約束を胸に。

要四季

約束を胸に。

「大人になったら、ここでまたあつまろう!」


前歯の一本欠けた口をいっぱいに広げたレンが、満面の笑顔を浮かべてそう言った。


赤い太陽に染め上げられた、四本の小指。


レンが、ナツが、りっちゃんが、僕をじっと見つめる。


──この時、僕はどんな顔をしていたのだろうか。


──────


「懐かしいなぁ……」


思わずこぼれたその声は思った以上に弱々しく、自分で自分に笑ってしまう。


軽く見上げた先にあるのは、小さな公園だ。


かつて、数えきれないほど登った坂道。


久しぶりに外で活動するのは思った以上に負担が大きく、気づけば僕は肩で息をしていた。


たったこれだけの坂道を息切れしながら登る僕を見たら、彼らはなんと言うだろうか。


『おーい、たっちゃん!早くこっち来いよ!』

『ちょっとレン、急がせちゃダメ!たっちゃん、あとちょっとだよ』

『……がんばれ、たっちゃん』


無意識のうちに懐かしい声が頭の中で再生され、再び口の端に笑みを──自嘲の笑みを浮かべる。


ここにきてもそんな都合の良い妄想をする自分は、なんと傲慢で身勝手なのだろうかと。


「はぁ……。ついた」


たっぷりと時間をかけて坂を登り切ると、目の前に小さな公園が現れた。


冷たい三月の風が吹き、思わず身を震わせる。腕をさすりながら、僕はゆっくりと公園に足を踏み入れた。


鉄棒、ブランコ、小さなジャングルジム。


たったこれだけの遊具で、よくも飽きもせずに一日中遊んでいたものだ。子供とはなんと不思議な生き物なのだろう。


ざり、と足音を立てながら向かうのは、公園にポツリと生えた一本の木だ。


無人の公園で、梢が揺れる音だけが聞こえてくる。


「……っ」


ごくりと喉を鳴らし、木の裏側を覗き込んだ。


そこには、ほんの少し芝の生えた地面があるだけだった。


「……当たり前か」


その声に含まれていたのは、落胆か絶望か、それとも安堵か。


人ごとのように考え、そっと木に手をついた。


ゴツゴツしているようでツルツルした皮はひんやりとしていて、不思議と心が落ち着いてくる。


そういえば、昔も走り回るたびにこの木に抱きついていた。


『うひゃー、気もちいい』

『ほんとにねぇ。アイスみたい』

『あっ、ナツ、おなかこわしちゃうよ!』


ある夏の日、普段はしっかり者のナツが急に木の皮を舐め始めて、三人で仰天したものだ。物静かなりっちゃんがものすごくびっくりしていて、思わず笑ってしまったのを覚えている。


