第3話
高校のグラウンドの隅で、リクはひとりベンチに腰を下ろしていた。
試合の疲れもあったが、それよりも心のどこかがぽっかりと空いている気がした。
リクはポケットから小さなメモ帳を取り出す。
そこには走り書きの字でこう書かれていた。
「今日はコウちゃんの誕生日。
もう何年も会ってないけど、いつも心の中にいる。」
リクは深く息をついた。
「ああ、コウちゃん、元気にしているかな…」
ふいにベンチの向こう側で声が聞こえた。
仲間が話す声。
でもリクの心はあの日々に戻っていた。
「コウちゃん」って呼んでくれたあの時間。
あの名前は、リクだけの秘密の宝物だった。
リクはメモ帳をそっと閉じて、少しだけ笑った。
「俺はまだ、あの頃のコウちゃんにありがとうって言いたいんだ。」
雨が窓を叩く静かな夜だった。
リビングの灯りは薄暗く、重たい空気が部屋を包んでいた。
ミナミはソファに座り、手に握った写真をじっと見つめている。
写真の中には、笑顔のコウちゃんとリク、そして幼いリクの姿があった。
「コウちゃん…」
ミナミは小さく息をつき、その名前を口にした。
それは、もう何度も口にした名前だった。
だけど、その夜は、いつもと違った重みがあった。
「コウちゃん、ありがとう」
彼女の声は震えていた。
愛していた人へ、そしてあの家族の時間へ向けたささやかな感謝。
過ぎ去った日々に別れを告げるように、
最後に静かに呼んだその名前は、
もう戻れないあの日々の扉をゆっくりと閉じる合図だった。
ミナミは窓の外をぼんやり見つめていた。
雨のしずくがゆっくりと流れるように、彼女の心も揺れていた。
「コウちゃんのこと、好きだった。ほんとうに。」
そう心の中で繰り返す。
だけど、好きな気持ちよりも、
時々見せる彼の冷たい言葉や態度が胸に刺さった。
小さなことで怒ったり、気持ちをわかってくれなかったり。
それは、日々積み重なり、
ミナミの心を少しずつ壊していった。
「もう、これ以上は無理かもしれない」
愛していた人を手放す決断は、想像以上に苦しかった。
でも、自分とリクの幸せを守るために、
どうしても必要な選択だった。
彼女は静かに涙をぬぐい、写真立てに手を伸ばした。
そこに映る「コウちゃん」の笑顔は、今も変わらず優しかった。
「ありがとう、コウちゃん。あなたのいいところも、嫌なところも、ぜんぶ忘れない。」
ミナミの声は震えていたけれど、
それは未来に向かう強さの始まりでもあった。
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