第4話 付き合いの短い友人

 終礼が終わり放課後に入ると、即座に染倉がやってきた。カバンを提げたばかりの伊奈瀬の腕を掴む。


「今日から練習だ。当日まで時間がない」

「はあ? マジ? 助っ人に練習までさせる気かよ」

「じゃあ君は全ての世界遺産の正式名称と場所と外観を把握していて、全ての言葉の語源を知っていて、全てのランキングの上から三つと下から三つを空で言えるのか」

「いや普通に無理だけど……」


 それは助っ人に求めるレベルの能力ではない。というか全てのランキングって、『この夏行きたい日本の名所ランキング』とか、製作者側だって最下層は作ってさえいないだろうと思う。


「てかそれ全部知ってたら普通に神様じゃね? 染倉って神様目指してる?」


 答える声はなかった。冗談に興じる気はないらしい。つくづく自分とはそりが合わないなと感じる。これが神坂だったらまあまあ話弾むのに。


「……学年一位って実績ありきでスカウトしたんなら、学年一位の頭脳をもっと信頼すべきじゃないの? ぶっつけ本番で満足しろって」

「駄目だ。満足しない」


 ようやく返事をした染倉はそれでも頑固だった。こうやって問答している間にも、伊奈瀬は染倉に引きられて教室を出ようとしている。


「そもそも、俺は君みたいな軽薄な人間が学年一位だなんて、正直まだ信じられてない」


 染倉が前を向いたまま言った。伊奈瀬は引き摺られながら一瞬黙した。


「……っつーことは、染倉はやっぱカンニング派閥なんだ?」

「派閥とかじゃない。ただ──」

「伊奈瀬君はああ見えて努力家なんだって、神坂君が言ってたよ」


 言い淀んだ染倉の横から、合流してきた畠がひょこりと顔を出した。


「努力家? 神坂が?」


 神坂にしては何というか、平凡な言い回しだと感じた。正確に的を射ているとも思えない。

 伊奈瀬だって全く努力をしないわけではないが、その努力だって他の努力している人たちからすれば「流し」程度にしか見えないはずだ。伊奈瀬にはやることをやってなおへらへらしている余裕があり、一定の成果を出すまでに必要とする努力量は人よりも少ない。伊奈瀬針羅は燃費よく設計された人間だ。他者と同じだけの資源で、より高い場所へと自身を運ぶことができてしまう。自分が努力家として認定されてしまったら、本当の努力家に申し訳が立たない。


「見かけによらず必要なことはちゃんとやるから、存分にクイズの知識を叩き込んでやればいいんだそうだ。今からでも充分使い物になるらしい」

「うわ、そういうことかよ。最悪」


 勢いを取り戻した染倉の言葉に、伊奈瀬は思わず顔をしかめた。


「伊奈瀬君って、神坂君と仲いいよねえ」

「この流れでそれ言っちゃう? 畠君」

「言っちゃう言っちゃう。だって神坂君、僕たちにはすごく優しかったのに伊奈瀬君にだけは辛辣っていうか、気兼ねがない感じがしたから。僕と染君も部活だとよくチーム組むし、馬が合うなあって思うけど、伊奈瀬君たちみたいに勢いのある感じじゃないから新鮮で」

「あー、そういう……」


 畠の言葉に、伊奈瀬はやんわりと苦笑する。片や相手を本気で殺そうとし、片や相手に首を絞められ殺されかけながら本気で噛みついた仲、ではあるのだ、自分たちは。それを「勢いのある」と表現されてしまったら、それ以上に勢いのある間柄はそう存在しないだろう。


「こう言っちゃうのも少し違うかもしれないけど、熟年夫婦とか野球のバッテリーみたいっていうか。信頼がある感じだよね。付き合い長いの?」

「いや、付き合いはそれほど……」


 こういう時にどう答えるべきなのか、決まった答えを伊奈瀬は未だに持っていない。知り合ってからの期間が短いのは事実だが、あまり正直に答えすぎても、深く訊かれた時に厄介だ。

 殺し屋との友情を保つのは苦労すると感じる反面、畠が想像するような「長い付き合い」になる可能性は自分に一体どれほど残されているだろうと憂鬱にもなってくる。まだ神坂と知り合って半年程度、これから卒業するまでの時間のほうがずっと長いというのに。


「──雌雄がいつも一緒にいる様子から、仲睦まじい夫婦のことを『おしどり夫婦』と言いますが、」

「はい! 『鴛鴦之契えんおうのちぎり』!」

「正解」


 染倉が畠のことを指し示し、「やった」と畠がガッツポーズをする。突然起きて過ぎ去った一部始終に、伊奈瀬は呆然とするほかない。


「どしたの、急に」

「クイズっていうのは、こういう風に試験にも出ないような些細な知識を延々と質問されるものなんだ。──雌雄がいつも一緒にいる様子から、仲睦まじい夫婦のことを『おしどり夫婦』と言いますが、その由来になったとされる中国の故事を何というでしょう。答えは『鴛鴦之契』」

「悲しい話なんだよ。中国の王様の臣下が奥さんを王様に奪われちゃってね、その臣下は怒りのあまり自害しちゃうんだけど、それを知った奥さんも自殺しちゃうんだ。それで意地の悪い王様は二人のお墓を遠く離れた向かい合わせに作るんだけど、そのお墓からは二本の木が生えて、一晩で根も枝も絡み合うほど成長するんだ。それでその木の真ん中に、つがいのおしどりが巣を作って悲しそうに鳴くっていう」

「へぇ……」


 知らない言葉だった。今の問題を試合で出されていたら、伊奈瀬は最後まで問題を聞いたとしても答えられなかった、ということだ。横を歩く二人の姿を、伊奈瀬は改めて眺める。


「それで、君の指名した神坂は俺たちの戦力になるのか?」

「は?」


 リスペクトに傾きかけていた天秤が、ガチャンと音を立てて反対側に着地した。自分に突っかかって来るのは百歩譲っていいとしても、神坂を下に見るなんて、そんな不遜は許されない。


「決まってんじゃん。オレの友達なんですけど」

「友達かどうかは関係ない。具体的には何が強い? 得意な分野とか、何か特定の事柄に深い関心があるとか」

「……そりゃあ、」


 そりゃあ、暗殺術だ。人を殺すことと騙すことに深い造詣がある。


「…………あれだよ、せーので早押しのボタン押させたら一番速い。たぶん」


 伊奈瀬が言った直後、前方の教室の扉が開き、中にいた生徒たちが一斉に廊下へと流れ出てきた。その中には神坂の姿もある。伊奈瀬たちの姿を見とめて軽く手を挙げ会釈してくるが、伊奈瀬と染倉の間あたりの空間に視線を注ぐと、彼は上品さと加虐趣味のちょうど中間の微笑を浮かべ、「楽しそうなことになってるね」と言った。改めて伊奈瀬が神坂の視線の先に意識を移すと、伊奈瀬の腕は連行されるように染倉に掴まれたままなのだった。


 苦々しい気持ちで伊奈瀬は手を振り払う。甘いもの、とでも答えておけばよかったと後悔する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る