焼きそばパンで神を越えろ!

睡眠求

第1話

この世界にはひとつの掟がある。

「笑うことは、神への冒涜」


そんな世界に、笑いながら落ちてきた男がいた。


地下の図書室。光の入らぬ石造りの空間に、ひとりの青年が本を読んでいた。

ページをめくるたび、ふっと口元が緩む。


「……おい…何してる」

背後から男の静かな声が落ちる。


青年は本を閉じずに振り返った。頬にはうっすら笑みの痕。

「文字の並びが、ちょっと面白くて」


「これは“面白くて笑う本”じゃない。

それに、この世界で笑うことは禁じられている。

お前もそれは知っているはずだ」


青年は、肩をすくめた。

「笑うことすら許されないなんて、寂しい世界ですね」


そう言って、また笑った。

だが目だけは笑っていなかった。


男は歩み寄り、彼の手から本を取り上げる。

「笑えば命が狙われる。それでも……認めるのか?」


「もう笑っちゃいましたし」


「お前……」


「俺、わかってます。“笑いが世界を救う”なんて思ってない。でも――」


青年はまっすぐ男を見つめて言った。

「俺は誰かを心から笑顔にできる人間になりたい。

それだけです」


「……狂ってる」


「それ、“ルアクさん”に言われたくないなぁ」


視線が交差する。

ルアクの目は怒っても、呆れてもいなかった。


――わずかに、笑っていた。


「…あ、共犯ですね」


「……は?」


現在、森の奥

伝説の聖剣が抜かれた。


王国中が騒然とする中、中心にいたのは――

どう見ても“勇者”には見えない青年、八木 奏和だった。


「……え、これ……引っ張ったら抜けちゃっただけなんですけど」


「まさか…貴方様が伝説の勇者……!」


「いやいや、ちょっと手が滑って……てかこれ、傘かと思って……」


「傘なわけあるか!!!!」

割って入ったのはローブ姿の男、ルアク。

記録官にして、八木の導き手となるはずの男だった。


「いやでも違くて、さっき鳥にフン落されかけて、また落とされるのは避けたくて……」


「…神よ!?なぜこの男を選んだのですか!!

たぶん他にもいたと思います!!!!」


「でも神さまって、けっこうざっくりしてますよね?」


「そんなこと言うな!!信仰が崩壊する!!」


勇者に選ばれた者がいると聞いた王国中の兵達がわらわらと押し寄せてくる。


ルアクは八木と勇者の剣を抱え、森の奥へと逃げた。


片腕で持ち運ばれている八木が、ぽつりと呟く。

「あの…ルアクさん……僕、お腹すいてて……」


「……は?」


「焼きそばパン、ないですか?」


「…ここ異世界だぞ!!焼きそばどころかパンもねぇよ!!」


「じゃあそのへんのスライム、焼いてくれたら食べます」


「食うなよ!?勇者がモンスター食ってどうすんだよ!!」

ルアクのツッコミが森にこだました、そのとき。

――村から悲鳴が上がる。


「…!魔物だ……八木、行くぞ。勇者としての初仕事だ」


「え、魔物って……あの猫ちゃんみたいな感じですか?」


「それはただの動物虐待だ!!」


「ええ……じゃあ目ん玉ぎょろぎょろのヤツじゃん……」


「2択には絞れてたんだ!!??」


村の広場の中央でボロボロになった八木とルアク。


「うへぇまっず。血ぃ口の中入った…マジムリ」


「…うがいでもして来い。」


「嫌ですよ…僕、コップないとうがいできないタイプで…」


「ゆ、勇者様……!」

焼けた小屋の陰から、中年の男が現れた。

白い服の裾が茶色く焦げ、片腕を庇っている


「命の恩人だ…ほんとうにありがとう…!」


「あ、さっきの……悲鳴の人ですか?」


「ああ……。俺の店が、…いや……だった場所が、魔物に襲われてたんだ。小麦の匂いにつられて…だろうな」


八木が少し驚いたように

「……小麦職人の方ですか?」


「え?ああ…そうだな。」


「……あの、焼きそばパンって…ありますか?

