部座席から慌てた様子で人が出てくる。直江部長たちと同じ制服を着ており──おそらくクイズ部員の女子生徒だった。
「大変申し訳ございません! 遅れました」
そこで違う制服を着た伊奈瀬たちの姿を見とめると、彼女はその場で立ち止まって深々とお辞儀をした。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。わたくしは白亜女子高等学校競技クイズ部三年、副部長を務めております、
統率のまるで取れていない我が校の生徒たちが、バラバラの速度と高さでお辞儀を返す。その時、神坂の呼吸が誤差の範囲で薄くなり、眼光が冷たく研ぎ澄まされたのを伊奈瀬は見逃さなかった。
どうやら、今日はあの人が死ぬらしい。
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