第3話 田町について

 田町翔太の遺体は、彼の自宅近くの川で発見された。

 といっても、自宅近くで死んでいたわけではない。田町の遺体は彼の自宅から五百メートルほど離れた、川の下流で見つかっていた。


 はじめは彼が登校していない上に学校に何の連絡も入っていないと、田町が所属する一年E組の担任教師が生徒に疑問を洩らしたのがきっかけだった。洩らした、というよりも、教師のニュアンスとしては「何か知っていることはないか」と暗に情報を求めていたのだろうとも思うが──とにかく、田町の人柄や日頃の生活態度と無断欠席は誰にとっても結びつきにくいものだったらしい。担任教師の疑問は一年E組の生徒を通じ、業間の十分休みを通して口伝されていくことになる。耳の早い伊奈瀬のもとには一時間目終了のあたりでその噂は届いていたが、昼休みにもなれば学年全体のちょっとしたスキャンダルになった。


 もっとも、田町翔太は特別何かに秀でている生徒でもなければ、クラスの人気者だったわけでもない。名誉を汚して大騒ぎするような人物でもなかったから、スキャンダルというよりも、目新しい大衆の娯楽と表現したほうが近いのかもしれなかった。普段温厚で、授業態度にも問題のなかった男子生徒が、ある日突然連絡もなしに欠席──小学校だったら教員総出の大捕物かもしれないが、ある程度自立した高校生がそれをやっても、大した事件には発展しない。

 ただ、田町の無断欠席にざわついていたのは、生徒だけでなく教員側もだった。


「田町の親御さんとも連絡が取れない」


 誰が聞いたのかもわからないし、真偽のほども定かではない。が、ただの一人の優良生徒が一日無断で欠席しているだけにしては、職員室の慌ただしさは大仰だった。教員たちの態度がその噂の裏付けとなり、生徒たちも徐々に噂に対する熱を上げていったのだ。

 そうして訪れた昼休みの終盤、川で田町の遺体が上がったと警察から連絡があったようだった。遺体は制服を着用していて、生徒手帳などの小物類や靴は上流の川岸から見つかったらしい。その地点が、ちょうど田町の自宅付近だった。


 学校側は生徒に理由を知らせぬまま、中途半端な時間に生徒を下校させた。それでも田町の行方不明を知っていた生徒ならば、それなりに不穏な気配を感じ取っただろう。一年生を中心に、田町翔太死亡説が生徒全体へと伝播していくこととなった。


「針羅さー、昨日田町くんと一緒にいたっしょ、昼休み」


 当然、伊奈瀬に自殺直前の田町の様子を聞きに来る者もいた。伊奈瀬の顔が広いせいもあってか、わざわざ違う教室から足を運んできた野次馬もそれなりにいた。というか、後者のほうが数としては多かった。伊奈瀬のクラスは進学科だから、学校生活の話題よりも勉学を優先する生徒が多いのだ。


「なんかヤバそうだったりしたわけ。つーか二人一緒なの割と珍しいっつーかさ。やっぱなんかこう……イジョーな精神状態っつーの。だったから、針羅みたいな奴に最後近づいていったのかなーとか思うわけよ」

「オレみたいな奴って何よ」


 伊奈瀬は半笑いでその質問に応じたはずだ。同学年の生徒の死亡説が流れている中で、当人の失踪前の様子を、笑い飛ばすほどの勢いで語れるはずもない。いくら普段学校の人気者で陽気なキャラクターを演じていても、TPOを弁えられない人間は非難を買いやすい。

 だから伊奈瀬は半笑いだった。半分笑って、半分気まずい顔をした。ご冥福を云々、というような顔を。


 だが、伊奈瀬は田町が嫌いだった。あの昼休みの一時間足らずで、他人から「嫌い」の烙印を押される人間もそういないだろう。だが、そもそも、田町翔太は温和で嘘がつけないいい奴なのだ。これは単なる伊奈瀬針羅という一人の人間との相性の問題で、外野や田町本人からしたら、伊奈瀬が特定の誰かを吐くほど嫌っているとは思いもしない。


「だからさー、その、陽キャっつーか、パリピっつーか。自殺願望とか一旦全部忘れさせてくれそうなさ、ガチの明るい奴よ」

「あー、そうね」


 なるほどね、とは素直に思った。「伊奈瀬針羅みたいな奴」と言われて、伊奈瀬は「自分が死ぬことを常に視野に入れて生きている奴」という解釈をしかけた。だが、それは伊奈瀬自身にしかわからない、伊奈瀬針羅の本質的な一面だ。だから、この知り合いが「針羅みたいな奴」と言ったところで、それが「自死のことを日常的に考えている奴」を意味していると伊奈瀬は思うべきでない。


 だが、なんとなく胸を抉るものはあった。


 ずるいな、と思った。そんなに簡単に自死を選べて、田町が羨ましい、と。


 その接頭には「低能のくせに」も、「人の上っ面しか見れないくせに」も確かにつく。だが、自死という最終手段に踏み切れるという点では、伊奈瀬にとって田町翔太は特別な人間だった。


「つってもオレ、田町君には教科書貸してあげた恩があるってだけだから。昨日はそのお礼ってことで昼飯奢ってもらってたんだわ。それだけ」


 別に仲がいいってわけでもないし、何ならまともに接したのも昨日が初めてって言えちゃうぐらいだし──そうやって、伊奈瀬は田町の異変に気づかなかった理由を簡単に並べ立てた。自死を止められなかったことを暗に否定されているような気がした。

 だが、学校での伊奈瀬はフィーリングで日々を生きている八方美人のちゃらんぽらんだ。他人からかけられる言葉の裏側をいちいち読んで、無駄で後ろ向きな推論を組み立てるような人間は、一年F組の伊奈瀬針羅ではなかった。だから伊奈瀬は、みんなが考えるイメージ通りの表面を取り繕ってこう言うのだ。


「でも、最後の最後に光を求めてくれたのがオレだったってのは、自称人気者としては嬉しい限りってところでしょ」


 気づいてやれなかったのは申し訳ないけど、とは、彼の本心が言わせなかった。

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