できれば味濃いめの…」


「帰るぞ!!」

ルアクに引きずられ、村を後にした。


取り残された小麦職人は、去っていくふたりの背中を見送った。

あの勢いは何だったのか、自分でもまだ掴めていない。


それでも、不思議と頬が緩む。


「……ヤキソバパンって、なんだ…?」

胸の奥が、少しだけ温かかった。


戦いのあと。焚き火のそばで、八木が静かに呟く。

「ルアクさん……大事件です…、さっきの魔物に甘噛みされた僕のお尻が…。ちょっとジンジンする……」


ルアクは八木を無視して問いかける。


「……お前、なんでそんなにボケるんだ。この世界では誰も笑えないって…わかってるだろ」


八木はしばし黙り、小さく口を開いた。

「…あー…?“俺”、言ってませんでしたっけ」


──幼い日の記憶。

母の病室。命の終わりが近づく中、彼女は言った。


『どうせ死ぬなら……最後は奏和の明るさで、思いきり笑ってから死にたいなぁ』


『で、でも、笑ったら…ダメなんでしょ?』

幼き日の八木が問いかけた。


『…そうだねぇ。』


その後みた、たった一度の笑顔。

あれは、確かに――綺麗だった。


その後、母は病死ではなく、“笑った者”として処刑された。


「俺は…人の笑う瞬間が好きです。

だから、笑っただけで処刑されるなんて…クソ喰らえです。純粋に…誰かに笑ってほしいんです。心の中だけでも。」


ルアクはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟く。


「……クソ喰らえはやめとけ。誰が聞いてるかも分からない。…あと、そういうことは先に言え」


「すみません。言うタイミングなくて……」


「はぁ……本当に、変なヤツだ」

呆れたようにため息をついたルアクの口は、心なしか少し緩んでいた。


――同時刻、遠く離れた展望台。

黒いフードの男たちが月を背に囁く。


「笑う者は処刑せねばならぬ」

「笑う者は…神に近づきすぎたのだ」



焚き火を囲むふたり。


「あ……ルアクさん、なんか来てます」


重たい風音とともに、焚き火が吹き飛ぶ。

「八木、伏せろ!!」


現れたのは、黒衣の追跡者。

「処刑対象、確認」


「…ルアクさん…僕が足止めします」


「何言って――」


「はやく行ってください!!

僕…焼きそばパン食うときは絶対、笑ってたいんですよ。」



ルアクが静かに頷いた。


ふたりは並び、剣を抜く。

「よし、行くぞ」


「え、ルアクさんも戦うんすか?」


「幸せは半分こ、辛さは2倍だろう。」


「えーー…めっちゃイヤなんすけど……」


そのとき――丘の向こうから、荷車が転がってくる。


「この前の恩、今ここに返すぞ!!命の恩人にな!!」


現れたのは小麦職人。

焼きそばパンを両手にいっぱい抱えて。


「これが最初で最後の……我が店の焼きそばパンじゃい!!」


急な登場に八木はもちろん、ルアクも頭の処理が間に合わない。


黒衣たちまでもが動きを止めた。


続ける小麦職人。

「あのときから考えていた……焼け野原でも、“笑顔”を届けられるんだって……!」


そっとひとつ拾う八木。

「……あったかい」


「神の温もりだな」


「やめてください。処刑されます」


ふたりは笑っていた。


追跡者の1人が、恐る恐るパンに手を伸ばす


「これは…なんだ……?あたたかい……」


「感情の誘導、これは法に触れる…いや、これは…?」


パンの湯気が夜の風に溶けていく。

どこからか、教会の鐘がひとつ鳴った。


黒衣たちが一瞬だけ空を仰ぐ


風は止まっていた。


黒衣たちが顔を見合わせ、剣を納める。

「……記録を抹消。対象は“消えた”と報告する」


「この笑いは、処刑対象ではない。まだ、“祈り”に届いていない」


そして黒衣たちは、去っていった。

その笑いが「もう消えない」と悟ったように。



あの日から、彼らの居場所はなくなった。


あの夜――焼きそばパンを投げ込んだ小麦職人はその後

「行方不明」となり


ふたりは笑った者として追われ続け、ついには離れ離れとなった。


風の噂では……

小麦職人が“笑える場所”を探して、北の果てに店を構えたらしい。


前の名前は、もう使えない。

けれど今も、どこかで誰かが言うのだ。

「…ここのパン、味濃いけどなんか笑える味するよな」と。


八木は、今も笑っている。

きっと、いつか誰かと焼きそばパンを半分こしたとき、また思い出すのだ。


あの夜、共に笑った記録官のことを。

そして――


やたら濃いソースの味を。

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