第5話

ある日、仕事帰りにふと寄った定食屋。

テレビには、ちょうど高校サッカー選手権の特集が流れていた。


「今年注目の10番、城南学園のMF・田中陸(たなか・りく)」


その名前を聞いた瞬間、箸が止まった。

画面に映った少年。いや、もう少年ではない。

少し伸びた髪、鋭い眼差し。

でも、どこかにあの頃の面影が確かにあった。


「リク?」


胸の奥にしまい込んでいた名前。

自分にはもう関係のないはずだった、遠い記憶の名前。


画面の中で、リクはドリブルで相手を抜き去り、仲間に指示を飛ばしていた。

懸命に、楽しそうに、ピッチを駆ける姿がそこにあった。


8年。

長い年月が過ぎていた。

その間、一度も連絡は取らなかった。

ミナミとの関係も、完全に終わっていた。


「もう、会えないと思ってたのに……」


小さな声がこぼれた。

それは後悔でも、願望でもなかった。

ただ、“胸を掴まれるような感情”だけが、静かにそこにあった。


テレビのインタビューで、リクが笑いながら言った。


「小さい頃、サッカーに打ち込むきっかけをくれた人がいて。あの人がいなかったら、多分今の自分はいません。」


その言葉に、コウちゃんは肩を震わせた。


自分の名前は出てこない。

でも、それで十分だった。


あの頃の気持ちは、ちゃんと届いていたんだ。

テレビ画面の中で、リクがボールをトラップし、鋭くターンする。

その瞬間、コウちゃんの記憶が一気にあのアパートへと引き戻された。


夕方6時。

夕飯を食べ終わったリビングで、タブレットを持ったコウちゃんが言う。


「リク、今日の帝王、マジでキレッキレだったぞ。見てみ?」


リクはわくわくした目で画面を覗き込む。

有名校の試合、全国の舞台、華麗なパス回しと、激しい球際。


「この10番の選手、トラップのとき身体の向き見てみ。あれ、マジうまいから。」

「うん!オレも真似してみる!」


二人は真剣だった。

YouTubeの再生ボタンと一時停止を繰り返して、フォームを何度も確認した。


夜が更けても、リクの目はギラギラしていた。

「ねえ、コウちゃん。オレ、いつかテレビ出れるかな?」

「出れるよ。リクは絶対出れる。今のうちに“研究”しとけ」


冗談半分のように言ったその言葉が、今、現実になっていた。


コウちゃんの目に、画面の中のリクが重なって見える。

ボールを扱う足元の感覚、視野の広さ、判断力

あの夜一緒に見ていた画面の選手たちに、リクが近づいていた。


「オレ、何もできてなかったって思ってたけどさ……少しは、あの頃の時間が残ってたんだな」


声にならない安堵が胸に広がった。


あの頃、ただ必死だった。

何が正解かなんてわからなかった。

でも、たしかに自分は、リクの未来を信じてた。


そして今、リクは自分の足で、その未来を走っていた。

「帝王が教えてくれたこと」


「あっ、始まった!これ、帝王の全国大会のやつ!」


リビングのソファに座ったリクが、目を輝かせて画面をのぞき込んだ。

コウちゃんはスマホをHDMIでテレビにつないで、YouTubeの試合動画を再生していた。


「ほら見て、ここのプレス。5人が一気に行くじゃん?これ、連携がエグいのよ」


「マジですげぇ…!」

リクは前のめりになり、再生を何度も巻き戻す。


「あ、この14番の子、サイドチェンジめちゃ上手くない?」「うんうん、てかあのトラップ神…!」


気づけば2人して画面に夢中になっていた。


それは“父と息子”というより、“コーチと教え子”であり、“同志”だった。


次の日、リクは学校のグラウンドで、動画で見た動きを真似していた。

フォームはまだまだだけど、真剣な顔は大人顔負けだった。


コウちゃんは思った。

「この子は、たぶん夢中になれる子だ。だったら、できることは全部やろう」


そうやって、スパイクも、ボールも、時には戦術ボードのアプリまで使って、

彼なりのやり方で、リクの“原点”を作ろうとしていた。


そして今、画面の中で走る背番号10番の高校生。


それが、自分がかつて隣でYouTubeを一緒に見ていた、小さな少年、リクだった。

「ルールも知らないけど、そばにいたかった」


「オフサイドって、結局どういうこと?」

リクに聞かれて、コウちゃんは固まった。


「いや、正直オレもよくわからん」


野球なら、ルールもポジションも全部語れる。

小学校から大学まで16年間、汗と土にまみれてきた。

だけどサッカーは正直、まったくの素人だった。


それでも、リクが夢中でボールを蹴る姿が嬉しくて、

どうにか一緒に楽しもうとした。


YouTubeで「サッカー 強豪校」と検索して、

帝王の試合を見つけたのは、そんなときだった。


「このチームやばいな、走り方も全然ちがう。」

野球の世界とは全く違うスピード感、動きの連携。

それがなんだか新鮮で、おもしろかった。


気づけば、練習動画やドキュメンタリーまで漁っていた。

リクと一緒に画面を見ながら、分析するフリをして、

本当はただ、「隣にいたかった。」だけだったのかもしれない。


野球とサッカー、球技としては似ているけど、まったく違う。

それでも、努力する姿の美しさは同じだった。


「技術とか知識じゃなくてさ、オレが見ててやることが、一番の応援なんじゃねえかな。」


そう思っていたあの頃。


何もわからない自分なりに、リクの“1番のファン”であろうとした時間。

今、テレビの中のリクのプレーが、あの頃の思いに静かに応えてくれている気がした。



高校サッカー選手権、準決勝。

会場は国立競技場。

人混みの中、ひとり静かに観客席に座る男の姿があった。


コウちゃんは、リクのいるチームがここまで勝ち進んでいたことを知り、

気づけば新幹線に乗っていた。


でも、別に会いに来たわけじゃない。


試合が終われば、そっと帰るつもりだった。

遠くから、姿を目に焼き付けたかっただけ。


ピッチに立つ背番号10番。

体つきも声も、もうコウちゃんの知ってる“少年”じゃない。

だけど、プレースタイルの端々に、

あの頃一緒に見たYouTubeの動きが染み込んでいる気がした。


後半、1-1の場面。

リクがゴール前に飛び込んで、決勝点を決めた。


スタジアムが揺れるような歓声に包まれる中、

リクはゴール裏に走り、天を指差した。


その瞬間、コウちゃんは一瞬だけ息を止めた。


指差した先は、まさにコウちゃんが座っているエリア。


まさかそんなはずない。

けれど、もしかしたら。


偶然かもしれない。

でも、ほんの一秒だけ、目が合ったような気がした。


笑顔のまま、リクはチームメイトに囲まれた。

コウちゃんは、誰にも気づかれないまま席を立った。


会えなかった。

声もかけなかった。

でもそれでよかった。


“あの頃の時間が、ちゃんと今につながってる”


それだけで、胸がいっぱいだった。


外に出ると、冷たい風が吹いていた。

でも、心は少しだけあたたかかった。

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