第5話 ひび割れた沈黙
数日後、合宿が終わり、陽菜は実家に戻ってきた。部屋の窓を開け放つと、蝉の声がむせ返るように響いてきた。
床に置いたトランペットケースが、汗ばんだ指先の滑りを受けて少し傾いた。
あれから、美緒と何度かやりとりを続けていた。
けれど、話はいつも途中で止まる。まるで、言ってはいけない場所に触れそうになるたび、美緒が意図的に会話を変えているようだった。
「浩一は、あのとき何を考えていたんだろう」
独り言のようにつぶやいても、部屋の中は静まり返っていた。
その夜、陽菜は思い切って、もう一人の“夢を語った友人”に連絡を取った。
岡田優翔。
今も地元の高校に通っているという話は聞いていたが、会うのは小学生以来だった。
グループLINEは既に機能しておらず、個別に連絡を取るしかなかった。アカウントが変わっていないことを祈りながら、久しぶりにDMを送った。
優翔くん、陽菜です。突然ごめんなさい。少し話せる時間あるかな?
メッセージを送ってから二時間後、既読がついた。
……陽菜ちゃん? 久しぶり。もちろん、話せるよ。
そしてその週末、地元のカフェで再会した。
店内は涼しく、冷房の風がグラスの水面をわずかに揺らしていた。
「なんか、陽菜ちゃん……変わったね」
「そっちこそ。背、伸びた?」
ぎこちない笑いが交わる。だが、空気はすぐに沈黙へと変わった。
陽菜は、意を決して聞いた。
「優翔くんは……浩一のこと、聞いてた?」
優翔はゆっくりうなずいた。
「うん。噂で。……でも、本当は、俺も気になってたんだ」
「なにが?」
「浩一が死んだって聞いて、最初に思ったのは、“あの浩一が?”ってこと。……夢、諦めないやつだったじゃん」
陽菜は、頷いた。
「それに……」
優翔は、グラスの水を指でなぞるようにして、言葉を選んだ。
「俺、実は浩一から、最後に“見せられたもの”があるんだ」
「見せられた?」
「スマホの画面。会ったのは夏休みの最初。浩一、なんか妙に落ち着いてて……で、スマホのメモ帳を見せてきた」
「メモ帳……」
「そこに、自分の“夢の結末”が書いてあった。甲子園に行くまでの過程。どういう試合に出て、どう活躍するか。まるで小説みたいに、細かく。……でも最後に、こう書いてあったんだ」
『8月14日 夢、終了。』
陽菜は息を呑んだ。
「それって……」
「予告みたいだった。死ぬ、って意味かどうかは分かんない。でも、何かを終わらせるつもりだったのは間違いないと思う」
その日付は、浩一が亡くなった前日だった。
それはただの“終わらせたい気持ち”だったのか、それとも……。
陽菜の脳裏に、再び“音”が戻ってくる。
楽譜にないノイズ。
譜面どおりに吹いても、合わないリズム。
彼の中では、夢が結末を迎えていた。
けれど、陽菜たちはまだ、その理由を知らない。
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