懐かしい思い出に無意識に口の端が緩む。


「……そうだ」


その場にしゃがみ視線を下げると、木に何か刻まれているのが見えた。


はじめから下手くそだったその文字は時の流れとともにわかりにくくなっていて、誰かが見てもただの傷のようにしか見えないだろう。


刻まれた文字をそっと指で撫でながら目を閉じると、記憶の蓋が開き、あの日の光景がまるで昨日のように思い出された。



○────────────



「よし、かんぺきだ!」


ペしりと地面を叩いて、レンが言う。


「「「やったー!!」」」


その言葉に、みんなで顔を見合わせて両腕を突き上げた。


「思ったよりかんたんだったね!」


「わたしたちはそうだけど、レンとたっちゃんは大へんだったでしょう」


「ぼくはそんなに……。やっぱりレンのおかげだよ」


「へっへへー」


その日、僕たちはこの公園にタイムカプセルを埋めた。


未来への手紙と当時はまっていた黄色いフリスビーを、ナツの家から持ってきたお菓子の缶に詰め込んだものだ。


しばらく無言でタイムカプセルを埋めた地面を眺めていると、ふとりっちゃんが口を開いた。


「ね、わすれないようにさ、みんなの名前、この木に書こうよ」


「あたしもさんせい!」


その意見に誰も否やはなく、僕たちはすぐにそれに取り掛かった。


以前僕が見つけて置いておいた先の尖った石を使って、一人ずつ名前を彫っていく。


『れん、なつみ、りず、たつや』


僕が彫り終わると、レンがもう一度石を持って、何かを彫り始めた。


「できた!」


自慢げな顔をするレンが横にずれると、名前の上に新しく文字が彫られていた。


「ずっ、とも?」


不思議そうにその文字を読んだりっちゃんに、レンはにやりと笑いかけた。


「そう、ずっ友!ずっと友だち、っていういみなんだぜ」


「それ、昨日レンのにいちゃんから聞いたやつじゃん」


「ちょ、ナツ!せっかくカッコつけたんだから言うなよ!」


「それ言っちゃうのがカッコわるい……」


容赦のないりっちゃんの言葉にレンが崩れ落ち、僕たちはお腹を抱えて笑った。


しばらくそうしてから、みんなでその場に座る。


「……もうすぐおわかれだなぁ」


ポツリ、とレンが言った。


「……やだな。まだまだみんなであそびたいよ」


ナツのその言葉をきっかけに、みんなの目に涙が浮かんだ。


レンの顔が、ナツの顔が、りっちゃんの顔が歪んで見えなくなる。潤む視界の中、見上げた空は太陽に赤く染めあげられていた。


「おわかれしたくない……」


僕の口から、思わずそんな言葉がこぼれた。



──きっかけは、唐突な頭痛と発熱だった。


頭の割れるような頭痛と三十九度近い熱が頻発し、心配した母は僕を遠くの大きな病院に連れて行った。


そこで、僕の病名が告げられたのだ。


聞いたことのない病気だったけれど、幼いながらにそれが呪いの言葉のように聞こえたことを覚えている。


「元気になるために、もっと大きな病院に行かなきゃいけないの」


母が泣きそうな顔でそう言うのに、僕は反抗できるはずもなかった。


それからどんどん手続きが進み、あっという間に引越しの日を迎えてしまったのだ。



「……大人になったら、ここでまた集まろう!」


急に立ち上がったレンの言葉に、思わず呆気に取られる。


そんな僕の目を見て、レンは満面の笑みを浮かべて言った。


「たっちゃんが二十さいになったら、ここでタイムカプセルをとり出そう!」


「……そうだね。そうできたらいいなぁ」


二十歳。当時の僕からしたらそれは遥か遠い未来のことで、きっとその時僕はいないだろうと思っていた。


それでも、きっとみんなは僕のことを忘れたりしないと信じられたから。


悲しむみんなの顔を見たくなくて、僕は立ち上がりながら無理矢理に笑った。


「やくそくだね!」


僕の気持ちを察したのか、ナツもりっちゃんも涙を拭いて立ち上がり、笑顔を浮かべてくれた。


「ゆーびきーりげんまんうーそついたらはーりせんぼんのーます!ゆーびきった!」


小指を絡めてみんなで歌う。


赤く染まった公園に僕たちの声が大きく響いて、もしかしたらみんなの声は僕が引っ越す先にまで聞こえるんじゃないか、と思った。


「達也ー!そろそろ時間よ」


その声に後ろを振り向くと、うちの車が公園の前に止まっているのが見えた。


「……たっちゃん」


「……じゃぁ、そろそろ行かなきゃ。……みんな、ありがとう。みんなのこと、ぜったいわすれないから!」


死ぬ時も、みんなのことを思い出せばきっと怖くないから。


だから、だいじょうぶだよ、と笑ってみせることだってできるのだ。


最後にみんなでぎゅっと抱き合って、僕は車に乗った。


お互いが見えなくなるまで、ずっと、ずっと手を振り続けて。



──皆の住む町が大地震に襲われたのは、それから五日後のことだった。


家が崩れるほどの大きな揺れ。今までに見たことの無いほど暴れる海。


まるで映画のような現実感の無い光景が、病院のテレビから絶えず垂れ流されていた。


『──依然として被害の全容は見通せず、各地で必死の救出活動が続いています。それでは、○○市から中継です──』


見知った町の見知らぬ景色が映し出され、頭がパニックになる。


──痛い。


「み、みんなは……。レン、ナツ、りっちゃんは……」


うわ言のように繰り返す僕を母が優しく抱きしめてくれた。

その母の腕も、微かに震えていた。


──しばらく経ってから、遺体となった三人が発見されたと母経由で知らされた。


りっちゃんは家の倒壊に巻き込まれて。

同じ建物に住んでいたレンとナツは、避難した屋上まで津波が届いて流されてしまったらしい。


つい先日まで笑い合っていたというのに、なんと呆気ないのだろう。


公園を走り回る皆の顔が、木に名前を刻む皆の顔が、最後まで手を振ってくれた皆の顔が頭の中に浮かんでくる。


──痛い。痛い。


記憶の中の優しい笑顔と、ぐちゃぐちゃになった現実とのギャップで体がバラバラになりそうだった。


病におかされた幼い体に、それは十分すぎるほどダメージを与えた。


「……ッ」


頭がガンガンと鳴り響き、視野が狭窄する。


──痛い。痛い。……痛い。


「達也?!達也!!!しっかりして──」


悲鳴のような母の声を聞きながら、僕の意識は闇に飲み込まれていった。



○────────────



「…………」


ゆっくりと瞼を開く。


溢れ出した記憶の奔流は僕の心を鋭く貫き、今もなおズキズキと痛みを主張している。


それでも、涙に溺れて立ち止まっているだけではいられない。


──僕は、約束を果たさなければならないのだから。


「……よし」


ふぅっと一つ息を吐き出して、僕は木の根もとを見据えた。


あの時埋めた、タイムカプセルの眠る位置。


腕にぐっと力を込めて、地面にスコップを突き立てる。


「はぁっ、はぁっ……」


全身から汗が吹き出し、ぽたりと落ちた粒が地面に黒く染みていく。


一度衰弱しきった体はどれだけ経ってもなかなか調子を取り戻せず、大きな倦怠感が体にのしかかってくる。


それでも手を止めることはせず、ザリッ、ザリッと音を響かせながら掘っていくと、二分ほどで固い感触が手に伝わった。


ドクドクと脈打つ鼓動を聞きながら、箱を取り出す。


その箱は、本当に時が止まっていたかのように変わらない見た目をしていた。


「んっ!」


力みながら固くなった蓋を開けると、当然だが埋めた時と同じように手紙と黄色いフリスビーが入っていた。


カサ、と乾いた音を立てて四枚の手紙を取り出す。


一枚一枚、下手くそで大きな字で名前が書いてある。


まず、「たつや」と書かれた手紙を開いた。


『みんなへ。

楽しい思い出が一ぱいでした。たくさんあそんでたくさんわらいました。みんなありがとう。どうか、みんながわらってぼくの手紙を読んでくれていますように。みんな、元気でいてください』


未来を諦めていたあの頃の気持ちがありありと思い出されて、思わず頬の内側を噛む。


そんな気持ちでいたのに、結局僕だけがこの手紙を読んでいるなんて皮肉な話だ。


自分の手紙をたたみ、他の手紙を読んでいく。


レンもナツもりっちゃんも、子供らしい、短い内容だった。


何が楽しかった、次は何をやりたい。なんてこともない言葉たち。


「……ぅ」


それらの文字を見つめながら、僕の目には涙が滲んでいた。


どんなに簡単なことであろうと、彼らはもうそれをすることはできないのだ。


『どうして俺たちだけがこんな目に遭うんだ』

『どうしてお前だけが大人になっているんだ』

『……お前が死ねばよかったのに』


手紙から、彼らの恨みが聞こえてくるような気がした。


その通りだ。彼らこそ、大人になって幸せに生きるべき人たちだったはずだ。僕なんかを生き残らせるなんて、神とやらはなんて見る目がないのだろう。


箱に戻していた自分の手紙に手を伸ばし、くしゃ、と握る。


自分への怒りが抑えきれず、そのまま破り捨ててしまおうと──


「……?」


怒りに任せようとしたところで、フリスビーの下に何かが入っていることに気づいた。


「……紙?」


それは、半分に折り畳まれた一枚の紙だった。だが、こんなものを入れた覚えはない。


少し緊張しながらそれを手に取り、開く。


「……ぁ」


『たっちゃんがげんきになりますように』

『たっちゃんがわらってこれを読んでいますように』

『たっちゃんとまたあそべますように』


大きく書かれたその文字は、見間違えようもない、三人の文字だった。


その下には、笑顔で手を繋いだ四人の絵が描かれている。


クレヨンで描かれた子供らしい絵ではあったが、レン、ナツ、りっちゃん、そして僕の浮かべている笑顔は今までに見たどんな絵よりも輝いて見えた。


そうだ。彼らはそういう人たちだった。

決して誰かを傷つけず、いつも笑顔に溢れていて。

そんな人たちだったからこそ、僕はずっとずっと彼らを愛することができたのだ。


彼らが僕を恨んでいるなんて、侮辱するようなことを考えてしまった自分をひどく恥じる。彼らは絶対にそんなことを言わないはずなのに。


僕が生き延びたのは、きっとみんなを忘れないためだ。


『そーそー。しっかりがっしり生きてもらわないと困るぜ?』

『あたしたちの分まで生きて。約束だからね?』

『……たっちゃん、生きててくれてありがとう』


はっと顔を上げると、木のそばにみんなが立っていた。


レンが、ナツが、りっちゃんが、見慣れた優しい笑顔を浮かべて僕を見つめている。


これも、僕の脳が見せる都合のいい妄想なのだろうか。


いや、そうだとしても構わない。


僕にできるのは、彼らを悲しませない生き方をすることだけだ。


目に滲んだ涙を手の甲で拭き、みんなをまっすぐ見つめる。


「みんなありがとう。絶対、みんなのこと忘れないから!」


かつての別れの時にも口にした言葉に、しかしあの時とは真逆の思いを込めて。


みんなと別れてから初めて、心の底から笑顔を浮かべられた気がした。


再び湧き上がってきた涙で世界が滲む。いつに間にか、みんなの姿は見えなくなっていた。


それは悲しいけれど、すごく悲しいけれど。それでも、下を向いてはいられない。


タイムカプセルを胸に抱き、立ち上がる。


「……みんな、大好きだよ」


みんなとの大切な、大切な約束を心に抱いて、僕は公園を後にした。

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約束を胸に。 要四季 @Punyon

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